現在位置: carview! > ニュース > 業界ニュース > 【1969年日本グランプリの記憶(6)】日産の圧勝で終わった日本グランプリには「続き」があるはずだった

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業界ニュース 2019.7.10
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1968年、1969年と日産に連敗を喫したトヨタは、1970年にその雪辱を期すべく新型車の開発を加速した。日産もこれに応戦、1970年はさらにその戦いはヒートアップするはずだった。(タイトル写真は1970年日本グランプリのために開発が進められていたニッサンR383)

もし1970年日本グランプリが開催されていたらどうなっていたのだろう
1969年日本グランプリ終了後も、日産とトヨタはプロトタイプカー開発の手を緩めなかった。

    運転免許証番号、12桁の意味。最後の一桁であれがわかっちゃう!

1970年10月に予定されていた日本グランプリでの3度目の対決に向け、それぞれニューマシン開発をさらに加速させたのである。(Webモーターマガジン)

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みんなのコメント

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  • nan*****|2019/07/10 19:34

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    福澤家との訴訟を抱えながらもトヨタはカンナム参戦を進める。金谷秀夫獲得に失敗した為河合を乗せる事にするが、鈴鹿でハブが壊れ河合も亡くなりカンナム計画は中止となる。
    7ターボはアルミパイプフレーム+バルサリブ組みのウイングだったため、やはり安全性には疑問を残している。
    またR383とされる車両は、382系シャーシに新造したカウルを載せたもので完全なR383ではないらしい。因みにカンナム行のドライバーは北野元が内定していたとの事。
    7ターボは富士でデモランを行った後はトヨタで保管されるが、R383は77年頃の東京モーターショーに突如展示されている。
    CG誌は疑問を投げかけたが、今思うとモータースポーツ、特にロードレース活動本格再会の意思表示だったのかも知れない。
  • yk1*****|2019/07/10 23:53

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    1970年じゃねーよ。1969年は完敗も完敗で確か
    3周遅れじゃなかったかい。追いつくはずがねーだろー
    またYAMAHA製エンジンを積むのかい。当時TOYOTAは
    DOHCエンジンの量産が出来ずYAMAHAに作ってもらって
    いましたな。レビンやトレノのエンジンは全てYAMAHA製
    でしたやろーその当時の事なら皆知ってるよー。
  • hab*****|2019/07/10 21:52

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    で、今のWECでは自動車メーカーとしてはトヨタだけが頑張っていて、その他が寝た子状態。

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