第86回ル・マン24時間レースを制したTOYOTA GAZOO Racingの中嶋一貴は、アンカーを任された最後の2時間を振り返り、特に最終ラップは無線で気の利いたことも言えないほど余裕がなかったと語った。
今年で7度目のル・マン挑戦となった中嶋。2014年には日本人初のポールポジションドライバーとなったが、決勝では悔しい思いをしてきたことが多かった。特に2年前の2016年はポルシェとの激闘を制しトップでファイナルラップを迎えようとしていたが、残り3分のところでトラブルが発生。チェッカー目前にしてマシンストップを余儀なくされた。
今回はレース序盤から安定した走りでトヨタ2台がリードする展開。その中でトップを維持していた8号車に中嶋がチェッカードライバーとして乗車。2年前とほぼ同じシチュエーションだった。
「ちょうどゴールまで2時間20分ぐらいありましたが、多分自分がチェッカーを受けることになるだろうなとある程度理解はしていました」
そう、最終スティント当時のことを語った中嶋は、最後まで何が起こるか分からないと頭の中では思いつつも、2年前のようなことにはならないと直感的に理解していたという。
「ただ、2年前と違うのは、今年に関して言えばクルマがトラブルでダメになるということはないだろう……と思っていたわけではないですけど、体が理解をしているような感じでした。やっぱり冬の間から今年に向けて色々準備してきた過程を知っているし、しっかり準備してきてくれているのを見てきたので、そういうところからくるもの(自信)だったと思います」
「どちらかというと、自分が何かミスをしてレースを台無しにしないようにという気持ちの方が非常に強かったです。ある程度、7号車ともタイム差もありましたし、失敗しないようにという(気持ち)のが先行してしまって、ちょっとリズムに乗れないところもありました。その中でもクルマをしっかりコース上に留めようということを意識していました」
そして7号車とランデブーで迎えたファイナルラップ。中嶋は事前に無線で冗談を言おうと考えていたそうだが、いざステアリングを握ると、そんな余裕は全くなかったという。
「7号車と一緒に最終の1周を走りましたけど、本当は(マシンに)乗る前とかは、最後の1周に無線で冗談を言おうかなと思っていたことありましたし、後で聞いたら実際にチームの人にも(冗談の無線を)期待していたらしいですね(笑)」
「ただ乗っていたらそこまでの余裕はなく、本当にクルマをチェッカーに持っていくということに集中して、それ以外のことを考えられる余裕はなかったです。チェッカーを受けてからも、無線で気の利いたことを言えなかったです」
「あまり何を考えていたのか、覚えていないというか……それだけ目の前のことを考えていたんだと思います」
実際に余裕がなかったのか、8号車の後ろでファイナルラップを迎えた7号車の小林可夢偉はコース後半のポルシェコーナーからフォードシケインでのエピソードをこのように語った。
「最終ラップの中嶋さんが、ゆっくり走ってくれたらいいのに、ポルシェコーナーくらいで4台くらい抜いていって、焦って『ここを(抜きに)いくのか?』って、すぐ無線で確認しました」
「僕は『これ、(無理に抜きに)いかなくていいから(8号車に)言ってくれ』と無線で言ったんですけど、それを気にせず抜いていった感じでしたね。最後までアグレッシブだった中嶋さんを追いかけながら、あたふたしていましたが、最後は何とか2台並んでチェッカーを受けられました」
これに対し中嶋は「……チェッカーを受けたことがないので、最後どんな感じかよく分からないんですよね。僕も可夢偉が後ろにいるんで、一応気は遣っていたんですよ。あまりガンガンいくと間が空いちゃうので良くないと思っていたのですが……何しろ経験がないので」と苦笑いで言い訳していた。
ただ、このレースでは“勝って当たり前”という巨大なプレッシャーと戦っていた中嶋と小林。レースを終え帰国した今でも、中嶋「本当にホッとしたという気持ちが強くて、今でも抜け殻のようになっています」とコメント。小林も「僕たちにとっては非常にプレッシャーのあるレースで、(ル・マンが)終わって日本に帰ってきたら風邪を引きました」と語っていた。
無事に目標を達成し、プレッシャーから解放された安堵の表情をみせていた2人が非常に印象的だった。
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