英国からウクライナまで救急車を運ぶ
午前6時半。ポーランド東部のクラクフにあるホテルから、筆者はサイモン・ブレイクという友人とともに、サーシャに会うために歩き出した。
【画像】英国からウクライナまで、支援物資を運ぶ1900kmの旅【写真をすべて見る】 全15枚
黒いトヨタ・ランドクルーザーからサーシャが降りてくる。ウクライナ人で、身長185cmくらい、がっしりした体格だ。英語はほとんど話せず、わたし達もウクライナ語はまったく話せない。しかし、彼は信頼できる友人の、信頼できる友人である。サイモンとボランティアたちが、戦争で破壊されたウクライナに寄付するためにクラクフまで運んできた救急車3台のうちの1台に乗って、ウクライナ西部のリヴィウまで一緒に行ってくれる。残りの2台は、サイモンと筆者が運転する予定だ。
スマートフォンの翻訳アプリを通じて、サーシャが教えてくれた。「国境の数km手前で高速道路を降り、森を抜けて国境まで北上する。心配はいらないよ」と。
すべての始まり
サイモンの「旅」は数か月前、約1900km離れた英ミドルセックス州テディントンから始まった。2月にロシアがウクライナに侵攻した直後、サイモンの町に住むウクライナ人たちは、地元のソーシャルメディアを使って資金を集め、数台の4WD車をウクライナに運ぶボランティア探しに動き出した。サイモンはクラクフまで4WD車を走らせ、今度は救急車で行こうという計画を立てて帰ってくると、そのための資金集めを開始。私財を投げうって設立した資金調達会社を、マイティ・コンボイ(Mighty Convoy)と名付けた。
「非営利の会社で、現在、慈善団体としての認可を申請中だ。誰も雇わず、ボランティアだけでやっていくつもりだよ」とサイモンは語る。
春から夏にかけて、マイティ・コンボイはウクライナの仲間と協力し、救急車3台を購入するのに必要な資金を集めた。しかし、購入や運搬は、そう簡単ではない。
救急車を調達する
英ウスターシャー州ダドリーのSVS(Specialist Vehicle Solutions)社は、救急車を専門に扱っている自動車販売会社で、約8年落ちの中古車を1台あたり6500ポンド(約110万円)で3台販売してくれた。
SVS社のオーナーのスティーブ・マニング氏は、「戦争が始まってから、いくつかのチャリティー団体と知り合いになったんだ。お金はあるけど、どう使えばいいかわからない人もいる」と話す。
また、自動車業界の中には、ボランティアに気前よく接してくれない人もいるという。ボランティアは壊れたクルマを売りつけられたり、登録書類や車両の輸出入に必要な手続きが足りないままウクライナへ向かってしまったりする(この場合は引き返さざるをえない)こともあるそうだ。
3月以降、SVS社は「40台近く」の車両を販売した。そのほとんどは救急車とバンで、ウクライナへ運ばれていったという。サイモンの購入した3台は、自動車整備工場が無償で点検してくれた。
SVS社では、救急車がウクライナで直面する過酷な環境下でもトラブルなく旅を続けられるように、排気ガス再循環装置や微粒子フィルターの電子回路を取り外したり、バイパスしたり(無効化)することがよくあるそうだ。「うまく走らなくなる原因の半分以上はこれさ」とスティーブ氏。
もっと手の込んだ改造として、救急車の空気圧式リアスロープやエアサスペンションを取り外すこともできる。ウクライナでは静かな空気圧式よりも、素早く展開・収納できる手動式が好まれるそうだ。
支援物資のチェックリスト
出発の前に、救急車に支援物資が積み込まれる。松葉杖や車椅子、ビタミン剤、手袋、ウェットティッシュ、手術用具、そして外傷を治療するためのた個人用応急処置キットなど、すべてが医療用であり、すべてが価値あるものである。応急処置キットは1つ100ポンド(約1万6000円)で、40個入りの箱が4つある。
いざ、ポーランドへ
英ケントからポーランド・クラクフまでは単純な道のりだが、1900kmの長い旅だ。1台の救急車に2人のドライバーを乗せて、土曜日の朝に出発し、夜通し走り、日曜日に到着する予定である。メンバーは、サイモンのほかにボランティア仲間であるキーラン、ウィル、デイブ、アレックス、そして筆者の6人。
手頃な料金のフェリーが午前4時40分発なので(ドーバーは数時間待ちの大行列)、カンタベリーから午前2時に出発する必要があり、初っ端からまいってしまう。それでも、出国検査に行列はなく、すぐにフランスを通過できた。続いてベルギーとオランダも走り抜け、土曜日の夕方には、ドイツの奥深くまで入っている。
休憩や食事のための停車は定期的にある(若いドライバーよりも中年男性の方が頻繁に停車する必要があるため)。しかし、土曜日の深夜から日曜日の早朝にかけて、本当に必要なのは睡眠である。
これがなかなか取れない。筆者の乗るプジョー・ボクサー(救急車仕様の大型バン)は、フロントに3つのシートがあり、当然ながら運転席のほうが2つの助手席よりも快適である。それはそれでいいのだが、快適でないシートは居眠りにも向かない。筆者はこれまで24時間耐久レースに何度か参加したことがあるが、クルマに乗っていてこれほど疲れたことはない。停車して昼寝をするのが唯一の正解だ。
日曜日の朝、車列はようやくクラクフに到着した。屋根付き駐車場には入りきらない背の高さなので、安全のために警察署が見えるところに駐車。ホテルを見つけて一休み。
ほとんどの参加者は、ここで帰路につく。筆者もそうするつもりだったが、まだ先に進めると聞き、乗ることにした。翌朝、運転を手伝ってくれるサーシャと合流する。
国境を越えてウクライナへ
クラクフからウクライナ国境までは3時間だが、コルチョバ・クラコヴェッツ(Korczowa-Krakovets)の国境検問所へ行くと、混雑のために通過に何時間もかかることがある。わたし達はさらに北上し、静かなブドミエシュ・フルシュフ(Budomierz-Hruszow)国境へ向かった。それでも、サーシャ、サイモン、筆者の3人はポーランド側の国境通過に5分、ウクライナ側では車両の輸入のための書類整理に45分以上かかる。
運転や安全上のリスクではなく、こうした事務的な作業がサイモンの支援活動で大変なところだ。銀行手続き(サイモンはまだチャリティーの銀行口座を開設できない)、輸出通知書、3か国語の車載品証明書、ボランティアの権利放棄書、保険、道路税、渋滞料金、排ガス料金、フェリー、ホテル、燃料などなど……購入、記録、整理、記憶などの面倒な作業があるのだ。
救急車を必要とする人たちに救急車を届けるという、表向きは単純な活動だが、サイモンにとって事務作業が最も大きな負担となっている。旅が進むにつれて、彼の負担は軽減され、肩の荷がおりていく。
資金面、物流面、車両面、技術面など、もっと多くのサポートがあれば、また実現できるかもしれない。しかし、2度目ということで、サイモンは自分の会社だけでなく、他の人もサポートできるのではないかと考えている。
ポーランドからウクライナの都市リヴィウまではわずか80kmしか離れていないので、最前線よりもはるかに近い。
途中、静かな村々を通り抜け、無人の軍事検問所を通過する。現在、最も近い前線は900km離れたマリウポリだが、明らかに戦争の気配がある。橋には土嚢が積まれ、ロシアの残虐行為を非難し、英国、EU、米国の支援に感謝する大きな看板が立っている。
2つの墓地を通り過ぎた。どちらも新しい墓石が多く、そのうちの1つでは2人の男が墓を掘っていた。
リヴィウの人口は、年初の70万人から、今ではその3倍にまで増加したと言われている。国内に残る多くの避難民が移動できる、戦場から最も遠い都市だ。ロシアの占領地から遠く離れているとはいえ、夜間空襲警報が頻繁に発令され、時にはロシア軍のミサイル攻撃の標的になることもある。8月上旬には、市街地近くの地対空ミサイル砲台が破壊された。だが、郊外には戦争の痕跡はあまりない。
護衛の人と別れ、リヴィウ南西にある倉庫に向かうと、感謝と笑顔で迎えられた。
すぐに荷降ろし作業に取りかかる。救急車を停めて後ろのドアを開けると、1分もしないうちに地元のボランティアがパレットに荷物を積み込み、仕分けにかかる。そして10分後、車内は空っぽになり、わたし達は一息ついた。
必要な人に必要なものを提供する
ルディ・ミゴビッチ氏のもとには、筆者やサイモン以外にも、多くの人が訪れている。彼が代表を務めるウクライナ・キリスト教医療協会(CMAU)は、海外から多くの援助を受け取っているのだ。
3月に化粧品会社が、リヴィウの南西にある倉庫の半分を無償で貸してくれたそうだ。それ以来、CMAUは「ベッドや冷蔵庫、点滴や手術用具など、210トンの支援物資を配布してきました。7月末までに、183の病院と543の部隊、慈善財団、教会に物資を提供しました」という。
「寄付されたものの98%は医薬品と医療機器です。まず最初に、物資をすべて開梱して、ウクライナのシステムに対応させる必要があるもの(外国製品は、コネクタの種類やサイズが合わない場合がある)を確認しなければなりません。また、ウクライナの医療従事者の90~95%は英語を話すことができません」
CMAUは機器だけでなく、外国人医師による新しい医師の訓練も支援している。
汚職の懸念もある。貴重な医療機器は、闇市場で高価で取引されている。サイモンがウクライナに赴き、ミゴビッチ氏の本部を訪問しようと思ったのも、機器がどこに行き、誰の手に渡るかを知るためだった。2人とも、直接手渡しができることを喜んでいる。
コンサイス・インターナショナルのヴィクトリア・ベース・スミス氏は、戦争は犯罪の「大量発生」をもたらすと教えてくれた。物資の闇取引だけでなく、人身売買、奴隷、レイプなど、弱者への虐待もあるという。仕事も家もない人たちは、簡単に搾取の犠牲になってしまうのだ。
ミゴビッチ氏にとって、時間は重要である。今日が月曜日で、救急車は火曜日に目的地に送られ、水曜日には人命を救うことになる。
「本当に重要です」と彼は言う。「3台が支給され、どれもまだ使えると思います。しかし、ハリコフ地区だけで、週に6台の救急車がロシアの攻撃で破壊されています。これは何度も聞いた数字です」
また、救急車にはスペースX社の衛星を使った通信システム「スターリンク」を搭載しているという。無線や電話はロシア軍に傍受される可能性があり、救急車であっても追跡や攻撃の対象となる。民間人を標的にした攻撃は戦争犯罪だが、救急車の減少率はロシア軍が何をしているのかを示している。人権団体アムネスティ・インターナショナルは、ウクライナの防衛戦術が民間人を危険にさらすことを示唆した報告書を公開している(そして広く非難された)が、こうした主張をロシア側は非軍事目標への攻撃の言い訳にすることだろう。
帰国と反省
午後遅く、筆者とサイモンは帰路についた。国境までは数時間。リヴィウの中心部は、ユネスコの世界遺産に登録されているほど美しく、壮大である。土嚢と看板だけが、異変を知らせている。地下にあるバーへ入ろうとすると、入り口で戦闘服を着て偽の機関銃を持った若いドアマンに出迎えられ、入店する前にパスワードを求められた。彼は「Slava Ukraini(ウクライナに栄光あれ)」か「F*** Putin(くたばれプー○ン)」のどちらかを要求してきた。
2時間後、サーシャのトヨタ車でクラクフまで送ってもらうことになった。なぜ、彼はノンストップで夜通し走り続けることができるのか、不思議でならない。どうやら、ホットドッグ、レッドブル、コーヒー、マグナムアイスを常食にしているようだが……。
サーシャはスマートフォンで曲を変えながら160km/hで運転し、戦争が始まった最初の3か月間は自分も前線で救急車を運転していたと話す。
今は自動車部品のビジネスの経営に戻ったのだが、同時に仲介者でもあり、毎月何百時間、何千kmも運転して、ウクライナに出入りする人々や車両、機材に同行しているのだという。翻訳アプリのために、ゆっくり話してくれた(これは助かる)。
サーシャは今、冷蔵トラック(冷蔵車)を買いたいそうだ。物資運搬のためではなく、ウクライナ兵の遺体を前線近くの臨時安置所から早く持ち帰り、家族が埋葬できるようにするためである。
「親たちは彼ら(子)が家に帰ってくるまで、2か月、3か月、4か月と待っているんだ。母親と父親がそばにいるまで、彼らは決して休むことなく、眠ることもない。僕は多くを見た。やるべきことは理解している。必要なことだ。誰かがやらなければならないことなんだ」
サイモンは、メモを残している。次回は救急車をもっと、可能な限り多く、と。
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