現在位置: carview! > ニュース > 業界ニュース > 【星野一義】1960年代から70年代「欧州F2挑戦を糧に国内F2、GCダブルタイトルを獲得」【日本一速い男の半生記(3)】

ここから本文です
業界ニュース 2019.3.13

【星野一義】1960年代から70年代「欧州F2挑戦を糧に国内F2、GCダブルタイトルを獲得」【日本一速い男の半生記(3)】

  • みんカラ つぶやく
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「日本一速い男」と呼ばれ、かの元F1ドライバーE・アーバインをして「日本にはホシノがいる」と言わしめた「星野一義」。通算133勝、21の4輪タイトルを獲得した稀代のレーシングドライバーの50有余年に渡る闘魂の軌跡を追う。(「星野一義 FANBOOK」より。文:小松信夫/写真:SAN’S、モーターマガジン社)※タイトル写真は1975年JAFグランプリでのFJ1300(東名マーチ733・ニッサン)

「日本一速い男」の呼び名を確立
1977年シーズンの星野は、国内レースでは盤石の強さを見せている。フォーミュラカーではFJ1300からは卒業してF2000に専念し、前年から熟成を重ねてきた国産F2000マシンのノバ512B・BMWに乗って7戦3勝、7PP(ポール・ポジション)を記録して2度めのチャンピオンの座に着いた。

    見た目は運転免許証に似ている「運転経歴証明書」って何?【くるま問答】

 さらにスポーツカーレースの富士GCでも4戦2勝、3PPでシリーズ2位。驚くべきことに1978年にはF2000から改称された全日本F2シリーズで3勝して2連覇。

そして富士GCでは5戦3勝、しかも3勝いずれもポールtoウインという驚異的な速さを見せて初のGCタイトルを獲得する。名実ともに「日本一速い男」としての地位を確立した時期だと言える。

まさに脂の乗り切った年、星野は初めての海外遠征に挑んでいる。富士でのF1GP参戦では越えられなかった世界への壁に挑むため、6月にヨーロッパF2選手権へスポット参戦したのだ。マシンは国内最速のノバ532、BMWエンジンはヨーロッパにもその名を轟かすケン松浦チューン、メンテナンスはノバ・エンジニアリング、タイヤはブリヂストン、スポンサーはペンタックス。

国内で星野を支えてきた最強のチーム体制をそのまま持ち込んでの、満を持してのヨーロッパ挑戦のはず、だった。

しかし、乗りに乗っていた星野をもってしても、富士や鈴鹿に特化して開発されたマシンやタイヤを、ヨーロッパのコースにマッチさせることができず、苦戦の連続となってしまう。コースのコンディションによって一瞬は光る走りも見せもしたが、ヨーロッパの強豪ドライバーたちと完成度の高い最新のF2マシンを相手に国内で見せたような速さ、強さをついに発揮することはなかった。

星野の名を世界に知らしめるはずが、1戦目のルーアンでは予選8位・決勝リタイア、2戦目のドニトンでは予選8位・決勝リタイアという屈辱的な結果に沈む。しかもドニトンでは国内から持ち込んだドライブシャフトのスペアパーツが底を突いて、予定していた3戦目のエンナを走ることもできないという、惨憺たる結末となってしまう。

この遠征からしばらく、星野はヨーロッパへの挑戦を封印する。そしてこの屈辱をバネに、国内のレースへと集中。年のF2・GCダブルタイトルに始まる、80年代序盤にかけての圧倒的な強さを見せるきっかけとなった。(80年代に続く)

  • みんカラ つぶやく
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

(Webモーターマガジン Webモーターマガジン編集部)

コメントの使い方

みんなのコメント

ログインしてコメントを書く

  • jin*****|2019/03/13 21:59

    違反報告

    星野 一義 選手の凄さを感じたのは、スーパーシルエット・レースで、ハイパワーで曲がりにくい「シルビア・スーパーシルエット ターボ」を、ものすごいドリフトで、いとも簡単にコーナーをクリアしていたとき。現在のような電子ディバイスが存在しない時代、ホンモノのテクニックを発揮していた。
  • nan*****|2019/03/13 23:42

    違反報告

    引き続き説明不足が見られる、この頃になると星野は漸く勝てる環境が整って来た。所謂「日本一速い男」とメディアも書いた為も有ろう。ノバ53は星野スペシャルで、星野の為に宮坂弘が設計し、チームが造った車両。「マーチと違いたわみが少なく、よく曲がる」と話し、優勝を複数回記録している。
    海外で結果を出せなかったのは、寧ろ富士スペシャルだったノバF2のシャーシ特性と耐久性不足も大きい、駆動系もトラックの流用部品を使った箇所が壊れたのは知られた話。
    この時代の星野が速くなったのも、体制が整い始めたからやろ。寧ろこの時代は楽しく走れる様になったんやないかな、しかしながらこの後またしても逆境が訪れる。星野がどう対処したのかはまな次回(笑)。
  • ken*****|2019/03/14 00:12

    違反報告

    良くも悪くも日産色が強すぎたかな?
    日産からは多くの支援を得たし
    彼の数々の経歴を飾ったけど
    日産はフォーミュラーに興味示さず
    契約上、最強のホンダEGは使えずに
    国内F2では中嶋悟に主役を奪われた
    当時、日本人がF1に行くのは
    現実味の無い、夢物語で
    ヨーロッパの地で実績を上げるしか
    方法が無かったが
    恵まれた現状を捨ててまでの
    チャレンジが出来なかったのだろう
    後に日本人初の
    F1レギュラードライバーに
    中嶋が選ばれるが
    彼もホンダの支援が有ればこそ
    だっただろう


(株)カービュー関連サービス

メールマガジン メールマガジン

愛車無料一括査定

あなたの愛車今いくら?

車の種類を選択
事故車 商用車
お住まいの郵便番号を入力
-
※郵便番号がわからない方はこちら

※(株)カービューのページへ移動します