1980~1990年代に日本に上陸した“逆輸入車”を小川フミオが振り返る。
1980年代から1990年代にかけて、日本車は国内マーケットを大きく広げた。車種バリエーションの拡充で、市場のニッチ(すきま)にハマるクルマをいろいろ出したことがひとつ、もうひとつは、海外現地生産車の日本への輸入販売だ。
冬がはじまる前に……トーヨータイヤ・オブザーブGIZ2試乗記
米国工場生産車を日本で売る。端緒を切ったのは、1988年のホンダ「アコードUSクーペ」だ。1990年4月には「アコードUSワゴン」の輸入販売が開始された。
日本のメーカーが、そもそも外国市場向けに日本向けとちがうクルマを開発して販売していることや、海外に現地生産工場を持っていることなど、このとき初めて知ったという知人も多かった。
現地生産の背景には、日米貿易摩擦がある。1970年代のいわゆる第2次オイルショックあたりからの米国消費者の低燃費車志向などによって、日本車の販売が大きく上向き、米国メーカーの販売を圧迫しはじめたことなどで日米自動車貿易摩擦が激化、政治的な理由も手伝って、現地工場を作ってアメリカの労働者を現地雇用する日本メーカーが増えたのだった。
当初、アコードUSクーペが、左ハンドルで販売されたのは驚きだった。むかしの言葉でいうと、バタくさい。当時は”アメリカン”という形容詞は、新しく、しかも軽くてキモチがいいものとほぼ同義だったのだ。
「ホンダが米国生産車を輸入した背景には、当時の売れ線の車種が日本生産車になかったということがあったかと思います」。そう語るのは、当時第一線で活躍していた日本の某自動車メーカーの(もと)広報部員だ。そこで彼が挙げた一例は、ホンダのアコードワゴンの逆輸入モデルだ。
「1980年代からレガシィ(1989年)に代表される“ワゴンブーム”が起こるものの、ホンダにはレガシィサイズのワゴンがありませんでした。そこで、目を付けたのが米国生産のアコードワゴンだったのではないでしょうか」
ホンダのみならず、他のメーカーもさまざまな車種を輸入販売するようになった。大きなサイズやクーペなど、米国的なモデルが多く、どのメーカーもニッチ(市場のすきま)を探していたのである。
とはいえ、大きなヒットに結びついたモデルはほとんどなく、いま車名を思いだそうとすると、”あー、そんなクルマあったねえ(懐)”という言葉でしめくくられるのがオチだ。
「日本人は欧米へのあこがれが強いから、日本で売っていない欧米製の車種を輸入すれば売れるかもしれない……すでに現地で売っているクルマなので開発費もそれほどかからない……というぐらいの中途半端な思惑が動機になっていたのではないでしょうか」
前述の自動車メーカーのもと広報マンによる分析である。
(1)トヨタ「セプターステーションワゴン」
1992年に販売開始されたセプターステーションワゴンの全長は4820mm、全幅は1770mm(も)あり、当時としては”やっぱりアメリカンだなぁ”と思わせられたのを記憶している。
セプターは、セダン、ステーションワゴン、2ドアクーペと3車型が販売された。うち、セダンのみ日本生産。破綻のないデザインで、ステーションワゴンはリアクオーターウィンドウの輪郭に特徴を持たせていたものの、全体としては趣味のいい印象だった。
エンジンは、最初に販売されたステーションワゴンに3.0リッターV型6気筒ガソリンを搭載。のちに2.2リッター直列4気筒ガソリンも設定された。
トヨタとしても月販目標を高く設定してはおらず、1993年11月に発売した米国工場生産のクーペなどは月販目標300台と、つつましいものだった。
ワゴンは荷室が大きいうえに3列目シートを備えていて機能的だったし、セダンも後席をふくめて空間的余裕がたっぷりあった。エンジンは200psの6気筒にしても140psの4気筒にしても、実用上は十分な力をもっていて、ほんと、まっとうなクルマだった。当時よりもむしろいまのほうが、食指を動かすひとが多いかもしれない。
(2)日産「ブルーバードオーズィ」
オーズィーは、その名が示すとおり、オーストラリア(豪州)で生産されたモデルだ。現地名は「ピンターラ」。ベースはU12型と呼ばれる8代目「ブルーバード」(1987年)なので、日本ではブルーバードオーズィの名で輸入販売された。
当時、豪州生産の車両は車幅がワイドという特徴を持っていた。三菱自動車がやはり輸入販売した豪州生産の「マグナ・ステーションワゴン」(1988年)も車体はいわゆる3ナンバー枠で、日本車とはいっぷう違う雰囲気を持っていた。
ところが。ブルーバードオーズィー(以下オーズィー)の車幅は5ナンバー枠に収まり、エンジンも2.0リッター。なぜわざわざ豪州から輸入したかというと、ハッチゲートを備えた車型のせいだ。日本への導入には、当時の「RV」ブームが背景にあった。
ハッチゲートを備えたセダンというと、(少々マニアックですが)ルノーが得意とした車型だ。R11(1983年)やR21リフトバック(1989年)、それに当時の最上級車R25(1983年)など、ずいぶん多い。当時、日産とルノーはまったく別のそれぞれ独立の企業だったので、コンセプトを共用したわけではない。欧米では比較的人気のある機能主義的デザインなのだ。
日本仕様を仕立てるにあたって、SR20DEという、当時の日産の看板エンジンを搭載。装備も豪華で、荷室が広い多目的ハッチバックセダンにさらに付加価値を付与していた。足まわりはしっかりしていてエンジンも活発。それ以上足すものはない、という商品コンセプトだった。
(3)ホンダ「アコードUSクーペ」(初代)
米国工場で生産したクルマを日本に輸入して売る、という現地生産車のはしりは、1988年の「アコードUSクーペ」だ。
1985年にモデルチェンジして3代目になったアコードは、日本ではセダンとエアロデッキの展開。このラインナップにくわえられたのが、2ドアクーペだ。格納式ヘッドランプのフロントマスクは、ファミリー共通。
クーペは名前のとおり前後長を切り詰めたルーフと傾斜の強いリアウィンドウ、さらにブートマウンテッドのスポイラーなどが外観の特徴で、ラインナップ中でもっともスポーティな雰囲気だった。
2.0リッター直列4気筒SOHCガソリンエンジンを、全長4565mmのボディに搭載した前輪駆動。日本には500台弱が輸入されたあと、1989年のアコードシリーズのフルモデルチェンジとともに、販売も中止された。そののち、モデルチェンジしたUSクーペが、1990年4月からふたたび輸入販売されたのだった。
左ハンドル仕様のまま販売されたのが、当時としては、驚きだった。これによって”フツウのホンダじゃない”というある種のプライドをオーナーに持たせることに成功した。
この企画は期待いじょうに成功だったようで、USクーペは、1988年から1990年の初代(アコードしては先に触れたように3代目)、1990年から1994年の2代目、そして1994年から1997年の3代目と、連綿と輸入販売が続けられた。
(4)三菱「エクリプス」(初代)
三菱のスペシャルティクーペ「エクリプス」は、米クライスラーと合弁で作った工場で生産されていた。このモデルは、北米では、「プリマス・レーザー」および「イーグル・タロン」の名で販売されていた。
日本に輸入されたのは1990年2月。コンポーネンツはギャランのものが使用され、エンジンは140psと200psの2つのユニットが用意され、さらに駆動方式は前輪駆動と全輪駆動と、バリエーションはゆたかだった。
販売も、メーカーの期待以上で、日本への初年度輸入ぶんはすぐ売り切れ、翌1991年以降も追加輸入された。1993年までにトータルで4000台超が日本で販売されたそうだ。
スタイリングは魅力的だ。ウェッジ(クサビ)シェイプの全長4340mmのボディに、グラスドームのようなキャビンの組合せ。大型リアスポイラーがリアウィンドウをぐるりと取り囲んでいるのも、迫力があった。
ハンドル位置は左。私は当時、パワフルな200psターボエンジンを搭載した全輪駆動のGSR-4に乗って、けっこう感心した記憶がある。速いことがなによりも印象に残っている。
エクリプスといえば、1995年に登場した2代目も忘れてはならない。これも輸入販売された。ただし、2代目の駆動方式は前輪駆動のみ。当時のクライスラーデザインの影響だろうか、厚みあるボディにオーガニックな雰囲気の面づくりは、私のテイストにはいまひとつ合わなかった。その意味でも、わかりやすいスポーティイメージの初代に分があると思ったものだ。
いまの三菱自動車に必要なのは、ひょっとしたら、こういうスポーツクーペなのかもしれない。中途半端な車種よりも、スポーティなモデルの専門メーカーというのも、生き残るための一つのありかたのようにも思う。
(5)フォード「フェスティバ」(初代)
ここまでは、日本メーカーが米国向けに開発し、米国の工場で生産し、日本に輸入していた現地生産車を採り上げてきた。いまは世界的に、生産国という概念が崩壊している。グローバルの販売網をかんがえ、戦略的に生産地を選んでいる(だけだ)からだ。
そのなかで、ユニークともいえる存在は、日本で作られて、海外のブランド名で売られたモデル。日本フォードの「フェスティバ」だ。全長3570mmというコンパクトなボディを持つハッチバックで、開発と生産は、フォードと資本提携関係にあったマツダが担当していた。
マツダが作っていても、マツダ・ブランドとしては存在しない。でもみな、フェスティバがマツダ製だと知っている。品質面(とりわけ維持費)での安心感とともに、右ハンドル仕様だったため、一時期は都市部の路上で数多く見かけた。
1.3リッターDOHCエンジンを搭載したモデルは、期待以上によく走った。それに大きなキャンバストップが開く仕様など、多様なボディで展開。いまの言葉でいうところの“ライフスタイルカー”としても、それなりに魅力があったのを記憶している。
そういえば、海外生産仕様ありました。1991年から導入された4ドアセダン「ベータ」だ。韓国の紀亜自動車が作ったモデルを日本にも導入したのだ。
文・小川フミオ
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みんなのコメント
しかも当時のホンダ車はかっこよく見えた