中嶋 悟×ロータス・ホンダの熱狂より10年前の秘話
ロータスとホンダといえば、多くの人が真っ先に思い浮かべるのが1987年~1988年シーズンの「ロータス・ホンダ99T」と「100T」ではなかろうか。名門ロータスとわれらがホンダのジョイントに加え、そのコクピットに収まったのは日本人として初のF1フル参戦を果たしたレーサー、中嶋 悟。それらの話題性とも相まって、この時代のキャメル・カラーのロータス・ホンダはわれわれに取って忘れられない存在となったのだ。だが今回は、ロータスとホンダの関わりはそのずっと前からあったという物語を紹介しよう。
スーパーカーなのか否か? 少年を熱狂させた「ロータス・ヨーロッパ」の正体とは
コーリン・チャップマン自身がオーダーしたホンダの軽
ご存知の通り、ホンダのF1挑戦の第一歩は1964年のRA271から始まる。その1.5L V12エンジンは当初、エンジン・サプライヤーとしてのホンダから、コンストラクターのロータスに供給されるという計画だったが、これがロータス側の事情で直前になりキャンセル。その際にホンダがロータスに送った「ホンダはホンダの道を行く」という言葉の通り、翌年の最終戦・メキシコGPではホンダRA272が見事F1初優勝を遂げる。その際真っ先にホンダの中村良夫監督のもとに祝福に訪れたのは、かのロータスの総帥コーリン・チャップマンだった、というのも有名な逸話だ。
ホンダの第一期F1挑戦以来、コーリン・チャップマンはホンダに対して何らかのリスペクトを持っていたのではなかろうか。そんな風にも思えるのが、このチーム・ロータスで活躍していたホンダの軽トラックの存在だ。
ホンダの軽トラックとしては2代目となる、「TN360」の最後期型。「TN-7」と呼ばれる1975年~のモデルである。チャップマン自身のオーダーで、チーム・ロータスの作業車として導入されたという。F1マシン同様のスポンサー・カラーを纏ったTN-7は、チームのトランスポーターに載せられてF1マシンとともに各地のサーキットを転戦。タイヤやホイール、さまざまなパーツの運搬に、パドック内で大変重宝されたという。
チーム・ロータス黄金期を舞台裏で支えた360cc軽トラ
TN360の最後期型、TN-7が生産された時期は1975年から1977年にかけて。チーム・ロータスがTN-7を新車で導入したのならその時代であり、チーム・ロータスの主力マシンといえば、以下のような陣容となる。
1975年シーズンは72E/72F。古参ながら改良に次ぐ改良を重ね、しぶとい走りでしばしば上位に食い込んだ名機だ。1976年は最終戦・雨の富士スピードウェイでマリオ・アンドレッティがロータスに2年ぶりの勝利をもたらした77。1977年はグランド・エフェクトカー旋風を巻き起こした78、翌1978年にはその78に加え79をデビューさせ、M・アンドレッティがチャンピオン、僚友R・ピーターソンも2位となり、この年ロータスはコンストラクターズ部門でも1973年以来のチャンピオン獲得と、まさにチーム・ロータスの黄金期と重なる。
ホンダの小さな軽トラックは、黄金期のチーム・ロータスとともに世界中のサーキットを飛びまわり、縁の下の力持ちとして1980年ごろまで活躍したという。かつてなら、このようなチームのサービスカーがミニカーになるなど思いもよらなかったが、昨今のミニカー趣味界ではトランスポーターやサービスカーなどもしばしば模型化の対象となって、好事家を楽しませてくれる。
ちなみに今回のミニカーはかつてスパークからリリースされていたレジン製1/43モデル。エンジンやホイールなどの小物が付属しているのも、模型メーカーの遊び心が感じられて楽しい。
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みんなのコメント
何度か吸ったな