■1969年に発売された名車と迷車を振り返る
普段の生活のなかでも何年かごとに訪れる「節目」を意識することはありますが、クルマについても節目が存在します。
クルマの場合は、発売10年目から50年目までの10年刻みであったり、25年も節目として使われることが多々あります。
なかでも50年は別格で、現行モデルで50年以上の歴史があるクルマは数える程度です。では、いまからちょうど50年前の1969年に発売されたクルマは、どんなモデルがあったのでしょうか。5車種ピックアップして紹介します。
●マツダ「ルーチェロータリークーペ」
イタリア語で「光」や「輝き」を意味する「LUCE」の名を冠したマツダ「ルーチェ」は、1966年に発売された、1.5リッターエンジン搭載のミドルクラスセダンです。
当時の1.5リッタークラスで唯一の6人乗りという広い室内を持ち、最高出力78馬力を発揮する同クラス初のSOHCエンジンを搭載するなど、先進的なモデルでした。
そして3年後の1969年10月には、ハードトップクーペボディに 最高出力126馬力を発揮する655cc×2の新開発ロータリーエンジンを搭載した「ルーチェロータリークーペ」が発売されます。
ロータリーエンジンのコンパクトさを活かし、駆動方式はクラス初のFFが採用されました。しかし、セダンのルーチェはFRだったため、ルーチェロータリークーペは、まったく別のクルマという扱いです。
伸びやかで流麗な美しいボディは、優れた高速走行を実現。ルーチェロータリークーペは、個性的なフォルムとメカニズムによって、高級パーソナルカー市場に一石を投じる存在となりました。
しかし、大卒の初任給が約3万円だった時代に145万から175万円で販売され、とても高価なクルマだった上に、設計に起因する不具合などもあり、販売は低迷。
1972年に販売を終了し、トータルの生産最数は1000台に満たなかったといいます。
●三菱「コルトギャラン」
本格的なハイウェイ時代の到来とレジャーなど生活行動の多様化を背景に、1969年12月、三菱「コルトギャラン」が発売されました。
後に続く「ギャラン」という名を冠したのは、この「コルトギャラン」が初代です。
ボディタイプは当初4ドアセダンのみでしたが、翌年には2ドアハードトップとバンが追加されました。
ボディのデザインはくさび型シルエットの「ダイナウェッジライン」を採用。直線と曲線を巧みに使って、力強さと美しさを兼ね備えています。
搭載するエンジンは、三菱初となるSOHCの1.3リッターと1.5リッター直列4気筒で、戦前に製造していた航空機用エンジン「金星」「火星」の名称にならい、「土星」を意味する「サターン」と命名。
室内は1.6リッタークラスを上回る広さを実現。前席レッグスペースとともに、後席のヘッドクリアランスにもゆとりがあり、大容量のトランクも確保されていました。
さらに、1972年の第7回サザンクロスラリーで、総合優勝するなど、国内外のラリーで輝かしい成果をあげ、スポーツセダンとしての地位を盤石にしました。
●ホンダ「1300」
本田技研工業の創業者、故・本田宗一郎氏は、空気でエンジンを冷やす「空冷」至上主義だったことは有名です。空冷はシンプルな構造でラジエーターやウォーターポンプが必要ないため、信頼性や低コストだったのは確かです。
実際に、ホンダはクルマやとオートバイのみならず空冷のF1用エンジンを作ってしまったほどでした。
そして、1969年4月にホンダ初となるセダン「1300」を発表します。1300は非常にユニークな空冷エンジンのクルマで、その名のとおり1.3リッター直4空冷エンジンをフロントに搭載し、前輪を駆動するFF車です。
ラインナップはエンジンの仕様で大きく2種類に分けられ、シングルキャブで最高出力100馬力のスタンダード仕様「77シリーズ」と、4連キャブで最高出力115馬力と高性能仕様の「99シリーズ」で、どちらも当時の水準ではかなり高性能なエンジンとなっていました。
ホンダは1300シリーズを「2000ccクラスのパワー、1500ccクラスの居住性、1000ccクラスの経済性を兼備した車」と説明していたほどです。
しかし、空冷エンジンの利点である軽量シンプルな構造とはかけ離れた、二重空冷という複雑な構造の重いエンジンは、操縦性にも悪影響をもたらしてしまい、販売は低迷。
1972年に1300(「145」に改名)は、水冷エンジンに移行し、ホンダの4輪用空冷エンジンは終焉を迎えます。
そして、後年1300は失敗作と揶揄されますが、このときに蓄積された生産技術のノウハウと、システム化された開発手法は、軽自動車の「ライフ」や大ヒットした「シビック」に活かされました。
■自動車界のレジェンド、初代「スカイラインGT-R」登場
●スバル「R-2」
「スバル360」といえば、日本が誇る偉大な軽自動車ですが、その後継車として1969年8月に発売されたのがスバル「R-2」です。
「てんとう虫」の愛称がついた特徴的なスタイルのスバル360とは違い、R-2はオーソドックスな2ボックスタイプのデザインに変わっています。個性的ではないものの、スバル360よりも広くなった室内によって、居住性と実用性は大幅に改善されました。
リアに搭載されたエンジンは360cc空冷2サイクル2気筒がスバル360から踏襲され、出力は30馬力を発揮。400kg台の軽量な車体には、十分な出力となっています。
そして、1970年には36馬力を誇るスポーツバージョンの「R-2 SS」が加わり、1972年には水冷エンジンを搭載するなど、ラインナップを拡充します。
その後、1972年に発売されたモダンなデザインの「レックス」と併売されていましたが、軽乗用車はレックスに一本化され、1973年にR-2の販売は終了。
12年間販売されていたスバル360に比べ、4年間の販売にとどまったR-2の現存数は少なく、いまとなってはかなりの希少車です。
●日産「スカイラインGT-R」
1966年に日産とプリンス自動車は合併し、両社の技術者がタッグを組んで新たなクルマ作りがスタートしました。
そして、1968年には日産ブランド初の「スカイライン」が発売されます。通算3代目となるスカイラインは「ハコスカ」の愛称で親しまれました。
ボディバリエーションは当初、4ドアセダン、5ドアステーションワゴン、5ドアバンのボディタイプで発売され、後に2ドアハードトップが加わります。
エンジンは、2リッター直列6気筒の名機「L20型」を搭載したグレード「2000GT」シリーズをフラッグシップとし、ほかに1.5リッターと1.8リッターの直列4気筒を搭載したモデルもありました。
3代目でもっとも大きな出来事だったのは、初代「スカイラインGT-R」が誕生したことです。
この初代スカイラインGT-Rはレースに勝つために作られたモデルで、1969年2月に4ドアセダン(PGC10型)が登場し、1970年10月には2ドアハードトップ(KPGC10型)へとチェンジします。
エンジンは、プリンスのレーシングマシン「R380」のものをベースに公道走行用にデチューンした、2リッター直列6気筒DOHCの「S20型」を搭載。最高出力160馬力を誇り、量産車世界初の1気筒あたり4バルブを採用していました。
そして、スカイラインGT-Rによるレース初勝利は相手のペナルティによる辛勝でしたが、そこからは破竹の勢いで勝ち続け、49連勝を含む通算52勝を飾ることになります。
※ ※ ※
いまから50年前の1969年というと、東京オリンピックが開催された5年後で、翌年に大阪万博を控えていました。
その影響で大都市の道路整備とともに高速道路網が拡充し、各メーカーは出力と速度の向上はもちろんのこと、乗り心地や運動性能、安全性能といったところも向上させようとした時代です。
ここから国産車は一気に進化していったわけですが、1960年代から1970年代にかけては、日本のモータリゼーションのターニングポイントだったのかもしれません。
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