この記事をまとめると
■ポルシェのチューナーとして一時代を築いた「ゲンバラ」
F355を現代的に蘇らせていまどきスーパーカー化! レストモッドされた「355 by エヴォルート」はアリかナシか?
■ゲンバラが一躍脚光を浴びるようになったきっかけは1985年の「アバランシェ」だった
■アバランシェ以降もミラージュGTやアバランシェGTR650ミラージュなどの名車を生み出した
ポルシェ乗り憧れのチューナーだったゲンバラ
ヒトと違ったモノがほしい、少しでも見栄の張れるモノならなおさらほしい。こうした欲求はラスコー洞窟の壁画にも描かれているとおり、太古の昔からヒトのDNAに刷り込まれているのでしょう。当然、この気もちに付け込んだ商売も盛んであり、さしずめ1980年代のスペシャルカービジネスなどは最たる例かと。なかでも、ゲンバラのような伝説的なチューナーは「誰も目にしたことがないクルマ」を作りあげると、欲求とそれに見合った財布をもっている人々がこぞって食いついたことはご承知のとおりです。
それにしても、ゲンバラは不思議な魅力をもったチューナーです。24金メッキのホイールなど、決して趣味がいいとは思えないのに、なぜか心に残るクルマばかり。どんなチューナーだったか、振り返ってみましょう。
そもそも、ゲンバラの創始者にしてデザイナーのウーヴェ・ゲンバラは、インテリアデザインが専門だったとされています。実際、1972年に興したのは「ゲンバラ・オートモビル・インテリア」と名乗り、主にフォルクスワーゲンの内装をアップグレードするのが主な仕事でした。これが評判を呼び、VWでなくポルシェをもちこむ客が増えたことから、1981年には「ゲンバラ・オートモビルテヒニク」へと社名を変更し、インテリアだけにとどまることなくチューンアップに手を染め始めたとのこと。
もっとも、最初のうちはインテリアのアップグレード、すなわちレザーシートにパイピングを施したり、ダッシュボードにテレビを埋め込むなどがメイン。チューンといってもアイバッハのスプリングで車高を落としたり、せいぜいフロントスポイラーにランプを増設したりする程度。それでも、オリジナルの2ピースホイールを作って24金メッキにしたり、当時流行っていたNACAダクトを増設するなど徐々にゲンバラは個性を発揮しはじめたのでした。
そして、1985年のジュネーブショーでお披露目した「アバランシェ」とそのカブリオレ「サイラス」の2モデルによって一躍脚光を浴びることになったのです。得意のインテリアはテレビや車載電話(しかもFAX付!)、ハイエンドオーディオといった装備に加え、シート、ダッシュ、そして天井まで水牛の革でコーディネートするなど、まさに贅を尽くしたもの。なかでもサイドミラーに埋め込まれたカメラでリヤビューをモニターできる仕組みはいまでこそ驚かないものの、当時は画期的アイディアともてはやされたものです。
そして、アバランシェ(雪崩)という車名の由来とされる立体成型の大型リヤウイングや、911ターボ・エクスクルーシブのサイドインテークを拡大解釈したサイドフィンなど、ゲンバラはデザイナー、そしてチューナーとしての名声を飛躍的に上げたのでした。
ここからはゲンバラ無双といってもいいほど傑作を連発。ガルウィングドアの928や、スムージングを施したかのような944、あるいはアバランシェ以外の911にしてもRUFとのコラボによって、より先鋭化するなど、ポルシェ・チューナーとしての地位を盤石なものとしたのです。
アバランシェ以降もミラージュなどの名車を送り出した
また、ゲンバラの独特なセンスを見込んで、ポルシェ以外のクルマがもちこまれたのもアバランシェ以降のこと。メルセデス・ベンツ560SECはベルギーのキャラット同様「触るものはすべて金、動くものはすべて電動」にカスタマイズされ、また2台のみが作られたフェラーリ・テスタロッサGTRは噂によればケーニッヒの手によるエンジンチューンが施され、リヤから覗く6本エキゾーストなど「ゲンバラ節の最高潮」ともいえる出来ばえだったかと。
ちなみに、1990年代後半にはゲンバラ・ジャパンやゲンバラ・マイアミなど世界中にディストリビューターを抱え、ビジネスは大いに拡大していました。が、やっぱり栄枯必衰のたとえどおり徐々に失速。チューナーといえども、ある意味では流行商売ですから、致し方ないともいえますが、ウーヴェの場合は金銭問題も少なからず絡んでいたようです。
いろいろと噂が飛び交っていますが、2010年に南アフリカで死体となって発見されたニュースはご記憶の方も大勢いらっしゃることでしょう。なにやら、チェコから逃げてきたマフィアの金をビジネスに流用してしまい、100万ドルがドイツにいた奥様に要求されたものの、奥様はこれをスルー(笑)。数カ月後にはラップでくるまれ、奥歯でしか身元確認ができない状態で発見という、絵に描いたようなトラブル&ミステリです。
それでも、2000年代にウーヴェが送り出した遺作群はアバランシェに負けず劣らずインパクト&クセ強モデルばかり。2005年にはカレラGTをベースとした「ミラージュGT」をリリースし、特注のラムエアインテークシステム、フリーフローのステンレス製エキゾースト、リマッピングされたECUを利用して、5.7リッターV型10気筒エンジンからさらに58馬力を引き出し、合計出力を670馬力、最大トルク630Nmへとチューンアップ。100km/h加速は3.7秒で、最高速は335km/hとスペシャルカーの面目を大いに保つ出来ばえ。
2006年には911ターボをベースにしたモデルにも「アバランシェGTR650ミラージュ」と名付けるなどウーヴェお気に入りだった様子。
ちなみに、こちらも社内チューンでもって650馬力までパワーアップし、8ポッド/380mmキャリパー、3つのインタークーラーを装備するなど「カッコだけじゃない」チューンドカーに仕上がっていましたからね。
そして現在はウーヴェの息子、マーク・フィリップ・ゲンバラが後を継いだというか「ゲンバラ」でなく「マーク・フィリップ・ゲンバラ」というブランド名でスペシャルカーをリリースしています。
911のオフローダー「マーシャン」は40台の限定で作成され、かの959をオマージュしたスタイルや、830馬力のチューンドエンジンなど、父親とはいくらか違った方向とはいえ、しっかりとゲンバラの名を継続させているのは立派ではないでしょうか。
もっとも、南アフリカで発見された遺体というのも本当にゲンバラ本人のものなのかはじつに怪しいところ(笑)。なにしろ奥歯一本での特定ですからね、ウーヴェなら自分で抜いて遺体にはめ込むくらいやりそうです。で、隠れ家でもってデッサンやアイディアを練り、息子に託している……なんて、ちょっと夢のあるストーリーではありませんか。
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みんなのコメント
今でも地方でたまーに見かける日本式バニングにほのかに香りが残ってる気が
本当の速さならルーフCTRだったが、エクステリアはポルシェまんまだったからね
ちなみにCTRは22万ドル前後だったが、日本では6000万円弱というウルトラぼったくり価格だった
当時のドル円はちょうど今と同レベル