通算15シーズン、最高峰クラス7シーズンを振り返る
2024年シーズン最終戦ソリダリティGP・オブ・バルセロナは、中上貴晶選手(LCRホンダ・イデミツ)にとってフル参戦ライダーとしてのキャリアを締めくくるレースとなりました。
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その最後の決勝レースを走る少し前、ソリダリティGP・オブ・バルセロナの木曜日、中上選手にロングインタビューを行ないました。指定された時間にLCRのホスピタリティに行くと、中上選手はまだ前のインタビューに答えている最中でした。この日はMotoGP公式を含めて多くの取材対応に追われていたようです。このインタビューのあとも、さらに別の取材に向かっていました。
「自分でもわからないですけど、特に変わりはないんです」と、向き合った中上選手は、そのときの心情を表現します。そう努めている様子があるわけではなく、いつもの中上選手がそこにいました。
「通常のレースウイークを迎えている感じではあります。ただ、日曜日が終わったあと、レースが終わるんだな、一区切りあるんだなと思うと、どんな感情になるのかな、と。今と同じ気持ちではないだろうなとは思います」
中上選手は、MotoGPで通算15シーズン、最高峰クラスでは2018年から7シーズンを戦い続けてきました。中上選手は自身のキャリアを、どう振り返るのでしょうか。
「長いですからねえ……」と、息を吐くようにつぶやきました。
「4歳から32歳までレースのある生活をして、自分でもよくここまで、途中で投げずに来たと思います。いろいろな人に助けられて続けられてきました。自分の強い気持ちだけでは無理でした。最終的には、親に感謝という気持ちは強いかもしれないです。常に側にいて、いちばんの応援団でしたし、一度も見放さずに応援してくれました」
「レース人生、長かったかもしれないですね」と、中上選手は言います。
「1年1年を振り返ると、流れはすごく速いんです。でも、レースを始めてからを振り返ってみると、すごく長かったな、と思います。全然あっという間じゃないです。いろいろなことがあった、ということもあるかもしれません」
「キャリアを振り返って、一言で表すとしたら?」と聞くと、中上選手は「難しい!」と苦笑いしました。そして、「ジェットコースターみたいな感じだったな」と、言いました。
「良いときもいっぱいあったし、どん底に落ちて、どうしよう、というときもありました。また這い上がって、世界選手権で優勝できるようになって……。すごく波はありました。でも、いろいろな景色、いろいろな感情を感じられたのでよかったと思います。常にうまくいっていたわけではなかったけど、総括すると恵まれた環境だったし、このイデミツのプロジェクトで7シーズンも走ることができました。いろいろな人に感謝です」
最初の「どん底」は、一度目の世界選手権への挑戦でした。2シーズン、125ccクラスにフル参戦したものの、結果を残せずにシートを失って、日本に戻ったのです。その後の2シーズンは全日本ロードレース選手権を戦い、2011年のJ-GP2クラスでチャンピオンを獲得しました。当時は世界から日本に戻ったライダーが再び世界に挑戦することは難しいと思われていましたが、中上選手は逆境のなかで、2度目の世界への切符をもぎ取ったのです。
「当時はもう無理かもしれないとも思いました。でも、考えれば考えるほど、このままでは終われないと思ったんです。いろいろな巡り合わせがあって、最終的には自分でチャンスをものにして這い上がることができました」
2012年から世界選手権に復帰を果たし、参戦したMoto2クラスでも、常に順風満帆というわけにはいかなかったと言います。
「(2014年にイデミツ・ホンダ・)チームアジアに移籍して上がっていくだろうと思ったけど、全然だめで。いつ這い上がれるかわからなかったけど、地道に頑張って、また優勝できるようになりました。良いところも悪いところも、すごくいろいろなポイントがありますね」
近年のホンダの苦戦でも、モチベーションを保つのに苦労がありました。
「正直に言うと、どうモチベーションを保とうかな、という時期もありました。それは、結構どん底の状態だったと思います。そういうときは自分だけでは解決できなかったので、家族やチーム、(チームマネージャーの)ルーチョ(・チェッキネロ)さんも含めて話をして、マイナスに考えていた部分が一時停止みたいに止まって、それがすごく助けになりましたね。去年と今年は特に、難しい2年間でした」
そんな中上選手に、「MotoGPクラスでの会心のレース」を尋ねました。中上選手は、「ロードレース世界選手権」における会心のレースとしては、2016年、Moto2クラスで初優勝を飾ったオランダGPを挙げています。では、MotoGPクラスは?
中上選手が挙げたのは、2020年シーズンのことです。このシーズンは、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響でMotoGPクラスの初戦が7月中旬のスペインGPとなり、ほとんどのグランプリがヨーロッパでの開催でした。
2020年シーズン、中上選手はMotoGPクラスにおける自己ベストリザルトの4位を2度獲得し、テルエルGPでは最高峰クラスにおける日本人ライダーとして16年ぶりとなるポールポジションを獲得しています。中上選手にとって、2020年はポイントとなったシーズンでした。
「2020年に、表彰台に近かったヘレスの4位(※アンダルシアGP)。2020年最終戦ポルティマオも、結果的には5位だったんですけど、11番手スタートから追い上げて、良いレースができました」
「リズム良く走れていたし、常にどこにいっても速かった。自分が上位にいることが自然でした。トップ5に入って、驚く自分もいなかったんです」
日本人ライダーとして、背負い続けたものの重さは
最高峰クラスでは、日本人ライダーが不在の時期がありました。青山博一さん(現ホンダ・チームアジア監督)がフル参戦を退いた、2015年から2017年までです。そんな中、2018年に中上選手は期待を一身に背負って最高峰クラスにステップアップを果たしています。中上選手が背負ってきたものは相当に大きかったのではないでしょうか。
そう水を向けると、しかし、中上選手は「プレッシャーはもちろんありましたけど、正直、みなさんが思っているほど感じていないんです」と、からりと答えました。少しだけ困ったように、実際のところそう答えるしかないなあ、と言う風に。
「感じていない、と言うと語弊がありますけどね。“プレッシャーがすごかったんじゃないですか、1人で全部背負って”ってすごくよく言われるんですけど、“そうかなあ”って。もちろん最高峰クラスを走る日本人ライダーが僕だけ、ということはわかっているんですけど、それを考えながらレースをしたことはないですね」
「どちらかと言うと、目の前のレースに向けて自分がどれだけ良い準備をして、どれだけ良いパフォーマンスを残せるか、残したい、という考えだけだから。そちらに意識をとられたことは一度もないですね」
確かに、そうなのかもしれません。ライダーたち、中上選手は、やるべきことに全力を注ぎます。MotoGPクラスのタイム結果では、わずか1秒の間に十数名のライダーがひしめき合う世界です。0.1秒どころか、0.01秒をいかに削るか。そこに全てを注いでいます。
「自分の好きなことをしている感覚があるからこそ、だと思いますね。結果を出したい、という気持ちのほうが強いんです。結果を出すためにはチームとミーティングをして、走る前にすっきりした状態にする。そのために、“こういうバイクに乗りたい”と伝えて、走るのがメインです。自分が思い描いているようなフィードバックを得られるわけではないし、問題が発生したりもして、そうなるとその改善に向かうわけです。終わりがない。だからこそ、ずっと常に考えて、話をして、準備をする。という流れですね」
プロモーションなどの面でもライダーの負担が増え、「自分が日本代表として走っている、背負っている、ということを考える時間が無かったです」と言います。
「MotoGPクラスに上がって、週末の時間が本当にあっという間でしたね。Moto2クラスまでは、メディア対応ももっと少なかったし、もっとフリーな時間がありました。MotoGPクラスに上がってから、やることがいっぱいなんです。メディア対応も多かったし、ここ近年はプロモーション活動も多くなっています。昨年(2023年)からは、スプリントレースも増えましたしね」
「敵わない。」中上選手が世界の頂点で見たもの
中上選手は、2021年アラゴンGPでは日本人ライダーとして初めて200戦出走を達成し、2023年タイGPでは、日本人ライダーとしてMotoGPクラスで初となる100戦目を達成しています。最高峰クラスでは7シーズンを戦い続けてきました。
そんな自分自身のキャリアをどう思うのでしょうか。「世界選手権の最高峰クラスで、何を成し遂げてきたと自分を評価しますか?」と、質問しました。
中上選手の答えは、とても印象的なものでした。
「MotoGPクラスにステップアップして、戦って、年数が増えていくにつれて、同じホンダだったマルク(・マルケス選手。2025年はドゥカティのファクトリーライダー)が常にいて、正直、こいつには敵わないな、と思いましたね」
その言葉は、マルク・マルケスという、最高峰クラスで6度のチャンピオンに輝き、今も最強の1人であるライダーの実力を認めるものだったのです。
「いままでは、極端に言えば自分が一番だ、という思いがあったので這い上がってきました。だからこそ、続けられてきたと思います。MotoGPライダーは22名しかいません。その22名、全員がすごいライダーです。でも、その頂点の頂点って、やっぱり違うんですよ」
「それを間近で、ホンダでずっと長く見てきて、“ああ、僕は世界一にはなれないな”と思いましたね。レベルが違っていて。技術もそうだし、メンタルや天性、センサー、恐怖心だったりね」
そして、中上選手は、はっきりとこう言い切りました。
「敵わない。無理です!」
「僕はMotoGPライダー22名のなかで、総合点でトップ10には入っているライダーだと思っています。でも、1位にはなれない。それは、この世界で頂点になりたくて頑張ってきて、ここまで来て、見られた景色なんです。だからこそ、軽い気持ちじゃない。例えば同じバイク、同じ環境、同じ状況だったとしても、この人と勝負したら勝てないな、と思いました」
「すごいと言うか、謎なんです。なぜ、あんなに能力があるのかわからない。だからこそ、たぶん超えられないですね。ここにきて、さらなる上を見ました」
眠り続けていた言葉があふれるように、中上選手はマルケス選手について語り続けます。世界の頂点の舞台で戦ってきたライダーの言葉として、それらはずっしりと重みがありました。中上選手が「成し遂げてきたもの」があるからこその、言葉です。
「“2輪最高峰で世界一になる!”と決めて、ここまで上がってきました。極めてきたからこそ、その頂点に行くとなると、プラスアルファで天性とはまた違ったものを持っていないと、世界をとるのは難しいんだなと、目で見て感じられたのは良かったです。でも、全然ネガティブじゃないんですよ。言葉だけだと“このライダーには敵いません”ってネガティブに聞こえるかもしれないですけどね。僕はそう思ったし、そこは変わらないです」
おそらく、数カ月前──例えば2024年シーズンの序盤に同じ質問をしたとしても、この答えは聞けなかったでしょう。例え心の奥底でそう考えていたとしても、当時、中上選手はマルケス選手と争うライダーだったからです。
中上選手の表情と言葉は、すでに、戦うところから立つ場所を移そうとしている心情を持った人の、それのように見えました。少しずつ、中上選手自身もわからないほど小さなところで、最後のレースに向かっていたのかもしれません。
最後のレース後に、自分にかけた言葉
インタビューから3日後の日曜日、中上選手は決勝レースを17位で終え、チェッカーを受けました。レース後の囲み取材では、日本人だけではなく、様々な国のジャーナリストたちが取り囲んでいました。
「フル参戦ライダーとして最後のレースを終えて今、自分にどう声をかけますか?」と、尋ねます。
「よくここまで頑張れた、という気持ちもあるし、その反面、もうちょっとできたんじゃないか、もうちょっと結果を残したかった、という気持ちもあります。すごく矛盾しているんですけどね」
「自分にかける言葉って難しいですけど、これまでレースがあっての生活が長かった。どん底に落ちて、何度も這い上がって来たりもしました。だから、休みたい、こういう生活から一回離れたい、という気持ちもあったんです。モチベーションが無いわけじゃないんですけどね」
「お疲れ様、という気持ちが一番かな。でも、これで終わりではないので。だからこそ、難しいですね(笑)」
囲み取材を終えた中上選手は、拍手で送られながらメディアセンターを後にしました。
木曜日のインタビューの間も、レースウイークの間も、ほとんど変わりのない様子でした。けれど、インタビューの答えなど、わずかに「いつもとは違う」ものが混じってもいました。それはゆっくりと、けれど確かに、中上選手の中に根を下ろしたもののように感じられました。
だから、と言って良いのでしょう。激しい戦いの舞台にそっと幕を下ろした中上選手がまとっていた空気は、穏やかで、晴れやかでした。
「長かったかもしれない」と語る、中上貴晶選手のレース人生
■中上貴晶(なかがみたかあき)1992年2月9日生まれ(千葉県)
2004年(12歳)ロードレースデビュー
2006年(14歳)全日本ロードレース選手権GP125クラスで全戦優勝最年少チャンピオンを獲得
2007年(15歳)CEV Bucklerに参戦。MotoGP125ccクラス最終戦バレンシアGP参戦
2008年(16歳)MotoGP125ccクラスにフル参戦
2009年(17歳)MotoGP125ccクラスにフル参戦
2010年(18歳)全日本ロードレース選手権ST600クラスに参戦
2011年(19歳)全日本ロードレース選手権J-GP2クラスに参戦チャンピオン獲得
2012年(20歳)Moto2クラスにフル参戦
2018年(26歳)MotoGPクラスにステップアップ
2021年(29歳)アラゴンGPで、日本人ライダーでは最多のロードレース世界選手権として通算200戦出走を達成
2023年(31歳)タイGPで、日本人ライダーとして初となるMotoGPクラス100戦目を達成
2024年(32歳)最終戦ソリダリティGPをもって、フル参戦ライダーを引退2025年以降はHRCの開発ライダーとなる
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