依頼先はミケロッティからガンディーニへ
かつてBMWのデザイン部門を率いた、ヴィルヘルム・ホフマイスター氏。リアウインドウの後端を斜めに持ち上げた処理、「ホフマイスター・キンク」を通じて、技術者だった彼の名を知るファンは少なくないだろう。
【画像】2019年に再現されたBMWガルミッシュ 1970年代の傑作 3.0 CSLに2002、M1ほか 全130枚
だが、イタリアのデザインスタジオ、ベルトーネ社との強い結びつきは意外と知られていない。実のところ彼は、自らペンを手にしスタイリングを描き出した、デザイナーではなかった。監督者と表現した方が正しかった。
彼は1950年代初頭から、ボディの技術部門と、その中に属するデザイン部門を統括する立場にあった。当時、このデザイン部門の規模は小さく、正式なスタッフは3・4名ほど。外部のデザイン・スタジオへ、プロジェクトが委託されることは多かった。
BMWが1960年代に頼っていたのが、イタリア人デザイナーで、自身の名を冠したカロッツエリアを立ち上げたジョヴァンニ・ミケロッティ氏。しかし、徐々にブランドの規模は拡大。異なるデザイナーの力も借りる必要性が生まれた。
そこでホフマイスターが注目したのが、ベルトーネ社。ヌッチオ・ベルトーネ氏の父、ジョバンニ・ベルトーネ氏が立ち上げたカロッツエリアで、創業は1912年とBMWより古かった。
最初に求めたのが、7シリーズの前身となる、1968年に発表されるBMW 2500に対する提案。チーフデザイナーにあったマルチェロ・ガンディーニ氏は、特徴的なスタイリングを描き出した。
縦に長い六角形のキドニーグリル
BMWの社内デザイナーやミケロッティ社からも、候補として次期モデルのスタイリングは提案された。だが、最もホフマイスターの心を動かしたのは、巨匠、ガンディーニの案だった。
1968年6月には、ミケロッティ社からベルトーネ社へ、デザイン・コンサルティングの依頼先が変更。後に5シリーズと呼ばれる、E12型サルーンの社内デザインを評価してもらうため、ヌッチオはBMWへ招聘された。
ドイツへやって来た彼は、原寸大で作られたデザイン・モックアップの周囲を歩き、ゆっくり観察。眉をひそめながら、保守的なスタイリングに対する意見を口にした。これが、どのくらい長く価値を保てるのだろうと。
代替案を提供できる可能性を、彼は示唆した。そして1969年8月に描き出されたのが、縦に長い六角形のキドニーグリルを持つ、シャープなラインのボディだった。
E12型への提案により、ホフマイスターとヌッチオとの関係性は一層強化。3シリーズの前身となるコンパクトモデル、BMW 2002の創案も頼まれた。これにも、縦長のキドニーグリルがフロントの中央に据えられていた。
BMWは、ガンディーニがアイデアを平面へ展開しやすいよう、簡単な仕様書を提供していた。その中で、6角形のフロントグリルは継続して提案が続いたようだ。
1969年後半には、1973年に2002を置き換える予定の、次期モデルのデザインもガンディーニへ頼まれた。コードネームはE21で、最終的には1975年に3シリーズとして発売されている。
密かに進められたガルミッシュの製作
この裏側で、ベルトーネ社は大胆な計画を密かに進めていた。モーターショーの来場者だけでなく、BMW側も驚かせることを狙い、プロトタイプを作ろうと考えたのだ。
ベース車両として、2002tiを入手。BMWの同意を得ずに、E21型を前提とする走行可能なモデルを、1970年に完成させる。
「オリジナルのアイデアは、スイスのジュネーブ・モーターショーのために、ヌッチオさんが考えたものです。サプライズのショーカーをデザインすることで、BMWとの関係性を強化したいと考えたのでしょう」。ガンディーニが振り返る。
「BMWのデザイン言語(特徴や志向)を忠実に守りながら、よりダイナミックで挑戦的な、モダンな中型クーペを作ることになりました」。と彼が続ける。
このモデルには、ミュンヘンの南にあるスキーリゾート地、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンへちなんで、ガルミッシュという名前が与えられた。「スキーは人気がありました。ウインタースポーツと、アルプスのエレガントさを呼び起こすモデルでしたね」
ただし、見た目の印象を良くするため、ガルミッシュは各部の処理が実際の仕様を満たしていなかった。ベルトーネ社が正式にまとめたE21型のデザイン案と比較すると、フロント部分は35mm低く、ドアは長い。全体的にスムーズなフォルムをまとっていた。
このようなプロトタイプの製作は、カロッツエリアでは典型的な取り組みだった。ショーマンシップともいえるだろう。
3シリーズを5年先取りしたコンセプトカー
1970年、ホフマイスターはヌッチオから、3月のジュネーブ・モーターショーでワンオフのコンセプトカーを公開予定だと告げられる。恐らく、喜んでもらえると期待していただろう。しかしBMW側は、中止するよう勧告した。
今振り返ると、理由は明白だった。3シリーズとしてE21型が発売されたのは、1975年。モーターショーから5年も先だったのだから、尚早すぎた。
しかも1970年には、E12型5シリーズとE21型3シリーズを担当することになる、新しいチーフデザイナーを雇っていた。ポール・ブラック氏だ。
それでも、最終的には2人の強い関係性が後押しし、ガルミッシュは発表された。BMWの近未来のスタイリングを予見させ、混乱を招く可能性を含んだまま。来場者には、強い印象を与えたはずだ。
後にブラックが描いたE21型のデザインは、結果的にガンディーニの案とは異なっていた。数年後の次期モデルの新鮮さを失うリスクは、避けられたといえるが。
非常に明確でクリーン、ドラマチック
ガルミッシュの誕生から約半世紀が過ぎた2018年。BMWグループ・デザインを率いていた、アドリアン・ファン・ホーイドンク氏は、1つのアイデアを実行した。
それまで数10年間、BMWは横に長いキドニーグリルを使っていた。そこで彼は、縦に長いデザインへの転換を図った。斬新なだけにリスクはあったが、新しいデザイン言語、DNAの一部として据えられた。
アドリアンは、それ以前にガルミッシュの写真を目にしていた。キドニーグリルの歴史を表現するものとして、再現してはどうかと考えたのだ。
「ガンディーニさんのアイデアは、非常に明確でクリーン。同時にドラマチックです。彼は非常に少ない要素を用いて、素晴らしいデザインを生み出してきました。このアプローチは、今でも極めて現代的なものです」
「ガルミッシュの再製作は、彼へ敬意を表することに繋がります。知名度の低い1台を振り返ることで、ベルトーネ社による影響の大きさへ光を当てることもできます」
「BMWの歴史の空白を埋めることにもなり、それだけで実施する充分な理由になりました」。アドリアンが経緯を説明する。
この続きは、BMW ガルミッシュ(2)にて。
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