この記事をまとめると
■日産の有志が集う「日産名車再生クラブ」がパルサーGTi-Rをレストア
車名がそのままブームの名前ってスゴくないか!? バブルを地でいく「初代シーマ伝説」が衝撃だった
■車体の構造を研究しながら半年以上の期間をかけて蘇らせた
■2024年度はNISMOが初めて手がけたラリーカーのフェアレディZをレストアする
日産には名車を蘇らせるスペシャリストがいる
レーシングカーは、いつの時代もクルマ好きに夢と希望を与えてきた。過酷な環境を走り抜けるその鉄の塊は、常に人々を勇気づけた。そんな姿に憧れて、レーサーを目指す人が現れたり、もっとクルマが好きになる人、同じクルマを買ってレプリカを作る人などなど、レーシングカーがクルマ好きに与える影響は大きい。
今回は、そんな夢と希望が詰まった日産のレーシングカーの紹介だ。
日産といえば、日本グランプリやWRC、シルエットフォーミュラやJTC(グループA)、ル・マン24時間耐久レースにスーパーGTと、ありとあらゆるモータースポーツシーンで輝かしい成績を残しており、世界中にファンを抱える大人気ブランド。
なかでもスカイラインGT-Rで打ち立てたレースでのさまざまな記録は、いまでも伝説として語り継がれている。
そんな日産では、今までに活躍したレーシングカーや名車を神奈川県座間市にある座間記念庫で保管していることも、ファンの間では広く知られている。ちなみにこの倉庫、一般人の見学も可能だ(要予約制)。
しかし、ここでのコレクションは膨大な数であるのと同時に、レースなどで役目を終えたクルマは基本的に再び全開で走らせるというケースは少ない。つまり、屋内で保管されていながらも、タイヤが潰れて変に形がついてしまったり、電装系やオイル、燃料まわりが劣化して、文字どおり不動車になってしまうのが実情だ。
そんな歴史的名車たちを、定期的に復活させるスペシャリストたちが日産にはいる。
それが、2006年4月に発足した「日産名車再生クラブ」という社内団体だ。代表の木賀新一さんを筆頭に、おおよそ120名ほどのメンバーが集うこの団体は、社内の有志たちが集って、前述の座間記念庫から、毎年クラブ内で決めたテーマを元にレストア車両を選び、引き上げ、おおよそ半年から1年かけて、クラブのメンバーたちで当時のコンディションにまで甦らせるという活動をしている(作業は主に土日祝)。
普段、新車の開発などをしている日産の社員が手がけるので、電装や板金、駆動などなど、それぞれのスペシャリストが集っているのも特徴。場合によっては現場にある機械や塗装ブースなどを使ってパーツを作ったりするというホンキっぷり。その姿はまるでレストアのワークスチームといったところ。
そんな日産名車再生クラブが今年仕上げたクルマが、このグループA仕様のN14型パルサーGTi-R(RACラリー仕様)だ。
伝説のグループA車両が蘇る
このクルマは、1991年のサファリラリーでデビューして、それから2年間に渡ってWRCへ参戦していた。今回手がけた車両は、S.ブロンクビスト/B.メランダーのコンビで1992年のRACラリーに参戦していた。ちなみに、クルマ自体の完成度は高かったが、惜しくも1度も勝利したことはないそう。
代表の木賀さんは、今回は以下のテーマに沿ってこの車両を選んだという。 1:当時の四駆を理解すること
2:当時のレーシングカーの仕組みを理解すること
3:WRCのワークスがどんなことをしていたのか知ること いまでこそ、なんとなく日産はサーキットのイメージがあるが、かつては「ラリーの日産」といわれたほどラリーにも本気だったのは、ファンの方であればきっとご存じだろう(昭和の名俳優、石原裕次郎主演で映画にもなったほど)。
「グループAを筆頭に、市販車でも大成功を収めたアテーサE-TS、いまの看板技術であるe-4ORCEと、日産にとって四駆技術は欠かせない技術のひとつなので、ラリーを駆け抜けた当時の四駆技術(アテーサ)をいま知っておきたいというのがありました」と木賀さん。
「また、グループAという改造範囲の広いカテゴリーで、どのようにクルマを作ったのかなども知ってみたくなり、このクルマを選びました」と我々に語った。
実際は、”改造範囲が広い”ことが災いしてか、とにかくワンオフパーツが多かったようで、クルマをもってきて分解したら、次から次へと壁にぶち当たったとのこと。
エンジン(SR20DET)まわりに使われているパイピング類はもちろんワンオフ。タービンも専用の大きなものになっているほか、ミッションも市販車とは異なる6速ドグクラッチ仕様(市販車のGTi-Rは5速)。ケースはマグネシウム製のワンオフ品。四駆制御もアテーサを用いて前後左右の駆動差を調整したりできるなど、とにかく専用パーツのオンパレード。
バラしてからでは2度と戻せない可能性すらあるので、構造を把握した上で作業に入ったという。ちなみにこのエンジン、300馬力(市販車は230馬力程度)ほど出ていたようだ。もちろんエンジン内部は面研などをしており、フルチューン。
配線図も市販車のモノと睨めっこ。マフラーの取りまわしなどももちろんこのマシン専用。ブレーキの構造も異なるほか、エンジンの制御ももちろんこのクルマだけにセッティング。生命線であるハーネス類は、アメリカ国防総省が定めるMIL規格品だったそうだ。
ちなみにこのクルマは、過酷な環境を暴れまわっていたラリーカーなのでサビがとにかく半端じゃない! メンバーで手わけしてずっとパーツを磨いていたそうだ(これが1番時間がかかったとか)。
さらにメンバーを苦しめたのが資料集め。このクルマは2年しか走ってなく、活動も海外だったため資料がとにかく少ない。「このクルマを起こそう」といったものの、取りかかると想像以上に大変だったという。なので、ステッカー類の再現などとにかく茨の道だったとのこと。
そんな試行錯誤をしているうちに、当時の開発メンバーと知り合うチャンスなどもあり、記憶や証言を頼りに、なんとか作業を進めたと語った。2023年10月に開始したレストアは、2024年6月にようやく完了。試走の段階で全然吹けないトラブルもあったそうだが、電装系のパーツを見直したらすぐに快調になったとのこと。
晴れて、この場でお披露目となったというわけだ。
なお、この日は2024年度に実施する再生車両も併せて発表された。それが、1985年の全日本ラリーを戦い、優勝という結果を残しているZ31型フェアレディZだ。
やや地味なモデルに思う人もいるかもしれないが、このクルマはなんとNISMOとして初めて手がけたラリー車両という記念碑的モデルなんだそう。
ドライバーは「神岡ターン」で知られる伝説のドライバー神岡昌夫氏とコ・ドライバーとして中原祥雅氏が操ったマシン。1985年の第3戦から投入され、第6戦と第7線で連続優勝という記録も収めているとのこと。
また、NISMOは今年で40周年を迎えるということもあり、「同社が初めて開発した市販車ベースの競技車両をやるのも、タイミング的にいいのではないか?」ということも、選んだ理由にあったとのこと。
ただ木賀さんは、「走ったまま放置されていたので見てのとおりバッチィです。フロアも見た感じかなりヤバそうなんですよねぇ。ハコのレストアがかなり大変かも……」と作業前から苦笑い。
せっかくなので「座間にはほかにもいろいろなクルマもあるかと思いますが、今後起こす予定のクルマとかに目をつけてますか?」と木賀さんに聞いたところ、「GT-RやらZやら、市販車ベースのクルマであればレーシングカーでも多分我々は起こせると思うんですけどね。いままでもやってますし。ただ、ル・マンとかを走ってたCカーなどになってくると我々にはさすがに無理かなぁと。じつは手をつけられそうな在庫があまりないんです(笑)。日々物色してるんですけどね……」という悩みも聞くことができた。
このフェアレディZは、11~12月に予定されているNISMOフェスティバルでのお披露目に向けて作業をしていくとのことなので、大きなトラブルもなく間に合えば(!?)、我々の前に完璧に蘇ったフェアレディZが姿を表す予定だ。
クラブの今後の動きに注目だ
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