いすゞ のみんなの質問

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いすゞの乗用車のデザインは凄く良かったんですよね?ですがいすゞが乗用車をのデザインに見合う品質の部品類を付ける事が出来なくて安っぽい車に為ってしまいましたよね?

エンジンも足回りも旧世代で残念な車でしたよね。安っぽかったけれど本当はハンドルにスイッチボタンが設定して有って、色々操作が出来る仕様でしたのでそれらが確り現実化してれば10年早い車に成ってたでしょうか?いすゞが乗用車を生産してたのをご存知の方々は高齢者ですよね?購入した方々は生存してませんか?

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回答一覧 (4件)

  • いすゞフローリアン
    教習所で運転しました。
    結構エンジンの調子が悪いのが多かった印象が残っています(w

  • いすゞの乗用車に品質上の問題があったのは確かですねぇ。
    サビは1985年登場の二代目ジェミニ(JT750)になって、雨漏りは1990年登場の3代目ジェミニ(JT760)になってやっと克服したぐらいですからねー。
    1990年に、日本車で雨漏りを心配するヒトなど、殆どいませんでしたよ。

    >エンジンも足回りも旧世代で残念な車でしたよね。

    残念ってのは、どうでしょうね?

    先ずサスの話。
    メカニズムの『目新しさ』と完成度は別の話で、ポルシェ944はマクファーソンストラット/セミトレーリングリンクの『20年前の』サス形式のままで世界一のハンドリングのFRスポーツカーと言われ、前後マルチリンクのR32スカイラインのターゲットモデルになったぐらいです。

    まぁサスに関しては、『メカ』と『セッティング』の両方ですよ。

    ホンダは、一見先進的なメカながらあれほど『机上の空論』を連発し(初代NSXや二代目プレリュードのフロントサス、シビックEF型のリヤサスなど、狙い通りに動いたらヤバいことが起こりそうな『机上の空論』サスでした)、それでも実際に運転してみるとセッティングが巧妙で、中々侮れないハンドリングに仕立てられていました。(この件に関してホンダの実験担当エンジニアは、ワタシに『カンタンですよ。とにかくサスが動かない様にセッティングすればいいだけ』と半ば設計のマヌケさに呆れながら、サラリと言ってのけました。なるほど、だからホンダ車はあの乗心地か・・・)

    ジェミニも、特にJT750のイルムシャーやロータスは、マクファーソン/トーションビームという当時の『ありふれた』サス形式ながら、他の日本のメーカーでは『作れない』と言われたハンドリングでした。(そして三代目のJT760では4輪マクファーソンとなって時代に追い付きましたが、リヤは悪名高いコンプライアンスステア『ニシボリックサス』になります。)

    また、リヤが古臭いリジッドサスで登場したピアッツァ。
    『みんな大好き』(?)AE86は、峠最速などと言われつつ後輪は古いTE71からキャリーオーバーされたリジッドアクスルでしたが、ハチロクは初代ピアッツァ(JR)よりも後に出たクルマです。
    ピアッツァが発売された当時は、リジッドアクスルはまだそれほど古いサスではなく、ピアッツァがデビューした当時、シルビアもまだS110の時代で、後輪はリジッドでした。
    まぁJRピアッツァは10年も作っていて、モデル末期には『時代遅れなサス』になってましたが、それでもロータスバージョンは古過ぎるトルクチューブ式リジッドから、AE86の様な5リンク式に変わり『プアマンズ・エスプリ』『プアマンズ・エクセル』などと言われ、ハンドリングには一定の評価がありました。

    そしてエンジン。
    JT750の後期型に登場し、JT760で主力エンジンとなったDOHCの4XE1エンジンは、度重なるロータスのエンジンコンペに生き残り、二代目エランの正式エンジンとして採用されました。
    このエンジンが採用されたのは、よく『当時のロータスと同じGMグループのいすゞからエンジン調達』と解説されていますが、これはデマで、ロータスのコンペで最後まで残っていたのは、当時ジムカーナで最速だった(GMとは関係ない)三菱の『サイボーグ』エンジンでした。サイボーグは非常によいエンジンで、いすゞはエンジンチューナーの小山ガレージのライトチューンを標準化し、ロータスの社内コンペで採用を勝ち取りました。
    4XE1は、同時代のサイボーグやトヨタの4A、ホンダのZCなどと並び『当時の世界最強』の1.6ℓエンジンの一つだったと言えます。

    尚・・・4XE1以前、最初期のJRピアッツァに搭載された2バルブのDOHCエンジンG200Wは、鈴鹿12時間耐久時代に最速を誇ったベレットGT-XのG160Wエンジンを拡大したものです。
    このエンジンは日本初のGT-R(ベレットGT-R)に搭載されて市販され、またG160Wを拡大したG180Wは、全日本ラリーで最速の1台だった初代FRジェミニZZ-Rに搭載されるなど、レースの現場で結果を残して来たエンジンです。
    勿論、FFジェミニが登場した頃には『いにしえのレーシングエンジン』でしたが、それを言うなら、日産のS20やトヨタの2T-Gも昔の古ボケ・エンジンということになりますが、今そんなことは誰も言いませんよね?いすゞのG-W系エンジンも、そういう名機の一つです。

    >いすゞが乗用車を生産してたのをご存知の方々は高齢者ですよね?

    最後のジェミニを国内販売したのは1993年なので、もう30年前ですね。
    その頃免許を取得したヒトでも、もう40代後半というかアラフィフ世代、もう充分おっさん/おばさんですが、まだジジィ/ババァというほどではないのでは。
    更に言うと中古車は10年ぐらい残るので、いすゞ製乗用車を知ってるヒトは、全て高齢者というほどではないでしょう。
    まぁいすゞがジェミニやピアッツァ、アスカ(ってのもありましたねー)など色々なモデルを作っていた頃を知ってるヒトは、もう還暦を超えているガチのジジ/ババでしょうが。いすゞ自体にも、乗用車を開発していたヒト達は定年でもういないでしょうね。

    いすゞ車が売れなかったのは、クルマ自体は個性的で、(単なるセダンでも)かなり面白いクルマだったのに、品質がイマイチでリピーター(買い替えでもいすゞ車を選ぶヒトのこと。いすゞに限らず自動車販売で販売台数を増やすには、このリピーターの存在が非常に重要です)が少なかったのと、販売店の販売力が脆弱だったのが原因だろうと思います。

    例えば当時・・・東京トヨペットの社長が交代した時、自動車工業新聞のインタビューでトヨペットの販売力の『強さ』を説明するのに、『例えば他社にピアッツァというクルマがあるが、我々なら年7000台は売る。あのクルマには、そのくらいの魅力はあり、我々ならそれが生かせる』と言うようなことを指摘しました。
    当時いすゞでは、ピアッツァを年250~300台程度しか売っていませんでした。単一モデルとしてはフェラーリよりも少なく、製造は殆ど『手組み』で(製造ラインはベルトコンベアに引っ張られた『強制駆動』ではなく、手押しの台車でした)、それを最上級グレードでも¥350万ぐらいで売っていたので、いすゞのエンジニアさえ『フェラーリよりもコスト・パフォーマンスがいい』などと自虐的に言ってました・・・・。

  • 墓地の件でお世話になった石材屋には117クーペが置いてある。
    知っている人は3年前までジェミニのイルムッシャーに乗っていた。
    アスカのナビ5は衝撃だった。

  • 一昨日都内でJT151ジェミニとすれ違いました。JT150ジェミニはジウジアーロデザインだったけど、151はいすゞの自社内デザインに変わって、デザイン面ではそんなに評判良くなかったです。

    自社製ジェミニは30年ほど前まで生産されていたので、新車で購入した人もけっこう生き残ってるでしょう。いすゞ車は古い部品が比較的手に入りやすいらしく、中古車もそれなりに活発に流通してたりします。

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