■世界に挑んだメイド・イン・ジャパン
スーパーカー世代の筆者にとって、トヨタ「2000GT」は今も昔も変わらず、国産車のなかで唯一無比のスーパーカーであり続けている。たとえ、それが、私的スーパーカーの定義=マルチシリンダー×ミドシップ×2シーターの定義から外れていようとも。
トヨタが1000馬力、価格も1億円級のモンスターマシンを市販化へ
ブームの頃から「トヨ2」は別格だった。かの漫画の中ではヒール役の愛車だったが、欧米のスポーツカーに対抗できるという意味で、そうなるにふさわしい日本車だった。トヨ2には、他の国産スポーツカーにはない、湧き出るオーラがあったのだ。
トヨ2が放つオーラの源が、企画から市販までに費やされた開発陣の、熱情と献身と精魂にあったことは、論をまたない。モノ造りとはそういうものである。話の展開上、トヨ2誕生までの流れを簡単に記しておこう。
話の端緒はともかくも、トヨタ自動車とヤマハ発動機という4&2輪のトップメーカー連合によって共同開発され世に送り出された、という言い方が、概略として間違いがないはずだ。生産そのものはヤマハ発動機である。
昭和39年10月に企画がスタート。翌年早々にはトヨタ側の開発主力メンバーがヤマハへ出向している。受け皿としてヤマハに自動車部が発足したのは40年1月のこと。GPマシン王者メーカーとして世界最高峰にあったヤマハは、創立以来、ずっと4輪参入の機会を窺ってきた。
あの当時、トヨタにはまだなかった、高い技術力がそこに参集していたであろうことは想像に難くない。
トヨタは、最高のスポーツカーを作るため、もちろんそれに期待した。
たとえばDOHCヘッドや鋳造技術、FRP生産、内装用ウッドアマテリアルといった、ヤマハ周辺のテクノロジーが、結集されることになった。ヤマハの周辺技術を効果的に利用できたことが、短期間による開発を可能にしたと言っていい。
昭和40年8月。早くも1号車が完成。同年10月には東京モーターショーデビューをはたす。市販への期待が高まり、開発にも拍車がかかった。
テストコースでの試験ではなく、実戦におけるテストと改良を受け、その間、FIA公認記録会や耐久レース等でも大活躍する。
そして昭和42年5月、遂に発売開始。238万円という、今の感覚に喩えるならば2000万円級の超高級国産スポーツカー。ほぼ同時に公開された映画「007は二度死ぬ」にも登場した(トヨタのマーケティング活動の一環)こともあり、国産初のスーパースポーツが世界を大いに沸かせた。
それから、3年半後の昭和45年10月27日。磐田工場において最後の車両に最終検査合格印が捺印され、生産が終わった。短命に終わったのは、広告塔の役割を果たしたという判断に加えて、ビジネス上の問題(赤字覚悟のクルマであった)、とりまく環境の悪化(石油危機など)、といった要因が重なったからだった。
そんな歴史を反芻しながら、今、現車を目の前にして思うことは、トヨタ2000GTというクルマの功罪について、である。
「功」については言わずもがなだ。日本車史上に燦然と輝ける星であり、金字塔であるという事実だ。
■トヨタ2000GTの「罪」とは?
日本車の最高峰。今や伝説のクルマとなった。近年の”相場急騰”は、もちろん作為的な面もあったのだろうが、クルマそのものの魅力や価値に、他の国産車にはない”何か”を世界中のエンスージアストが反応したからにほかならない。
それが、モノの価値となってストレートに現れるのが、オークション相場というものだ。
翻って、「罪」とは何だろうか。それは、今や世界一となった自動車メーカーから、本当のスポーツカーを造るという機会を長らく失わせてしまったということである。
トヨタ2000GTは彗星の如く現れ、疾風の如く去った。その意味するところは、ビジネスとしてのスポーツカーが、トヨタの経営という文脈からは大きく外れてしまったということ。事実、トヨ2の歴史をトヨタが大切にし始めるのは、つい最近、21世紀に入ってからだったし、それまでは、社内的にタブーな存在だったという。
極論をいうと、トヨタという人も金も、即ち力のある会社が、クルマ造りに没頭するという機会すら、しばらくの間、奪ったのではなかったか。
あれだけのメーカーでありながら、トヨ2以降で心血を注いだと自他ともに認めうるクルマといえば、初代レクサスLS(セルシオ)とLFA、そして初代プリウスにミライ程度のものだろう。他に、目立って凄いクルマの出現はなかった。
要するに、トヨタ2000GTは偉大すぎたのかも知れない。そして、その偉大なモデルを、自らの手を油まみれにして作ったのではなかったという事実が、また、問題を複雑にした。
間近に寄ると、抱え込めてしまうんじゃないか、と思うくらいに小さい。このサイズでこのスタイリングが成立しているということが、トヨ2最大の魅力であることを改めて思い知る。
小さなドアを明け、ほとんど地面に座るかのように運転席へと体を滑り込ませた。いつみても素晴らしい景色だ。美しいダッシュパネルにメーターがすっきりと並んでいる。華奢なステアリングホイールに時代を感じる。
ひと捻りで目覚めた3M型DOHCエンジンからは、3連の三国工業製ソレックス型ツインキャブの息づかいとともに、いかにも機械らしいメカニズムの動作が、心地よい振動となってドライバーに押し寄せる。
拍子抜けするほどあっさりと走り出した。車重に見合ったトルクというべきだろうか、とても扱いやすい。
ドライビングフィールは、1950~1960年代に典型的な、FRグランツーリズモそのものだ。シャシーに1本の骨太な筋の存在を感じるのがトヨ2の特徴で、例のバックボーンフレーム構造が即座に思い出される。
クルージングが気持ちいい。ハイトのあるタイヤと安心感あるシャシーのおかげで、乗り心地もよく快適に巡航する。コーナーではハンドルを抱え込むようにして旋回すると、素直にノーズの向きが変わって、気分がいい。
決して、速さを期待してはいけない。けれども自ら操っているという感覚が何ともスポーティ。絶対的な速さだけがスポーツカーの魅力ではないことを、トヨ2もまたよく教えてくれる。
日本にトヨタ2000GTがあって本当に良かったと、改めて思う。
* * *
●TOYOTA 2000GT
トヨタ2000GT
・生産年:1967-1970年
・年式:1967年
・総排気量:1988cc
・トランスミッション:5速MT
・最高速度:220km/h
・全長×全幅×全高:4175×1600×1160mm
・エンジン:直列6気筒DOHC 24バルブ
・最高出力:150ps/6600rpm
・最大トルク:18.0kgm/5000rpm
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みんなのコメント
ホンダのご機嫌取りに必死な人間に2000GTを語らせると
こうなるという格好のサンプル。
世界一の量産車のカローラ、世界に認められたタフネスのランドクルーザー/ハイラックスを無視しているのはまあ悪意ありますよね。
スポーツカーなら、4WDラリーカーとして欧米に初めて打ち勝ったセリカ、運輸省のスポーツカー規制に風穴を開けたMR2があります。
セダン不遇の時代にも国内専用をプライドとするクラウン、日本手工業の極みであるセンチュリーのようなフラッグシップもあります。
日本一の実用車でありながら、後の高級ミニバンの先駆けともなったハイエースももちろん名車です。
素人の記事なら都合の悪い物を無視して良いかもですが、プロの記事としては不味いのでは?