1980年代後半から1990年代はじめまでの好景気(バブル期)には、意欲的な日本製スポーツカーが多く登場した。なかでも印象的だった5台を、小川フミオが選んだ。
スポーツカーは、あるピリオドごとに特徴をもつ。ここで紹介する日本製スポーツカーの特徴は、日本メーカーがもっとも挑戦的だった時期に開発されたもので、キャラクターがたっている。なので、いまでも”乗ってみたい”と思わせる“アピール力”が強い。
のんびり走るのにうってつけの1台──新型シトロエンC3試乗記
世界のスポーツカー史を振り返ってみると、1950年代以降は、北米市場の嗜好が、さまざまなファクターを決定するもっとも重要な働きを担ってきた。
世界でもっとも美しいスポーツカーといわれるジャガー「Eタイプ」(1961年)も、米国市場、とりわけスポーツカーを好む西海岸の市場がなければ、生産されたかどうか微妙、という説もあるぐらいだ。同様のことは、ポルシェやフェラーリにもいえる。
日本メーカーも例外でなく、北米市場に販売を支えられてきた。現地でブランド・イメージを確立し、かつ収益性を確保するには、スポーツカーは有効な手段だった。
北米市場では、8気筒エンジンが好まれる。とはいえ、V型8気筒エンジンを搭載するスポーツカーを開発するにはコストが要するし、おなじエンジンを使いまわしできる大型セダンやクーペを開発したら、今度は手のかかる販促キャンペーンが必要となる。
日本メーカーにとって、6気筒エンジンがせいぜいとしても、出力をしぼりだし、エンジン搭載位置や駆動方式に頭をひねり、さらに走行性能をあげるデバイスの数かずを考えて採用した。それがいわゆるバブル期のスポーツカーだ。
メーカーによってはミドシップなど、日本メーカーが“やりたくてもやれなかった”ことにチャレンジした。成功したモデルもあれば、あれれ……という結果だったモデルも。
総じていえるのは、このときの日本製スポーツカーはどれも、“ヤル気”に溢れていた。「日本だってここまでやれるんだ!」というマニフェストのような、熱量を感じるのが、バブル期のスポーツカーの醍醐味だ。いま乗っても、その熱は冷めていないと感じられるはず。
(1)トヨタ「MR2」(2代目)
「“ミスターツー”と、欧米の英語圏では呼ばれているらしい」なんていう言説が、逆に「それだけ話題になっているんだなぁ」と、メーカーの関係者でもないのに、なんだか嬉しい気分にさせられた。トヨタ肝煎りのコンパクトミドシップ2シーターである。
初代が登場したのは1984年で、当初は“パワー感が足りない”とか、“操作系がいまひとつスムーズに動かない”とか、“ロードホールディングがもうすこしだけよければ……”とか、いろいろ言いたくなってしまうクルマだった。
でも、こんなにインパクトのあるクルマは久しぶりだった。トヨタってやるなぁ、と、感心させられたものだ。1989年の2代目は、”走り”がさらに洗練された。
トレッドが、初代よりフロントで30mm、リアで5mm拡大し、ボディだけでなく、操縦安定性の向上がはかられていたのだ。同時にパワーアップ。「セリカGT-FOUR」用のインタークーラー付き2.0リッター直列4気筒ガソリンターボを搭載した。トヨタの本気が強く感じられるモデルである。
走りは、じゅうぶん以上に速く、カーブで気持ちよく曲がる特性にも感心。2.0リッター・エンジンで、全長4.1mというコンパクトなミドシップスポーツの世界を確立したのだ。市場のニッチ(すきま)にうまく入るコンセプトでもあった。
デザインのテイストも欧州的になったし、内装も、スポーティでかつ、クオリティがうんと向上。端的にいって、いいクルマになったのだ。ただし同時期にホンダがミドシップ6気筒のピュアスポーツカー「NSX」(1990年)を発表したことで、存在感がやや薄れてしまったのが残念だ。
(2)日産「スカイラインGT-R」(R32)
“ザ・スカイライン”という呼び名がふさわしいような、エポックメーキングなモデルが、1989年の8代目(R32型)。いまさらここでくだくだ書く意味がないぐらい、ファンのかたがたは内容を知悉しているだろう。
いま乗っても、4.5mの全長をもつ2ドア・ボディに、280psを(おそらく)超えるハイパワーで、それでいて車重は1.6t程度に抑えられているボディゆえ、じゅうぶんに楽しめるモデルだ。ボディパネルごとふくらませて、拡大したトレッドによるタイヤを収めるスタイルの魅力も衰えていない。
1985年登場の先代では、24バルブツインカムターボや4輪操舵のHICAS(ハイキャス)など意欲的なメカニズムを採用したものの、「ローレル」とあまりにも似よかった華のないスタイリングで、まったくウケなかった。その反省を活かして、同一ホイールベースのシャシーに、専用のマッシブなボディを載せたR32は一転して大ヒットした。
エンジンは専用に開発された大排気量、2.6リッター直列6気筒で、ツインターボ化。パワーもたっぷりあるうえに、よくまわる、みごとな調整がほどこされたパワープラントだった。4ポッド対向ピストンの通気式ディスクブレーキ採用で、速く走るには強力なブレーキというレースのセオリーを具現していたのも、クルマ好きの心にささったのだ。
電子制御によるトルクスプリット型4WDシステムも、ポルシェやアウディなどのハイパワー4WDのトレンドに合致していた。当初からレースへの参戦も発表されていたことも、製品に説得力を与えて成功の一因になったといえる。
もうひとつ、製品戦略もうまかった。1993年4月には、より走りに特化した「Vスペック」なるモデルを追加。ブレーキは径を拡大するとともに、高性能なブレンボ製とするなど、ハイパワーマシンのイメージをより強固なものとした。
(3)三菱「GTO」
インタークーラー付きターボチャージャーを備えた3.0リッターV型6気筒エンジン、ビスカスカプリングをセンターデフとリアLSD(リミテッドスリップデフ)に用いたフルタイム4WDシステム、4輪操舵、4輪ABS、前後可動スポイラーと、当時の三菱自動車のもつハイテク技術をつぎこんで開発された2ドア・クーペだ。
1990年に登場したときは、”NSXイーターか”とざわざわしたものだ。じっさいは、当初から北米市場を意識して、トルキーな(低回転域から太いトルクがある)3.0リッターV型6気筒をフロントに搭載したスポーティクーペだ。ミドシップでレースにも参加したホンダのスポーツカーとはコンセプトが異なっていた。
全長4.6mのクーペボディの下に収まっているのは、三菱のセダン「ディアマンテ」と共用するシャシーだ。北米でも上級市場をねらったため、ボディ幅は1.8mを超える。大きなクーペ、というのが当時の印象だ。
GTOというと、ある年代のひとには、反町隆史が熱血教師を演じた学園ものテレビシリーズが連想されるかもしれない。クルマの場合は、グレートティーチャーオニヅカではなく、グランツーリスモオモロガート(GT選手権の出走資格=ホモロゲーション)を取得していることを示すイタリア語で、フェラーリでよく知られている。
三菱の2ドアクーペはサーキットより、長距離ドライブや海岸線を流すのを得意とした。そんなクルマにGTOなんてオオゲサでは? と、思われるかもしれない。でも米国のポンティアックがパワフルな2ドアセダンに「GTO」の名称をつけて大ヒットを記録したこともあり(初代は1964年に登場)、目くじらをたてるほどのことではないともいえる。
2000年に生産終了を迎えるまで10年間にわたって、適宜、マイナーチェンジが実施された。なかには、高性能なゲトラーグ製ギアボックスや、ハイブリッドLSDなども含まれる。外観も当初は格納式ヘッドライトに、グリルレスグリル(明確な開口部をもたない)だったものが、最終的には大型ヘッドライトに、やはり大型開口部の、アグレッシブなデザインへと変わっていった。
(4)ホンダ「NSX」(初代)
日本のスポーツカーを代表する1台が、1990年に登場したホンダ「NSX」だ。開発に10年かけたとうたわれた、ミドシップ後輪駆動の2人乗りスポーツカーで、アルミニウムをふんだんに使用した軽量ボディに、3.0リッターV型6気筒ガソリン・エンジンを搭載していた。
ボディスタイルもユニークだ。ドーム型のキャビンに、ロングテールを組み合わせている。テール部分が大きいのは、ゴルフバッグを収めるスペースを確保するため、と、説明された。スタイルを犠牲にしてまでゴルフ場通い重視でいいのかなあと思った。でも、いま路上でみると、このテールゆえに個性がしっかり感じられるのも事実。
ノーズはホンダ車の常としてうんと低い。車高が1170mmしかない。それでもウェッジシェイプを実現している。タイヤは15インチしかないのに、車高が低いせいで、実際のサイズよりうんと大きく見えるほどだ。
デビュー時からパワーは、当時のメーカーの自主規制値ぎりぎりの280psあった。それに対して車重はわずか1350kg。カーブを曲がっていくときの身のこなしは、じつに軽快だった。パワーアシストがなく重い操舵の初期モデルでも、逆にリアルスポーツカーというかんじで、興奮した。
1992年には、ファインチューニングされたエンジンや、専用のダンパーや高性能タイヤなど、あらゆるところに手が入れられた「NSX-R」が登場。1995年まで作られたあと、排気量が3.2リッターに拡大したバージョンが2002年から2005年まで生産されたのだった。
スタイリングは初期型がもっともシンプルで、審美性が高いように思えるものの、どうせいま乗るなら、後期型のパワフルで、かつ各部の精度が高い「タイプR」の魅力も大きい。
(5)マツダ「RX7」(3代目)
3代目マツダ「RX-7」のデビューは印象的だった。ルマン24時間レースで、マツダ「787B」が優勝したのと同じ1991年に、発表されたのだ。
「13B」ロータリーエンジン2基を搭載。エンジン回転に応じて作動するタービンを切り替えていくシークエンシャルタイプのターボチャージャーを装着していた。255psの最高出力で、後輪を駆動するスポーツクーペである。軽量小型化できるロータリーユニットのメリットを活かして、重量配分も、前後50対50だった。
1985年から1991年まで作られた2代目は、”ポルシェ924スクール”と自動車デザイン界で言われる、グラスハッチを備えたフロントエンジン/後輪駆動のプロポーションで、ボディはドイツ車を思わせるクリーンなラインを持っていた。
3代目はがらりと路線変更。キャラクターラインをほとんど排して、ボディパネル面の”表情”で個性を作る、大胆な手法を採用し、なににも似ていない独自性でアピールした。
ユニークなのは、リアのトランク部分にノッチをつけたスタイルだ。そこに大型ウイングを設けることで、レーシー(レーシングカー的)なキャラクターが強調されたのも独自性があった。
当初はマツダの別チャネル「アンフィニ」ブランドで販売された。1997年にマツダが戦略を変更し、販売網を縮小したことを受けて「マツダRX-7」に戻った。このときエンジンに手が入れられて、出力は280psへと向上。フロントマスクの意匠も少々変更されている。
2000年には、2シーター化により車重を10kg軽減するとともに、ビルシュタイン製ダンパーやBBSのロードホイール、レカロ製赤色フルバケットシートなどを備えた「タイプRZ」も発売。のちにこれがシリーズモデル化されたり、と、スポーティな仕様がいろいろ作られたのも、RX-7選びの楽しさになっている。
文・小川フミオ
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