『リーフ』や『サクラ』をはじめとする日本のクルマ業界をEVでけん引する日産自動車。現在ではルノーや三菱自動車との3社アライアンスにより、世界的にみても多くの販売台数を誇る企業連合となっている。2022年度の世界新車販売ランキングでは、世界4位にルノー、日産自動車、三菱自動車の3社連合がランクイン。また、100%のEVを量産車として世界で初めて販売したのも日産自動車であり、名実ともに革新的なテクノロジーで世界をリードする、〝技術の日産〟だ。そんな日産自動車は今年記念すべき90周年(横浜工場誕生)を迎える。今回その歴史と現在をひもとくべく、創業の地・横浜へと向かった。
生誕の地・日産自動車横浜工場が生まれて90周年。日本の自動車業界をけん引してきた歴史が一堂に
ル・マンで活躍したベントレー「スピードシックス」の復刻モデルが12台限定で復活
日産自動車発祥の地は神奈川県・横浜にある「日産自動車横浜工場」だ。横浜工場は、今現在も現役でパワートレインを製造する国内の重要拠点。一般公開も行っており、最新型エンジン※世界初の量産化に成功した可変圧縮比エンジン(シリンダー内の圧縮比を連続的に変えることにより高効率と高性能を両立させる)の組立ラインや日産の歴史を振り返ることができるゲストホール、クルマの心臓であるエンジンを年代別に鑑賞できる日産エンジンミュージアムを入場無料で見学することができる。
日産自動車工場・ゲストホール内
日産自動車の歴史は前身の2つの企業にさかのぼる。ひとつは1910年に日産創設者・鮎川義介が設立した「戸畑鋳物」。もうひとつが1911年に橋本増治郎が中心となって設立した快進社自動車工場だ。快進社は日本初とされている単塊鋳造4気筒エンジンを搭載した、「ダット41型乗用車」を発売し、1931年にダット自動車製造は自動車産業への進出を本格検討。自動車部品を製造していた戸畑鋳物の傘下となった。
この時に戸畑鋳物は自動車部を横浜に創立し、本格的な自動車生産を始める(横浜工場の誕生から今年で90周年となる)。その後、1934年に今の日産自動車へと社名変更されたのだった。
この横浜工場は創業当時の本社ビル(横浜工場1号館)を、当時の姿を再現しており
2002年11月、横浜市より歴史的建造物に認定されている。
横浜工場では歴史を振り返る以外に1935年製の7型エンジンをはじめとする、28基の歴代エンジンを展示するエンジンミュージアムも楽しめる。これだけ多くの旧式エンジンが一堂に会する場所は世界的に見ても珍しいそうだ。1950年当時のエンジンを見ると、プロペラがついていたりするなど歴史と共にエンジンも進歩していることを体感できる。
日産エンジンミュージアム
〝技術の日産〟の核心へ迫る! 電気自動車のモーターを製造する横浜工場・第3地区に潜入!
横浜工場ゲストホールを後にし、続いて向かったの隣の区画にある横浜工場・第3地区。現在、日産自動車の主要工場である横浜工場は3つの地区に分かれている。エンジンやサスペンション部品、EV・ハイブリッドカー用のモーターなどを一貫生産しており、2022年の生産実績はエンジン生産台数は32.8万台、モーターの生産台数は21.4万台という京浜東北エリアでも有数の大規模工場だ。今回、その第3地区で生産されているEV・ハイブリッドカーモーターの生産ラインに潜入した。
今回お邪魔した第3地区では主にセレナe-POWERのモーターやパワートレインを生産。工場内は人も少なく、効率的な動線を実現している。生産工場というとどうしても煩雑なイメージを抱いてしまうが、そのような様子は全く無く、非常に整理された空間が印象的だった。
また、モーターの核となるコイル巻き部分(工場内では〝やわらかもの〟と言われていた)のみ、有人の手作業アシストがあるものの、その他約80%は機械にて生産が行われている。日産自動車横浜工場の担当者は〝技術の日産〟たるゆえんは「この効率的なクルマの量産技術にもある」と語ってくれた。
技術の日産と呼ばれるゆえんは革新的なテクノロジーだけでなく、その量産技術にあった!
先述したように100%のEVを「量産車」として世界で初めて販売した企業である日産自動車。2016年の発表時に世界を驚かせた可変圧縮比エンジン「VC-T(Variable Compression-Turbocharged)」も日産が初めて「実用化・量産化」に成功した画期的なエンジンだ。ちなみにこの「VC-T」は日本では唯一2022年7月に発売された新型「エクストレイル」に搭載されている。
この「VC-T」のアイデア自体は、1920年代にイギリスの内燃機関技術者のHarry Ricardoによって最初に考案されていたのだが、しかし、彼のアイデアは当時の技術力が追いつかなかったので、自動車工学界でも長年忘れ去られていた。しかし、「VC-T」が実現すれば従来のエンジンよりも軽くコンパクトで、燃料消費量のも削減できる。この技術的な難題に対して日産自動車は機構や素材を一から検討し、20年以上の歳月をかけて誕生させたのだった。
2016年に世界初公開されたVC-Tエンジン
この量産化へのこだわりは横浜工場の歴史からも感じることができる。電気自動車用のモーター生産は当時ノウハウが全くないところからスタートした。それを約10年強の短い期間で生産ラインのを一本化し、約8割をほぼ自動化するまでに至っている。その道のりは決して容易いものではないと想像できる。
約1世紀を振り返る巨大なガレージ「日産ヘリテージコレクション」は圧巻
最後に訪れたのは神奈川県・座間市にある「日産ヘリテージコレクション」だ。日産自動車座間事業所に隣接している「ヘリテージコレクション」では日産自動車の約90年あまりの歴史を体感することができる。日産がこれまで生み出してきた1930年代の生産車から歴代のレースカーまで、日産のオンロード、オフロード両面の歴史を物語る車両など約400台の記念車を所蔵し、うち常時約300台を展示している。
現行車につながるものや技術的革新をもたらしたもの、モータースポーツで活躍したもの、歴史上エポックメイキングなものなどをはじめとする記念車を、日産の歴史を物語る貴重な財産として大切に保管しているだけでもすごいのだが、この中の車両の約70%は走行可能な状態を維持しているというのにも驚いた。
1950年代~2000年代までのクルマが保管・展示されている。
基本的には2010年までのクルマを保管しているのだが、日産の代表的なEV「リーフ」を実用化するまでの試作車も展示されており、日本のEVの歴史を、実物を見ながら体感することが出来る。
初代日産リーフ
実はこんなクルマもあったなんて! 編集部が気になった3台
1台1台に歴史や当時の新技術が詰まっている「ヘリテージコレクション」のクルマたち。紹介し出すとキリがないので独断と偏見で編集部が「かっこいい!」「こんなクルマがあったなんて!」と感銘を受けたクルマを3台紹介しよう。
「ダットサンサニー1200 2ドア セダン GL」1970年発売
ポップなグリーンカラーがまず目を引くこちらは1970年に発売開始された「ダットサン サニー 1200 2ドア セダンGL」だ。マイカーブームの幕を開け、大衆車というジャンルを確立した「サニー」初代モデルの好評を受け生産された2代目ダットサンサニー(B110型系)。従来のスピード感あふれるファミリーカーのイメージを引き継ぎながら、時代を象徴する「豊かさ」を盛り込んだスタイリングを実現している。また、CMではライバル車よりも豊かなクルマであることをアピールする、「隣のクルマが小さく見えます」というキャッチフレーズを採用して注目を集めたそうだ。その室内空間は、当時の大衆車クラス最大の広さを誇り、メーターやスイッチ類、シートなどの細部にも、豊かさやおおらかさを追求。装備面では雨天でも窓を閉めたまま、快適に換気ができるオート・ベンチレーション・システムをクラス初採用したほかインストルメントを衝撃吸収構造にするなど、安全性も向上させている。こんなクルマが1970年代の車道を多く走っていたと考えると、少し羨ましい気持ちになるのは筆者だけだろうか。
「フェアレディ240ZG ハイウェイパトロールカー」1969年12月発売(フェアレディZ)
続いて紹介するのは、1972 年3 月から神奈川県警察・高速道路交通警察隊で活躍した240ZG の「ハイウェイパトロールカー」。サイレン・赤色回転灯・ストップ機構付速度計・無線機などが装備されており、現役時代の総走行距離は37 万940km に達したという。このクルマの基礎となった初代フェアレディZ(S30 型)は、それまでのダットサンフェアレディ2000(SR311 型)の後継車として開発され、1969 年12 月に発売。クローズドボディの採用で居住性、安全性が向上したフェアレディZ は、高性能OHC エンジンや4 輪独立懸架などの先進技術により好評を博し、北米を始め海外市場でも爆発的ヒットとなった。国内では、当初は2ℓエンジンのみの設定だったものの、2 年後の1971 年11 月に、輸出仕様と同じ2.4ℓ・150 馬力エンジンの「240Z」シリーズを追加。その最上級グレード「240ZG」は、ロングノーズ(「エアロダイナ・ノーズ」: 別名G ノーズ)、オーバーフェンダー、リヤスポイラーなどを標準装備し、空力特性の向上とあいまって最高速度は当時の日本車でトップの210km/hを誇った。「こんなパトカーになら少し追われてみたい」と思ってしまうほどイケているパトカーだった。
「スカイライン ハードトップ 2000GT」1972年9月発売
最後に紹介するのも1970年代のクルマ(やはり見た目に惹かれてしまった)。このクルマは1970年代に社会現象を巻き起こした「スカイライン」の1974年式の2000GT。カラーは初期イメージカラー「ブライトブルーメタリック」へ再塗装されている。1972年9月発売の4代目スカイライン・C110型は、先代で確立した独自の個性をそのままにボディサイズを拡大し、個性的な「サーフィンライン」は継承しつつ、一転してソフトで流麗なスタイリングに。後に伝統となる、ジェット機の噴射口を模したリング型の4灯テールランプがここで初採用となった。また、先代「愛のスカイライン」の延長として展開された「ケンとメリーのスカイライン」のキャンペーンが爆発的にヒットし、ロゴ入りTシャツが大人気になるなど、約5年の販売期間にわたり熱狂が続いた。この結果、「ケンメリ」の愛称で知られるC110/C111型は累計販売約66万台に及ぶ大ヒット車になった。既に50年以上前のクルマだというのに、そのスタイリングには色あせない魅力が詰まっている。
日産ヘリテージコレクションの見学予約はこちらから
日産自動車の座間事業所内に併設されているということもあって、公式サイトから応募フォームにより事前申し込みが必要だが、入場料はなんと無料。不定期で休館日があるので、開館日は要確認だ。駐車場も用意されているので、クルマで行くのもいいだろう。また、「日産ヘリテージコレクション」はオンラインでも保管されているクルマを閲覧することはできるが、ぜひ生で細部のこだわりまで味わいきってほしい。
取材・文・写真/DIME編集部
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みんなのコメント
定年や人員整理でもういねえよ。
あなたが歳を取るように
開発者だって歳を取り、第一線から離れて行く。
だからおじいちゃんがどんなに昔話で
花を咲かそうと、今の日産の人には
そんなのチンプンカンプンなの。
今の姿は日産の関連施設を見れば分かる。
日産と日の丸の旗と一緒に何の旗が掲げて
いるのかを。そう、フランス国旗。
所詮「技術の日産」というフレーズは、
昔からの夢から覚めないおじいちゃんに
媚びるための便利な暗示で、
現実ではフランス政府に誓うために必死なって
電気自動車を売っているの。
日本の事情は後回しな消極的な改良、
CVTFは冷却水と混ざって乳化するし
ミッションも壊れやすく、ハイブリッドの
名前欲しさに最低限のことしか出来ない
Sハイブリッドと、低品質でも株主へは高配当な
クルマ作りがバレないように「技術の日産
(ドヤア)」って宣伝しているだけなの。