有名な映画に登場したことで人気に火をつけた
登場したばかりのマツダ3。つまりアクセラのルーツとなるのが、マツダのファミリアだ。マツダを代表する2ボックスハッチとして人気を博し、その車名の通り、ファミリーカーとしても長く愛用されたモデルだ。そのなかでもエポックとなるのが1980年に登場した5代目だろう。
【バブル世代】デートカーブームに火を付けた懐かしいクルマたち!
1963年に登場した初代は商用車版が先行したこともあり、カローラやサニーなど、当時のライバルに出遅れた感はあった。しかし1967年の2代目では一転してアカ抜けたデザインとなり、ロータリーはスカイラインGT-Rと死闘を繰り広げるなどの伝説を残している。その後の3代目(1973年)はオイルショックの影響で、ロータリーを廃止。4代目は2ボックスを採用したが、FRを採用していた。ちなみに映画『幸せの黄色いハンカチ』で主人公役の武田鉄矢が乗っていたのも、この4代目だった。
そして2ボックスを受け継ぎ、世界的な潮流となっていたFFを採用して登場したのが5代目だ。大ヒットとなり、販売台数も他社のライバルを押さえてトップになることもたびたびあったほど。1982年には生産100万台達成の最短世界記録を樹立。その結果、登場年と同じ1980年に始まった日本カー・オブ・ザ・イヤーの第1回大賞車に輝いている。
若者がサーフボードを載せてドライブしたことが話題に
それほどまでに人気が出た理由はというと、1980年代の幕開けとともに登場したという新時代感が大きいだろう。そのイメージを全身でアピールするエッヂシェイプの効いた直線基調でクリーンなデザインは、ライバルたちにはなかったもの。角目のヘッドライトも同様に未来感があった。
なかでも赤いボディカラーが一番売れ、おかげで5代目ファミリアといえば赤というイメージだったし、当時としては画期的だった電動サンルーフが標準装備されていたXGというグレードが人気で、正確には赤いXGがヒットしたと言っていいだろう。実際は青も人気だったが、いずれにしてもボディカラーについてはそれまでにない色が新鮮だったのは事実だ。
そして伝説的エピソードとして語り継がれているのが、「丘サーファー」たちがこぞって乗っていたということだろう。もともとは実際にサーファーが乗っていたのを見て、サーフィンをやらない若者たちが真似をして、サーフボードを赤いファミリアのルーフに乗せて街を走り回っていたのを丘サーファーと呼んだが、ファミリア人気に拍車をかけたのは事実だろう。
エンジンは直4のみで74馬力の1.3Lと85馬力の1.5Lの2本立てで、こちらについては平均的なものではあったが、足まわりには2本のロアアームと長いとレーリングアームを組み合わたSSサスペンションを採用。さらにトルクステアの原因だった左右不等長のドライブシャフトを独自アイディアで解消し、ニュートラルなハンドリングを実現するなど、メカニズム面も意欲的だった。マツダだけでなく、その後の2ボックスFF作り全体に影響を与えたと言っても過言ではない。
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