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レースが「リアル実験場」だった時代! 激熱バトルが生んだ昭和の名車6台

日本の自動車メーカーたちが市販車ベースで熾烈な戦いを展開した70年代

 国内レースの黎明期だった1960年代は、トヨタと日産を筆頭に、国内メーカーの多くがグループ6/7の純レーシングカーを開発して日本グランプリで熱戦を繰り広げていました。しかし排気ガス浄化など市販モデルの開発に重点を置くことを理由に日産が70年の日本グランプリへの参戦休止を発表。これを切掛けにしてトヨタも不参加を表明し70年の日本グランプリの開催そのものが取りやめとなってしまいました。

いま見ても圧倒的な存在感! 60年代の国産スポーツモデルの名車っぷりが凄い

 これによりメーカー系のワークスチームはレース活動を休止したのですが、実際にはツーリングカーやGTカーなど市販車ベースのレーシングカーの開発は継続され、多くのワークスドライバーもこちらのレースに参加していました。スカイラインGT-R、フェアレディ240Z、サバンナRX-3、セリカLBターボ、カローラ・レビン、サニー・エクセレント、今回は、そんな70年代前半に活躍していた市販車ベースのレーシングカーを紹介していきましょう。

ほろ苦いデビューレースウィン やがて堂々たる王者に/スカイラインGT-R(PGC10&KPGC10)

 歴代モデルの多くがレースで活躍することになるスカイラインGT-Rですが、初代モデルがデビューしたのは1969年5月、JAFグランプリ前座のツーリングカーレースでした。当日の朝刊に参戦告知の全面広告を掲載するという鳴り物入りのデビューとなりました。

 プリンス/日産R380の血統を受け継ぐ2ℓ直6ツインカムのS20エンジンを搭載するなど、ライバルを圧倒するパフォーマンスを有していたGT-Rでしたが、トッププライベーターの若手がドライブするGT-Rはトヨタのセミワークス、高橋晴邦選手がドライブするトヨタ1600GTに翻弄されトップチェッカーを許してしまいます。

 しかし高橋選手がストレートで何度も進路変更を行ったことにペナルティが課せられ2位でゴールした篠原孝道選手が繰上げ優勝。熟成され尽くした1600GTに対して、GT-Rは明らかに熟成不足が目立ってはいましたが、ほろ苦いデビューレースウィンとなりました。

 しかしそこからワークスドライバーがスカイラインの熟成に注力。70年には高橋国光選手が全日本ツーリングカー選手権を5戦5勝と圧勝してチャンピオンに輝きます。そしてショートホイールベースの2ドアHTバージョンとなった71年には国光選手に続いて長谷見昌弘選手が選手権を連覇。諸説ありますが、GT-Rは連勝記録が50を超える活躍で、堂々たる王者となりました。

雨の富士GCで純レーシングカーを打ち破る金星/フェアレディ240Z(HS30)

 国産モデルとして初の、そして本格的なスポーツカーとして知られるフェアレディが、大変身を遂げたのは1969年のことでした。

 2座のスポーツカーという基本路線は継承していましたが、それまでのモデルがスパルタンなオープンシーターだったのに対して、デビューした2代目はスマートなクローズドクーペに生まれ変わっていました。当初のホットモデルはスカイラインGT-Rと同様にS20エンジンを搭載したZ432でしたが、輸出モデルに用意されていたL24エンジンを搭載した240Zが、そのポジションを引き継ぐことになりました。

 70年の富士1000kmでワークス240Zがデビューレースウィンを飾ると以後はスプリントレースでも活躍しました。中でも、今も語り継がれている伝説が富士グランチャン(GC)レースでの活躍です。71年に始まった富士GCレースは当初、ビッグパワーのグループ7からGTカーまで何でもありのレースでした。

 やがて純レーシングカー(2ℓクラスのオープン2シーター)が主役となるのですが、参加台数を確保しようとGTカーの参戦も認められていました。そして71年の6月には日産ワークスの北野元選手が、翌72年の6月には柳田春人選手が、ともに雨のレースで並みいる純レーシングカーたちを打ち負かし“総合優勝”を飾ることになりました。

 さらに日産ではより燃焼効率の高いクロスフロー・レイアウトのスペシャルヘッドを組み込んだLY26エンジンも開発されるなど、チューニングが進められていました。

死闘の末にGT-Rから王座を奪取/サバンナRX-3(S124)

 軽量コンパクトでハイパワー、まさにモータースポーツにはピッタリのロータリーエンジン(RE)を搭載したモデルとしてコスモスポーツやファミリア・ロータリークーペは、60年代終盤、主にヨーロッパのレースを戦っていました。

 そのRE勢が日本国内で活躍するようになったのは70年代に入ってから。先ずはファミリアの上級モデル、10Aエンジンを搭載したサバンナ(S102系)がデビューし、一回り大柄なボディに12Aエンジンを搭載したカペラREクーペがハイパワーを武器にGT-Rを追い詰めます。しかしあと一歩のところで詰めきれません。

 そこで登場したのがカペラより一回りコンパクトなボディに、S102系サバンナよりも一回りハイパワーな12Aエンジンを搭載したS124系のサバンナRX-3でした。ちなみに輸出仕様は開発コードでもあるRX-3を名乗っていましたが、国内仕様のロードモデルはサバンナGTを名乗り、レース仕様だけがRX-3と呼ばれていました。

 72年にデビューしたRX-3は、先ずは耐久レース、続いて富士の右回りショートコースを使った日本グランプリ前座、そしてフルコースの富士GC前座と一歩、また一歩とGT-Rを追い詰め、GT-Rから王座を奪っていったのでした。

ターボを熟成し 富士の1000kmで総合優勝/セリカLBターボ(TA27改)

 1968年に登場したマークIIはコロナをベースにしたトヨタ1600GTの兄貴分で、1900ccのツインカムエンジン(10R)を搭載したホットモデル、1900GSSもラインナップしていました。ただしツーリングカーレースでGT-Rと直接争う機会があまりないままに、トヨタ7から継承したターボチャージャー熟成のテストベッドに務めることになりました。

 さらにその後継として72年に登場したモデルがセリカLB 1600GT(TA27)でした。元々は1600ccクラスのツーリングカーレースにデビューし、2000ccのツインカムエンジン(18R-G)を搭載したセリカ2000もレースデビューを果たしていましたが、GT-Rから王座を奪った新王者のRX-3を相手に苦戦しており、こちらもマークIIと同様にターボの熟成をメインテーマにRクラスでの参戦を続けることになりました。

 そんな開発者の想いが結果に繋がったレースが73年の富士1000km。高橋晴邦/見崎清志組が片山義美/岡本安弘組のサバンナRX-3を振り切って優勝を飾りました。また60年代後半のトヨタ2000GTから耐久レースで強さを発揮してきたトヨタ・ワークスらしく、このレースではセリカ1600GTもRX-3に次ぐ総合3位を奪っていました。

公式通りのハイパフォーマンスカー/カローラ・レビン&スプリンター・トレノ(TE27)

 1970年代前半のツーリングカーレースは、2ℓクラスがスカイラインGT-RとRE軍団がデッドヒートを展開する一方で、1300ccクラスでは王者のカローラとパブリカの連合軍をサニーが追い詰めるという流れになっていました。

 そしてブルーバードSSSやベレットGTを蹴散らして王者となったトヨタ1600GTもスカイラインGT-Rに蹴散らされ、結果的に“空白”となりつつあった1600ccクラスに新たに登場したのがセリカ1600GTでした。そしてセリカがターボの開発に専念するようになった後は、その1.6ℓのツインカムエンジン(2T-G)を一回りコンパクトなカローラ/スプリンター(2代目となるE25系)のボディに移植したホットモデル、カローラ・レビンとスプリンター・トレノが主戦マシンとして投入されることになりました。

 RX-3もそうでしたが、一回りコンパクトなボディにひとクラス上のハイパワーなエンジンを移植するのは、古今東西、ハイパフォーマンスカーを作る上での公式であることを証明した格好となり、そしてワークス・セリカの主力が上級クラスに移行した後はプライベートのセリカとともに、1600ccクラスを事実上の(2T-Gエンジンの)ワンメイクとしてしまいました。

多重クラッシュの派手なデビューと1年後のリベンジ/日産サニー・エクセレント(KPB110改)

 1600ccクラスを事実上のワンメイクとしたレビン/トレノに切り込んでいったのがサニー・エクセレント(KPB110)でした。市販モデルのサニー・エクセレントは、1200ccクラスのサニー(B110)のノーズを引き延ばしてブルーバードに搭載されていた1400ccのL14エンジンを搭載していましたが、レース仕様は1.6ℓにまで排気量を拡大し、ライバルに対抗していました。

 1972年の日本グランプリでは予選でレビンやセリカに一歩遅れを取り、決勝でもスタート直後の多重クラッシュ。散々なデビュー戦となってしまいましたが、1年後にレースオプションのツインカムヘッドを組み込んだL14改エンジンに換装。車両型式もKPB110改へと変更されていました。レース専用に開発され、電子制御式の燃料噴射システムを搭載していたL14改は、ライバルを20馬力も上回る195馬力を発生していました。

 73年の4月に日産系のSCCNが主催するレース・ド・ニッポンでデビューしたKPB110は、デビュー戦こそリタイアに終わりましたが、リベンジの舞台として照準を定めていた5月の日本グランプリでは予選から見事なパフォーマンスを発揮してトップ3を独占。決勝でもトレノやセリカに先んじて表彰台を独占。1年前の、悪夢のようなデビュー戦の雪辱を果たすことになりました。

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