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【訃報】スズキ 鈴木修 巨星墜つ 多大な功績を振り返る

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【訃報】スズキ 鈴木修 巨星墜つ 多大な功績を振り返る

スズキは2024年12月27日、同社の前会長、現相談役の鈴木修氏(94歳)は12月25日に逝去したと発表した。スズキを43年間に渡り牽引し、グローバル規模の自動車メーカーに育て上げた日本の自動車業界のレジェンドの一人が旅立った。

鈴木修氏は、創業家の鈴木一族ではない。岐阜県下呂市に生まれた松田修(鈴木)は中央大学・法学部を卒業し、中央相互銀行(現・愛知銀行)に入行した。縁あって、鈴木自動車工業(スズキ)の2代目社長であった鈴木俊三社長の娘婿となり、鈴木修となっている。なお鈴木俊三社長も創業家ではなく婿養子であった。

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28歳でスズキに入社 ジムニーを開発

結婚して1958年年4月に鈴木自動車工業に入社している。したがって鈴木修氏は28歳でスズキに入社して初めて自動車メーカーに関わることになったのである。

入社後は工場の建設プロジェクトなどに関わった後、1963年に取締役に就任。その後、東京支社長の時代に、当時のホープ社の「ホープスターON型4WD」の製造権を取得し、社内の反対を押し切って1970年にジムニーとして市場投入した。

ジムニーは不整地での作業向け車両であり、大量販売車種ではないが、鈴木修氏が独自に企画・実現したクルマとして、後には社内でブランドの核になるクルマに成長している。

社長になってアルトの大成功と、排ガス規制の苦難

1978年に鈴木修氏は社長に就任。そして翌1979年に大ヒット作となった軽自動車「アルト」が発売された。当時の軽自動車の平均販売価格は65万円前後だったが、アルトは商用バンとし当時の物品税を回避。リヤシートを始めコストダウンを徹底し、当時驚異的な47万円で発売したことで成功につながった。

このアルトが大成功モデルとなったことで、指揮を取った鈴木修氏の社内での評価が確立した。また、その一方で鈴木修氏は大きなトラウマを抱えていた。

社長就任直前の1970年代中盤、アメリカ・マスキー法に端を発する自動車排出ガス規制により、他社は2ストロークエンジンから、4ストロークエンジンへの移行が進んでいたが、2ストローク・エンジンに固執していたスズキは、様々な手を打ったものの、53年規制と呼ばれる排ガス規制への対応のハードルが高かったのだ。

その結果、1977年にはトヨタの仲介でダイハツの4ストローク2気筒エンジンのOEM供給を受けて危機をしのぎ、スズキ初の軽自動車用の4ストローク・エンジンは、翌年のF5A型3気筒投入を待つことになった。

こうした、排気ガス規制のクリアがスムーズにできなかった事例で、技術力に関する不安を持ち、鈴木修氏が大いなる危機感を抱く原因となった。ヒット作のアルトも当初は2ストローク・エンジン搭載であったが1981年にようやくF5A型エンジンを搭載している。

GMとの提携

1981年にスズキはGMと提携した。GMは軽量・小型で低燃費の車両に関心を持っており、相思相愛の提携が締結された。スズキにとってGMは頼りになる巨大企業であった。この提携により、GM製のV6エンジンをスズキ・モデルに搭載する。

スズキ・エスクード、カルタス、ソリオをGMにOEM供給、さらに共同開発したシボレー・クルーズをスズキが国内販売し、GMがアジア市場に販売するなど共同プロジェクトは順調に展開している。

しかし、2009年にそのGMは破産し、スズキとの提携も消滅してしまった。かつてはGMというクジラにスズキは飲み込まれるのではないかと危惧されていたが、鈴木修氏は「メダカなら飲み込まれるがうちは蚊なので飛んでいく」と語ったが、飲み込まれるどころか良好な補完関係を保っていたにもかかわらず、まさかのGMの破綻という結末を迎えたのだ。

また同時にスズキのアメリカ市場への進出計画も終焉を迎えている。当時は世界最大の市場であったアメリカ市場への進出もGMとの関係が消滅したことで断念せざるを得なかったのである。

フォルクスワーゲンとの破談

鈴木修氏が次に頼ったのがフォルクスワーゲン・グループであった。実はフォルクスワーゲンもスズキの低価格な超コンパクトカー、インド市場での成功に強い関心を抱いており、提携は短期間でまとまり、2009年12月に両社は包括的業務資本提携を実現した。フォルクスワーゲンがスズキの株式の19.89%を、スズキがフォルクスワーゲンの1.5%の株を取得した。

その後、共同開発の可能性を探るべくスズキの技術陣はウォルフスブルグで検討を行なった。しかし、両社のクルマづくりのコンセプトや、投入技術に大きな相違があり、スズキにとって共同開発の合意にはハードルが高いことが認識させられた。

さらに2011年、フォルクスワーゲンは年次決算報告書で、スズキを財務、経営において重大な影響を与えることができる会社と位置付けたことに対し、鈴木修氏が提携締結のコンセプトに反していると違和感を覚えた。またこの年6月、スズキはヨーロッパ市場向けのディーゼルエンジンのOEM供給先をフォルクスワーゲンではなく、フィアットから購入することにしたため、フォルクスワーゲンは提携に違反すると抗議を行なった。

このような経緯から、両者の関係は一気に悪化し、2011年12月にスズキは、フォルクスワーゲンとの提携を解消することを取締役会で決定し、フォルクスワーゲンに提携解消を申し入れた。スズキは環境技術などの開発が加速できるよう、技術情報の提供、技術支援をフォルクスワーゲンに求めたが、低い出資比率ではそのような期待は過大であったことを実感せざるを得なかったのだ。

2社の紛争は混迷し、スズキは提携の解消を求めロンドンにある国際仲裁裁判所に調停を依頼。この結末は4年後の2015年8月30日、国際仲裁裁判所の仲裁により、フォルクスワーゲンは所有する株式をスズキに売却することが確定した。

スズキの株価はその時点では、フォルクスワーゲンが購入した時価に比べ約2倍となっており、フォルクスワーゲンにとっては利益が得られた。一方、スズキは6000億円以上の資金で株式を買い戻し、和解金も支払っている。

トヨタと提携

鈴木修氏は、フォルクスワーゲンとの破談以後、頼りになる新たなパートナーを求めた。そして鈴木修氏はトヨタを選択した。トヨタはダイハツを子会社にしており、新たにスズキを傘下に組み込む必然性はないので、スズキにとっては理想的な提携相手と考えられた。

2016年にスズキはトヨタとの提携を発表し、2018年5月に2社の協業の具体的な内容が発表された。スズキが主体となって開発する小型超高効率パワートレインに対し、デンソーとトヨタが技術支援を行なう。スズキが開発した車両をトヨタ・キルロスカ自動車で生産し、トヨタ・スズキの両ブランドでインド国内において販売する。インド生産モデルを含むスズキの開発車両を、トヨタ・スズキ両社がインドからアフリカ市場向けに供給し、それぞれの販売網を活用して販売するという内容であった。

これにより、鈴木修氏の脳裏を離れなかった強力なパートナー探しは完結した。なお鈴木修氏は2000年に会長に就任し、その下で戸田昌男氏、津田紘氏を経て3世代目の社長に小野浩孝氏が内定していたものの急逝したため、2008年に78歳にして鈴木修氏が急遽会長兼社長に復帰している。そして2015年に実子の鈴木俊宏氏が社長に就任している。鈴木修氏は実質的に2018年時点までスズキを取り仕切るリーダーで有り続けたのである。

インド市場での成功

鈴木修氏の功績を語るには海外進出の成果を抜きにしては語れない。スズキのインドへの進出は1982年に遡る。つまりGMとの提携直後である。インド政府の当時の国民車構想に同意し、鈴木修氏が決断してマルチ・ウドヨグ(後のマルチ・スズキ・インディア)社と合弁事業契約を締結した。なお、2005年にはスズキの完全子会化にしている。

他の自動車メーカーが進出をためらっている間に、鈴木修氏はいち早く決断したことが奏功したのだが、当時はリスクのある決定とされた。

インド市場への進出の結果、インドにおける自動車メーカーのパイオニアとなり、圧倒的なシェアを持つに至ったマルチ・スズキだが、販売するコンパクトカーは爆発的なヒットを続け、現在ではインドにおけるシェは40%を超え、スズキ全体のインドでの売上高は30%を超えている。

インドにおいてはグルガオン工場、マネサール工場、グジャラート工場の3つの生産拠点があり、最も新しいグジャラート工場は最新鋭の生産設備を整えている。そして3工場の年間生産能力は235万台に達し、2024年には年間生産200万台を達成している。もちろん、このインドでの生産台数は、日本を含む他の工場をはるかに上回っている。日本での生産台数は100万台だから、いかにインドでの生産が多いかが実感できる。

またスズキはそれから10年後に、ハンガリーにおける乗用車生産プロジェクトへ参加する契約を締結し、マジャール・スズキを設立。1991年に進出を決定して現地生産を開始。2003年からヨーロッパ市場をターゲットにしたイグニスの生産を開始しこれも成功した。

スズキは先駆けて東欧に生産拠点を構えることに成功し、現在ではハンガリーは他の自動車メーカーも工場を開設し、西ヨーロッパ市場向けの一大生産国になっており、これも鈴木修氏の決断の正しさを物語っている。

米中からの撤退

また一方で、GMの破産に連動し、2012年にアメリカ市場から撤退した。そして2018年には、世界最大の市場である中国からスズキは撤退を決定した。つまり世界の2大市場から徹底しており、この決断も見事である。

中国市場へのスズキの進出は1990年代でタイミングは遅くなかったが、スズキの軽量・コンパクトな小さなクルマは中国市場での親和性がなく、利上げは伸び悩み、次第に採算も厳しくなっていった。こうした背景により中国市場からの撤退が決定された。

しかし現時点で考えると、アメリカ市場はZEV規制への対応からトランプ大統領の再選による関税の問題などできわめて予測しにくい市場となっており、中国市場では大成功を収めていた日本の自動車メーカーが現地資本の新エネルギー車に圧倒され、大幅に減速しており苦境を迎えている。

したがってスズキの現在のスタンスは、巨大市場でありながらリスクが大きい2市場から離れ、インドを世界の生産拠点にする戦略は大正解となっているのだ。

カリスマ

鈴木修氏は、スズキが軽自動車がメインの、自動車メーカーとしてはマイナーな存在であることを自覚しており、「中小企業」と自認していた。そのため、常に選択と集中という決断を早めに実行しなければならなかった。

また一方で、軽自動車として独自規制の中で商品力の高いクルマを開発することを重視しており、そのためにはボルト1本でも減らしてクルマを作るようにエンジニアを叱咤した。とにかく低コストを徹底し、商品力を高めることが重視されたのだ。

かつてフォルクスワーゲン・グループを統率したカリスマ経営者のフェルディナント・ピエヒ氏はエンジニア出身であり、クルマ作りに妥協を許さず、車体のねじり剛性は3万7000Nm/度以上となるように設計チームに指示したり、車体のパネル隙間の公差に厳しく、設計や生産の担当エンジニアたちをオフィスに集め、すべてのモデルを6週間以内にパネル間の隙間3mm以内を達成するように命じている。もし達成できなければ全員を解雇すると宣言した…などのエピソードに事欠かないのである。

しかし鈴木修氏はエンジニアではないがゆえに、ほとんど直感で設計エンジニアの常識外のことを要求し実現させている。そしてこの常識破りの手法がスズキ流のクルマづくりの原点として定着しているのである。

またスズキは、2輪車の販売店を起点にした販売網の比率も大きく、各地方ごとの副代理店網に対する依存度は大きいが、鈴木修氏はこれらにも積極的にコミュニケーションを取り、結果的に副代理店からの信頼度が極めて高く、これが販売力の原動力にもなっているのだ。

今ではグローバル規模の自動車メーカーに成長したにもかかわらず、決断力だけではなく、このような身軽さ、庶民性もカリスマ性を高める原動力になっていた。

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スズキ 公式サイト

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文:Auto Prove 松本 晴比古
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みんなのコメント

1件
  • kus********
    鈴木の本社に行くと、夏真っ盛りでも扇風機だけ。
    四輪縣架設計が気を遣ってくれて唯一冷房がある食堂で打ち合わせをしてくれた。
    徹底した始末屋の印象。こりゃ頭固いかなと思っていたら、まさかのカタナ。

    でも、後日聞くとカタナのデザインには懐疑的だったそうな。
    よくぞ我慢して頂けた。感謝ですわ。

    当時は町工場の匂いがしていた鈴木。 よくぞご立派に成られましたな。
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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