1978年~1979年 ハムトラック発リトルレッド急行
1978年、全米各地にあるダッジ・ディーラーの裏通りが、やたらと黒く変色しはじめた。スーパーカー/マッスルカーが環境への懸念や保険料の高騰、安全性の向上を謳う法制度の締めつけによって骨抜きにされてしまうまでは、どこでも比較的おなじみだったタイヤのバーンアウトによる路面の黒変であった。
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この年「本当にワルいやつ」はダッジにいた。リル・レッド・トラックと呼ばれるそいつは真っ赤なピックアップ・トラックだった。
1970年代後半のデトロイトからロールオフした最後のアメリカン・ホットロッドと呼ぶべきこの車のニュースは、各地でくすぶっていたストリートの元ならず者たちに「いまでもその信仰に揺るぎはないか」と問うてまわる役割を務めた。ダッジ・ディーラーのショールームでは試乗車のキーが宙を飛び交い、行儀の悪い巡礼者たちがあっというまに溶かしてしまうタイヤの交換作業に追われた。
ほどなくリル・レッド・エクスプレスと呼ばれるようになるこのピックアップは、同年のシボレー・コルベットよりも速かった。
からくりを説明しよう。クライスラーのパフォーマンス・チームを当時取り仕切っていたトム・フーバーは、EPA(アメリカ合衆国環境保護庁)がスーパーカー/マッスルカーに課して滅びに向かわせた厳しい排気ガス規制の「抜け穴」をみつけ出した。
GVWR(グロス・ビークル・ウェイト・レーティング、車両総重量定格)6,000ポンド以上になるピックアップ・トラックに関しては、環境にはやさしいがパフォーマンスを下げる触媒コンバーターの装着が義務づけられておらず、またEPAによる再認証を受けることなく限定的なエンジンの改造をおこなうことが許されていたのだ。
360キュービックインチのハイパフォーマンスV8エンジン(圧縮比8.4:1は排ガス規制にもちろん適合)にロードフライト727オートマチック・トランスミッション、3.55:1のスーパーグリップ・リア・ギアリング、カーター製の大型4バレルキャブ、ドアの後ろにそそり立つ印象的なクロームスタック……数え上げればきりがないそれらの仕様すべてが、居合わせた者すべてにかつての興奮を思い出させ、『カー・アンド・ドライバー』誌による信頼すべきロードテストの結果――0-100MPH(車の静止状態から時速100マイルに達するまでの所要時間)においてこの赤いトラックが1978年のアメリカンカー最速を叩き出した事実――がそれを裏づけ、車を「本物」にした。
「荷物を積んだら重くなる」という誰でもわかる理屈が、このときピックアップという存在を逆説的に身軽にしたのである。一度は安全のため、環境のため、調和のとれた社会のために、血の沸き立つようなワイルドさを捨てたはずのギアヘッズたちは、ある日ふらりとどこかへ出かけて、荷台がからっぽの赤いピックアップ・トラックに乗って帰ってきた。そして、そんな現場にはやはりmpcが居合わせた。
最後まで立っていた男がチャンピオンと呼ばれる習いのとおり、mpcは1979年にこのリル・レッド・エクスプレス・トラックを品番1-0427としてキット化した。1年の遅かりしキット化に思えるかもしれないが、mpcはこのリル・レッド・エクスプレス・トラック誕生前夜の先触れというべきモデル、ダッジ・ウォーロックのキット化に取り組むことで、新製品の開発スケジュールをきっちりいっぱいにしていたのだった。
その路線は1976年から始まっていた
ダッジ・ウォーロックは古典的なD/Wピックアップとははっきりと毛色の違うモデルで、大胆にも「アダルト・トイ」(大人のおもちゃ)と広告に銘打った、同社にとって初めてとなる本格的なスペシャルティー・ピックアップだった。
これまでピックアップといえば、仮に映画に出演する機会を得たとして、それは単なる風景の一部に過ぎないか、脇役の個性を演出する小さな一部と相場が決まっていたが、スペシャルティー・ピックアップはエキストラの群れのなかでいかにその存在を際立たせるかがあらかじめ充分に検討されており、美しくクールでタフな外見・気の利いた演出が随所に盛り込まれていた。
ウォーロックはブラック、レッド、ブルー、グリーンをコアカラーとしつつ、特色の要望にも柔軟に応じられる体制が用意され、オーク材のサイドをそなえたユーティライン・ベッドがあり、キャビンには最初からバケットシートが据えられ、エクステリアにはゴールドのピンストライプが走り、カスタムホイールもインパクトのあるゴールド仕上げ、インテリアのアクセントにもふんだんにゴールドが用いられた。ゴージャスで気分のよくなる車だ。
これまでの垢抜けないピックアップとはまるで違う、こうしたピックアップを所有することが1970年代を生きる者にとってはひとつの新しい表現となった。粗末なあり合わせで野良仕事に駆り出されたというピックアップの起源を思えば、これはスタイリッシュな革命でもあった。
この動きはフォード・Fシリーズ・ピックアップのような普遍的な存在にも影響を与え、それまでは実用本位の視点から大きく分かれるだけだったフレアサイド/スタイルサイド(シボレーでいうステップサイド/フリートサイド、ダッジではユーティライン/スウェプトライン)といったスタイル区分に、純粋に装飾デザイン的な視点から生まれた「バンプサイド」というデザイン・ピリオドだけを示す呼称が加わった。
実用一辺倒な姿勢からそれまで「タスクフォース」といったいかにも実直さを感じさせる愛称を好んだシボレー・C/Kピックアップにも「アクションライン」というやはりデザイン・ピリオドだけをもっぱら指す公称があらわれた。ピックアップ・トラックはこの時代を迎え、仕事ではなくむしろ余暇の現場で消費されるようなイメージを積極的に獲得しようとする流れをとりはじめた。
1976年に生産ラインをロールオフしたウォーロックをキット化するにあたり、mpcはアニュアルキット時代のような拙速を避けて入念に取り組んだが、「デトロイトのやることにぴたりと伴走する」という点において、実車に遅れたリリースであるにもかかわらずキットはやはりアニュアルキット的でもあった。
息も絶え絶えになりながら、輝かしかった古い時代をなんとか復刻するしかなかったamtや、長らくほとんど変わらない品揃えで細々とビジネスを維持するしかなかったジョーハン、デトロイトのやることにそっぽを向いたカリフォルニア勢、いずれとも違う粘り強い姿勢で、コアビジネスの起死回生の一撃を図り、そのチャンスを逃さずつかんでかたちにする――mpc=ジョージ・トテフの面目躍如たるムーブは、ビッグリグやカスタムバンよりもこの時代のピックアップ・トラックにまざまざとあらわれた。
ライセンシーがライセンサーの値踏みをし、都合にあわせて寄ったり離れたりするという行為は、しばしばブランドや知的財産の軽視につながって、模型メーカーにとってはできの悪いキットを生み出してしまう原因にもなりかねない危険な行為だが、mpcはことをわきまえ、正しく行動した。mpcにはデトロイト・プラスチックのアラモ要塞(最後の砦)としての自覚と矜持があった。
レズニー傘下となったamtがくり出すラビットパンチ!
1978年、レズニー・プロダクツによるamtの買収が公のこととなった。親会社の意向により、慣れ親しんだミシガン州トロイの本拠地を離れ、メリーランド州ボルチモアへの移転をともなう作業は、一時的にamtの製品展開を停滞させるかに思われたが、経営体制の刷新がつねにイメージのフレッシュアップを現場に求めるように、amtはそれまでとまったく印象の異なる製品を市場へ急ぎ投入した。
フォルクスワーゲン・ラビット(本邦やヨーロッパでいうゴルフ)を筆頭とする1/25スケールのヨーロッパ車キットの発表であった。新体制の混乱と慎重さからか、まったき新規開発キットはラビットのみで、プログラムにはとにかく体裁をととのえるため、10年以上昔の「意欲作」であったメルセデス・ベンツ・300SLやサンビーム・タイガーが新装再販というかたちで組み込まれた。
この展開には、巨大なアメリカ市場をうかがうイギリス・レズニーの戦略がきわめて色濃く反映されていた。1/25スケールのヨーロッパ車はいまだ手つかずのブルーオーシャン、この分野をカバーすることで、レズニーはamtブランドをあらためて「世界最大のモデルカー・カンパニー」「国際的なテーマを扱う世界的ブランド」であるとアメリカ市場に印象づけようとした。
問題はそれが「アメリカ人はもっと紅茶を愉しむべきだ」とでも言い換えられそうなマーケティング・プランであった、ということだ。かつてamtがテーマの国際化を企図して勇躍キット化したメルセデス・300SLがいかにしてセールス不振に終わったか、サンビーム・タイガーの売れ行きがいかに当時人気のスパイ・ドラマに依存したものだったか、いかにもモダンだが所詮気軽な街乗り車に過ぎないフォルクスワーゲン・ラビットがいかにアメリカ的な拡張性に乏しい選択であるか、レズニー経営陣はほとんど聞く耳をもたなかった。
amtの現場にしてみれば、「キット化されていない車でありさえすれば売れる」「ましてやエキゾチックなヨーロッパ車!」などという楽観は、1960年代とともに終わったアメリカン・アニュアルキットがすっかり否定してみせた考え方であった。
1/25スケールのフォルクスワーゲン・ラビットのできばえは非常に素晴らしいものであったがゆえに相応の評判を呼び、1981年にはフォルクスワーゲン・ゴルフと名を変えてたった一度の再版も果たされたが、メルセデス・300SLやサンビーム・タイガーといったところは初手から売れ行きもさほど振るわず、すでに多額の資金を投じていたレズニーがamtの膨大な金型資産を「問題なく再活用できる宝の山」と考えることに固執し、新規キット開発になにかと難色を示したことも相まって、1/25スケール・ヨーロッパ車プロジェクトはじつにあっさりと、たった2年ばかりのうちに沙汰止みとなった。
市場の低調な反応に直面したレズニー/amtはただちに軌道を修正、先行するピックアップ人気と折衷させるかたちで、それ自体クーペ・ユーティリティーのおもちゃのような日本製ピックアップ、スバル・ブラットのキット化にこぎつけた。
ジョーハンはひっそりと、1979年に最後の新規開発製品となるキットを市場にリリースした。めったに声をあげることさえしなかった白鳥が最後に歌い上げたテーマは、79年式クーペ・デヴィルのスナップキット――かつて創業者のジョン・ハンリーが愛車とし、是非にと望んでキット化契約を取り交わしたキャデラックへの、ひどくもの悲しい賛歌であった。
本文の理解に支障なきよう、文中に登場したキットのオリジナル品番をまとめて以下に記す。参考とされたい。
mpc リル・レッド・エクスプレス・トラック 品番1-0427
mpc ダッジ・ウォーロック 品番1-0417
amt フォルクスワーゲン・ラビット 品番2001
amt メルセデス・ベンツ・300SL 品番2304(再販)
amt サンビーム・タイガー 品番2003(再販)
amt スバル・ブラット 品番2709
ジョーハン '79キャデラック・クーペ・デヴィル 品番CS-505
※再販版ダッジ・ウォーロック(品番MPC983)の画像は、有限会社プラッツよりご提供いただきました。
※リル・レッド・エクスプレス・トラックは、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影しました。
※また今回、amt製スバル・ブラットとフォルクスワーゲン・ラビットの画像を、読者の方(匿名希望)からご提供いただきました。
ありがとうございました。
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