今や新車の99%がAT車だと言われる日本。逆にMT車に乗っている人が珍しがられることも多くなった。いっぽう欧州ではいまだにMTが根強いようだが、よくよく考えれば日本にも、MTが多数派だった時代があったはずだ。それが、いつのまに「MT嫌い」になってしまったのだろうか?
本稿では、MTが多数派だった当時をよく知る自動車評論家の清水草一氏が、欧米をはじめとした海外と日本とのMT事情を照らし合わせながら、現在MT車の置かれている状態、そしてこれからのMT車の未来について分析する。
米国仕様市販モデルをNYで初公開! 羨望の新型フェアレディZ
文/清水草一 写真/フォッケウルフ、TOYOTA
【画像ギャラリー】写真で見る日本人がMTを嫌いになった理由とは?
■世界でもトップのAT率
日本人は間違いなくMTが嫌いである。自販連のデータによると、2019年に販売された新車に占めるAT率は98.6%。これは、データが確認できるすべての国の中で最も高い数字だ。日本に続いてAT率が高い国はアメリカで、2017年のデータで97%となっている。しかしアメリカはAT発祥の地であり、もともとAT帝国だった。そのアメリカより、日本はAT率が高いのだから恐れ入る。
AT率は世界の中でも日米が突出して高く、それに続くのが東南アジアや中東、そしてオーストラリアだ。意外なことに中国ではまだMT車が売れていて、AT率は半数に達していない。これは、中国の民族系メーカーが作る安価なクルマの多くがMTであることが主な原因だ。
6年ほど前、筆者が欧州取材をした際に借りたレンタカーは、ゴルフヴァリアントのMT車だった!
自動車発祥の地・欧州でも、AT率はじわじわ上昇中だが、2010年の段階で17%。最近のデータは不明だが、まだ圧倒的にMTのほうがメジャーだ。欧州では、AT車が基本的に高級車に限られるので、お金持ちの多い国ほどAT率が高く、主要国の中ではドイツが約3割でトップ。しかしそれでも7割がMTなのだ!
その背景には、「ATはダサイ」という、日本ではカーマニアだけが持つ固定観念が、まだ広く浸透している事実がある。
数年前、イタリアで現地のクルマ好き(イタリア人の多くがクルマ好きだが)に、「イタリアではAT車に乗っているとモテないというのは本当か?」と聞いてみたところ「それはわからない。私には友人が何百人もいるが、AT車に乗っている者などひとりもいないから」という答えが返ってきた。
実際にはイタリアでも、AT車の新車販売率は2割近くにまで上昇しているはずなのだが、「そんなことはあり得ない。AT車なんて誰も乗ってないよ」とのことでした(笑)。
実際に歩いたイタリアの街並み。小型車が多いこともMT比率が高い理由のひとつかもしれない
■MT比率いつ低下? AT比率の推移
日本でも、「ATはダサイ」という考え方は、たしかに存在した。それはバブル期まで……だろうか。なにしろR32型スカイラインGT-Rには、AT車がなかったのだ(R33型にもR34型にもなかったけど)!
1990年当時、登場したばかりのR32型スカイラインGT-Rに乗っていると、歩道を歩いている人全員が振り返った。なかには走って追いかけてくる人もいた。つまりGT-Rは大スター。そのスターにはATがなくてMTのみ! それだけでもう、うっすらと「MTはエリート」「ATはダサイ」ということにならないだろうか?
初代NSXには4速ATがあったけれど、サッパリ売れなかった。これも間違いなく「ダサイから」である。当時の男子にとって、MTの操作は男として最も重要なものという感覚だった。欧米でも、クルマやクルマの運転はセクシーなものというのが、20世紀的な共通認識だ。
筆者の若かりし頃は、誰もがMT車で運転を学んだもの。しかし今やコンパクトカーのMT車などは風前の灯である
とはいうものの、日本で「ATはダサイ」のはスポーツカーに限った話で、一般的な乗用車に関してはそうでもなく、ハイソカー(マークIIなど)ではATがアタリマエだったし、それはそれでモテた。
思い起こせば1977年。15歳の高校生だった筆者の実家に、初めてのAT車(日産ローレル)がやってきた。当時ATは「ノークラ(クラッチペダルがないという意味)」とも呼ばれていたが、父が知り合いをこのクルマに乗せると、全員がクラッチペダルがないことに驚嘆し、「上り坂でブレーキを離してもバックしないんだぞ」と父が教えると、「へぇ~~! すごいですね!」と大感心していた。
1978年、2代目となったフェアレディZには初代モデルに引き続き3速ATが設定されており、北米市場でヒットした
国産車に初めてATが導入されたのは、1959年のトヨグライドで、1960年代から多くのモデルにATが用意されたが、1977年の段階でもまだ少数派だったのだ。1970年代、多くの日本人はまだAT車に接したことはなく、1980年代から急速に普及したと考えられる。
当初はどこか「ヘタクソ用」というニュアンスも存在したが、1977年、我が家の日産 ローレルに乗った人たちは、揃って「最新技術!」と恐れ入っていたので、そのようにポジティブに捉える人も少なくなかっただろう。
では、日本でAT率がどのように推移したかを見てみよう。
■日本におけるAT比率の推移
1985年/48.8%
1990年/72.5%
1995年/80.8%
2000年/91.2%
2005年/96.6%
2010年/98.3%
2015年/98.4%
2019年/98.6%
(日本自動車販売協会連合データより)
GT-Rは2ペダル車のみの設定。それは究極の速さを追求したいがため!
ATは1980年代、半数を超え7割にまで大増殖し、1990年代に9割を超えた。近年は98%台で頭打ち状態だが、もはや極限の数字と言える。20世紀中はまだ、MT派には「MTのほうが速いし、燃費もいい」という拠り所があった。
ところが21世紀に入るとその差がどんどん縮まり、ついには速さでも燃費でもATがMTを上回ってしまった。その時点でMT派の拠り所は趣味性のみになり、一種の変わり者扱いへと転落したのである。
■道路環境もMT比率激減の要因
コペンのようにATでも充分走りを楽しめるスポーツカーも生まれた
では、日本人が世界一のMT嫌いになったのは、なぜなのか? 理由のひとつは、日本人の意識の変化だ。
バブル期までは、クルマは豊かさの象徴だったから、MTには自慢や見栄(≒モテ)の一手段としての価値があったが、現在クルマは白物家電化し、運転はラクなほどいいものになった。一部のクルマ好きにとっても、ATのほうが性能がいいという事実が重くのしかかる。
もうひとつの理由は、日本の道路環境にある。日本は道路整備を後回しにし、戦後モータリゼーションの波が到来すると、どこへ行っても渋滞だらけになった。現在はかなり緩和されたが、人口密度の高さや警察の「止めてナンボ」の発想もあって、一般道はどこへ行っても信号だらけ。MTで楽しく気持ちよく走れる道路は非常に限られる。
カーマニアの私でも、日常の足にはAT車を選びたいと思っている。この環境では、見栄を張れるとかモテるといったインセンティブがない限り、MTが嫌いになって当然だ。
いっぽう欧州では、大都市内はさすがに混んでいるが、一歩郊外に出ればそこはドライバーのパラダイス。信じられないほど運転が楽しい。郊外ではラウンドアバウト(信号のない円形交差点)がほとんどなので、停止する機会は非常に少ない。MTの操作は「楽しい軽スポーツ」そのもので、これを拒絶してAT車に乗る者の気が知れない。
フィアット・ムルティプラのインパネ。あまりにも奇抜な造形に目を奪われがちだが、ファミリーカーなのにMTのみの設定であった
いっぽうアメリカがAT帝国なのは、あまりにも国土が広すぎて、MTの操作がスポーツにもなりえず、面倒くさいものでしかなくなったから……だろうか。
たしかにアメリカ大陸を走ると、風景が雄大すぎて、MTの操作がミミッチイものに感じられる気がしないでもない。オーストラリアや中東も同様か。東南アジアでAT率が高いのは、かつての日本以上に都市内の渋滞がハンパないことが原因だろう。
アジアと欧州の風合いが混ざったような香港の街並み。やはりAT車が多いように見られた
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