レーシングエンジンを開発するメルセデス・ベンツのチューナーとしてスタートしたAMGが、なぜメルセデス・ベンツ全体のイメージリーダーにまで成長したのか。その真相に迫ってみたい。
チューナーから「究極のメルセデス・ベンツ」コンストラクターへ
AMGが誕生したのは1967年のこと。ダイムラー・ベンツ社でレース用エンジン開発部門にいたハンス・ヴェルナー・アウフレヒトとエアハルト・メルヒャーによって設立された。
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AMGのAは「アウフレヒト」、Mは「メルヒャー」、そしてGは誕生の地「グローザスバッハまたはグロースアスバッハ(ドイツ南部の田舎町)」を表すとされているというのは第1回で紹介したとおり。
ただし、グローザスバッハは正確には創立者アウフレヒトの生まれ故郷であり、そこで会社がスタートしたとされるが、実際に最初のAMGの工場があったのはドイツ・ブルクストールだった。
AMGの名前を一躍有名にしたのは1971年のスパ・フランコルシャン24時間レースで、今に続くAMGの強烈なイメージはこの時にすでに出来上がったのかもしれない。その後、AMGのファクトリーにはユーザーが殺到した。
1999年にはメルセデス・ベンツの100%子会社に
1976年には、工場をブルクストールから現在のアファルターバッハに移し、エンジンだけでなくサスペンションやシャシも手がけるチューナーとして発展していくことになる。
こうしてもはやAMGは単なるチューナーではなく、メルセデス・ベンツにとって要重なパートナーとなっていく。そして、ドイツツーリングカー選手権での成功などにより、その関係は盤石なものとなっていく。
そして1990年にAMGはメルセデス・ベンツと資本提携を結び、メルセデス・ベンツへのパーツ供給を開始、その後、共同で車両の開発も行うようになり、1999年にはメルセデス・ベンツ(当時はダイムラー・クライスラー社)の100%子会社となる。
資本提携、子会社化と時間をかけて段階的に関係を築いていったことにより、お互いの信頼関係と共通認識が確実に深まったことが大きいのだろう。
こうした流れの中でAMGのスピリットや伝統、「ワンマン・ワンエンジン」に代表される哲学は脈々と受け継がれ、さらに確固たるものになっていく。そして、AMGは「メルセデスAMG」として世界一級のプレミアムブランドに成長したわけだ。
ちなみに、AMGのロゴマークには数々の勝利を示す「月桂樹」、エンジンに対して強いこだわりを示す「カムシャフトとバルブ」、現在の本拠地アファルターバッハに由来する「林檎の木」が描かれている。
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