コミックまであった
2024年はF1ドライバー、アイルトン・セナ(本名アイルトン・セナ・ダ・シルヴァ。1960年-1994年)の没後30年にあたる。それを記念して、イタリアのトリノ自動車博物館では特別展が企画された。
タイトルは「アイルトン・セナ・フォーエバー」。展示室には彼のドライバー人生の第一歩であった1978年のカートから、フォーミュラ・フォード、F3、そして最後に操縦したウィリアムズ・ルノーF1まで、ゆかりの車両十数台が集められた(時期によって一部展示替えあり)。また、ヘルメットやレーシングスーツなどウェア類もディスプレイされた。
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監修はイタリアを代表する自動車誌「クアトロルオーテ」の元編集長で、生前のセナと親しかったカルロ・カヴィッキが担当。セナの姪で、チャリティ団体やセナの商標管理会社を運営するビアンカ・セナも協力者に名を連ねた。さらにセナの公式フォトグラファーであったアンジェロ・オルシは写真を提供。企画としては、完璧な布陣である。
セナの生涯はすでに多く語られているので、ここでは繰り返さない。いっぽうで彼の故郷ブラジルにおける高い知名度を伝える展示物は「セニーニャ」だ。これはセナをモデルにした1990年代のコミック雑誌のキャラクターで、Tシャツといった関連商品も作られた。
当時の人気を証言してくれたのは来館者で、セナと同じブラジル出身のパオロ・ロジェーリオさんだ。1981年生まれの彼は少年時代、故郷で人々とともにセナに熱狂した。「今もアイルトンはブラジルで、子どもからお年寄りまで、全世代にとってヒーローです」と熱く話す。
美術教師の資格をもつ彼の左腕にはモナ・リザが、いっぽうの右腕にはセナの公式ロゴが彫られている。本人の語りは動画をご覧いただきたい。
イタリア人がセナに親近感を抱く理由
2024年4月下旬から始まったこの企画展は、早々から好評を博した。そのため当初は会期が2024年10月初旬までだったが、11月3日まで延長された。
会場を見回してわかるのは、同館における従来の企画展と比較して若者の姿が目立つことだ。
SNS上でも、企画展にふれた投稿には若者によるものが少なくない。若い女性の書き込みも多く、「父と博物館を訪れたのがきっかけでしたが、とても感動しました」と綴っているものや、「いつかアイルトンに敬意を表して、ブラジルに行ってみたい」といったコメントがみられる。
若者に人気の理由のひとつは、時代の新しさだ。セナがF1サンマリノGPで命を落としたのは1994年。今日の若い世代は、当時物心がついていなかったとしても、後年両親からセナの活躍を聞いた者が少なくない。ビジュアルの豊富さも奏功している。カートを操る少年時代のセナをスーパー8ミリで撮影したフィルムを含め、彼が生きた時代は幸いカラー動画の記録に恵まれていた。それらのおかげで、本人が活躍した時代を知らない世代にも、親近感を与えているのである。
第二の理由としてカートもあろう。欧州では、ちょっとした町にカート場があり、上級カテゴリーにステップアップを狙う若者たちが毎週末のように腕を競っている。セナは、いわば自分たちの夢の延長線上にあるのだ。
そして第三は彼のルーツである。アイルトンの曽祖父ルイージ・セナは1893年、イタリア南部ナポリ近郊から移民としてブラジルのカショアエロ・デ・イタペミリンに渡った。現地でルイーズ・セナと名を変えた彼は、同じく南イタリアのアグリジェントから渡ってきたジョヴァンナ-マリア・マグロと結婚する。彼らの間に生まれた息子ジュアン、つまりアイルトンの祖父は、イタリア中部ルッカ近郊出身の両親をもつ娘マルチェッリーナを妻とした。
彼らの子ミルトン・ダ・シルヴァが、のちにアイルトンの父となった。俳優のシルベスター・スタローン、ロバート・デ・ニーロ、F1ドライバーのジャン・アレジなど、イタリア人は自分たちと同じ血を引く人々への親しみが強い。そうした意味で、たとえ生前を知らない世代でも、セナへの思いが生まれるのだ。
イタリア人の心情を一言で表すなら、アグリジェントの曾祖母宅跡の写真脇に記されていた「アイルトン、私たちの一人」がふさわしいのである。
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