まもなくバーレーンで開催されるWEC最終戦。その中継をより楽しむためにオススメなのが、GTクラスで戦うジェントルマンドライバーたちの人となりを知ることだ。
今のWECに出場しているブロンズランクのジェントルマンたちは、シルバーランクのドライバーたちとほぼ変わらないラップタイムで周回する強者たち。予選も彼らが担当し、勝敗を左右する重要な存在でもある。
【WECジェントルマン物語vol.1】走れる実業家のオモテ稼業とは。プライベートジェット250機保有って本当?
一方、彼らは、これまでビジネスでも成功を収めてきた。もちろん父から事業を引き継いだ人もいるが、中には大変な苦労を経てきた人たちも。その人生模様も加味しながらレースを見ると、さらに興味が湧いてくるはず。前回は、レクサス、アストン・マーティン、フェラーリに乗るジェントルマンたちを紹介したが、今回は、シボレー、BMW、ランボルギーニに乗る6人を紹介しよう。
■免許、取りに行かなきゃ。
●トム・ファン・ロンパウ(トム・ヴァン・ロンパイが正しい発音)
#81 TFスポーツ/シボレー
小泉と同様、今年TFスポーツに所属し、コルベットZ06の81号車をドライブしているのが、37歳のベルギー人、トム・ファン・ロンパウだ。
彼の父が趣味でサーキットレースやパリ・ダカールラリーに出場していたということで、本人も6歳の時にカートを始め、16歳でサーキットレースにデビューしている。ルノー・クリオやBMWの小型車などが最初に参戦したカテゴリーだ。
その後は、ポルシェ・カレラ・カップを経て、リジェJS49 CNなどの小さいプロトタイプカーに乗り、ベルギーの国内レースに出場を開始。5年前からは国際的なレースに挑戦を始め、ELMSのLMP3クラスやアジアン・ル・マンシリーズのLMP2へとステップアップした。
そして今年は、コルベットでWECに出場するようになり、世界選手権に名を連ねている。ル・マンにはすでに出場したが、夢はデイトナをはじめ、世界の24時間レースに出場することだそうだ。
そんな彼は、もともと家族が経営する銀行で仕事をしていた。実家が銀行を持っているってスゴい。しかし、その安定した立場を手放し、「自分が愛してやまないことをやって、自分自身の道を行きたい」と、8年前にイベント会社を立ち上げて運営。ベルギーで年に2回、大きな音楽フェスティバルを主催している。ちなみに1回のフェスティバルを開催するのには、半年ほどの準備期間がかかるそうだ。
彼が主催しているイベントのひとつはextrema outdoor。もうひとつはREPLAY FESTIVALと言う(レースカーにもロゴステッカーが貼られている)。いずれのイベントもYoutubeで映像が見られるので、その規模を感じられるが、extremaはブリュッセルの東、車で約1時間の距離にあるハウトハーレン=ヘルフテレンという場所で開催。4日間のイベントで7~8万人が来場する。
REPLAYはもう少し小さいイベントで1万から1万2千人が来場。いずれも参加した人たちが、楽しそうに踊り狂っている。その映像を見るだけでも、会場設営含め、イベント準備の大変さが伝わってくるのであった。
●小泉洋史
#82 TFスポーツ/シボレー
レクサスに乗る木村武史同様、今年のWECで日本人ジェントルマンとして頑張っているのが、TFスポーツのコルベットZ06・82号車に乗る小泉洋史。
神奈川県出身の小泉は、もともとバイク好きで、中学・高校時代はWGPで活躍したフレディ・スペンサーがヒーローだった。高校に入ってからはF1にも興味を持ち、アイルトン・セナが好きだったそう。
一方、自身が東海中・高、東海大学時代にやっていたスポーツは柔道。恩師はあの山下泰裕。後輩には井上康生がいるというバリバリっぷりだ。高校時代には関東大会で優勝もしている。ひょっとしたらオリンピック代表になっていたかも知れないぐらい強かったのである(下手なことを言うと投げられちゃうかも)。
しかし、大学卒業後はサラリーマンの道へ。漢方薬で有名なツムラに入った後、プルデンシャル生命に転職。その後、介護や福祉、整骨など、セルフケアの事業を立ち上げて成功に導いた。「現在は無職です」とは本人の弁。つまりFIREしたってことでいいですか?
さて、そんな小泉がレースを始めたのは、2004年。インテグラ関東シリーズが最初だった。その翌年にはスーパー耐久にステップアップすると同時に、フォーミュラ・トヨタに参戦。さらにスーパーGTの300クラスにも挑戦する。
2009年からはフォーミュラでも、F3に参戦を開始。2014年には45歳でNクラスのチャンピオンを獲得している。しかし、2015年いっぱいで、一旦レースから引退。F3のCクラスでも、GT300でも自身が望んだような体制を得られず、この時は“冷めた”そうだ。
その後は、サーキットにも足を運んだことがなく、レースとは距離を置いた生活だったという。ところが、他に情熱を傾ける対象はなかなか見つからず、次第にレースへの気持ちがふつふつと湧き始める。そして、「やるなら海外でタイトルを狙いたい」ということで、一昨年のGTWCアジアで現役復帰。昨年のル・マンカップを経て、今年はいよいよ世界選手権への挑戦を開始した。
富士のレースでは残念ながらマシントラブルに見舞われてしまったが、それまでは充分な速さを発揮。バーレーンでも注目のひとりだ。
●ダレン・ラーン
#31 チームWRT/BMW
今年、WRTがオペレートするBMW M4の31号車に乗っている37歳の英国人ジェントルマンがダレン・ラーン。日本でもお馴染みのアウグスト・ファーフス、そしてショーン・ゲラエルのチームメイトだ。オフィシャル写真で見るラーンは、魔法のランプを擦ると出てくるジーニーを強面にしたような感じ(笑)。しかし、本人に話を聞くと、とても落ち着いていて優しく、ユニークな存在だった。
彼は父が中国人。ラーンというのは中国の名字で、漢字では『梁』と書く。苗字が漢字ってだけで、日本人の我々にとっては一気に親近感アップ。本人はイギリスで生まれたが、その後は7歳まで香港で育ったのだそうだ。
そんな彼の子どもの頃の夢はパイロット。だが、大学で物理を学んだことで、卒業後は定常分析者となり、分析結果を予測するための数理モデルを作り上げる仕事をしていたという。その後、ベッティング(賭けですね)の会社を経て、2011年、23歳の時に自分のビジネスを立ち上げ。今ではコンピュータシステムに搭載する数理モデルを作っている。
レースを始めたのは3年前(34歳の時)とまだまだキャリアは短い。実は彼が自動車免許を取ったのは26歳とかなり遅めなのだ。免許を取った理由も、ビジネスを始めて空港に行く機会が増え、クルマを持つ必要に迫られたから。それ以前は、1000ポンド以下(20万円以下)の安価なバイクに乗っていたそうだ。
そこからジェームス・トンプソン(BTCC、WTCC)やポール・オニール(BTCC)といった元プロドライバーの友人の影響でレースを開始した。最初に乗ったレースカーはGTアカデミーのジネッタで、2022年はジネッタ・スーパーカップと英国GTにスポット参戦して優勝、2023年には英国GTにフル参戦してチャンピオンを獲得した。
そして今年は、GTWCと同時にWECにも出場している。彼は「どうしたら速く走れるか、より良い運転ができるかを学ぶために、すごく時間を割いている」とのこと。専門分野を活かして、ドライビングデータを解析するための自分専用のソフトウェアまで作って、細かく改善点を見つけている。そうしたアプローチも独特というか、賢い人は考えることが違うという感じだ。
■中東の一国を背負う“世界一周(?)ボートマン”
●アハマド・アル・ハーティ
#46 チームWRT/BMW
チームメイトのラーンと同様、今年はWRTに移籍してBMW M4の46号車をドライブしているジェントルマンがアハマド・アル・ハーティ。カーナンバーから分かるように、今年はあのバレンティーノ・ロッシがチームメイトだ。もうひとりのチームメイトは、ドイツ系ワークスチームでずっと活躍してきたマキシム・マルタン。人気、実力を兼ね備えたチームで、先月の富士では表彰台に上がっている。
アル・ハーティは、43歳のオマーン人。オマーンで初めてのレーシングドライバーということで、競技ライセンスの番号はNo.1だ。近年、アブダビやサウジアラビアをはじめ、中東では多くの国でビッグレースが開催されているが、オマーンにはまだパーマネントコースがなく、あるのはカートコースだけだ。
アル・ハーティは子ども頃からF1中継を見るのが好きで、7歳の時には母国のコースでカートに乗り始めた。そこからはかなりのブランクがあり、大人になってから初めて趣味としてレーシングカーに乗ったのは、2006年。最初は近郊のバーレーンで走っていた。
その後はイギリスに移ってレースを続け、2013年から耐久レースに参戦を開始。昨年100周年記念大会となったル・マン24時間レースには、唯一のオマーン人として初参戦。母国に耐久レースの魅力を伝えるという役割も担っている。
そんなアル・ハーティ家のファミリービジネスはオイルとガス。中東らしく、エネルギー関連だ。だがアハマド本人は、別のプロジェクトを担当しており、海洋ツーリズムの仕事をしている。本人曰く「ボートを使った旅」ということだが、そのボートってやっぱりスーパークルーザーとか? フェラーリのトーマス・フローが持つビスタ・ジェット(vol.1参照)と協力すれば、世界の隅々まで行けそうだ。
●クラウディオ・スキアボーニ
#60 アイアン・リンクス/ランボルギーニ
今年、GTクラスではランボルギーニ・ウラカンを走らせているアイアン・リンクス。同チームは、数年前にプレマを買収。今年からはハイパーカーでもランボルギーニを走らせている。そのオーナーのひとりとしても知られているのが、GTクラスでジェントルマンドライバーを務めているクラウディオ・スキアボーニ。現在64歳のイタリア人だ。
スキアボーニはボローニャ出身。農家の子どもとして生まれたが、それこそランボルギーニの本社があるサンタ・アガタやフェラーリのあるモデナのお膝元で育ったということで、小さい頃からクルマ好きだった。
また、早い段階で“なぜだか”興味を持ったのが金融だったという。そして、大学には行かずに、金融の世界に飛び込み、つねに証券取引所に身を置いていた。そのなかで、シティバンクやJPモルガン、ドイツ銀行などを経て、投資家として独立した(今では伝統的な投資以外にも、アートやワインなど、さまざまな投資を行っているという)。
仕事に邁進するなか、同じ金融の世界で働いていたフランス人のデボラ・メイヤーと出会い、結婚する。デボラは、今年の春までFIAのウィメン・イン・モータースポーツ代表を務めていた人物でもあり、アイアン・デイムスプロジェクトの生みの親だ。
そのデボラも大のクルマ好きということで、夫婦揃ってフェラーリのレーシングスクールを体験したそう。そして8年前にフェラーリ・チャレンジでレース出場を開始すると、ブランパンシリーズやミシュラン・ル・マンカップなどを経て、2021年からWECに参戦している。キャリア8年目ということで、まだまだレースに関しては学習している途中なんだとか。
●サラ・ボビー
#85 アイアン・デイムス/ランボルギーニ
世界でも珍しい女性ドライバートリオでレースを戦っているのが、アイアン・デイムス。そのなかでブロンズ・ドライバーとして走っているのが、35歳のベルギー人、サラ・ボビーだ。その速さには定評があり、2年前のモンツァではWECでクラスPPを獲得した初の女性ドライバーとなっている。以前は、最強ブロンズドライバーとの呼び声も名高いベン・キーティングらとつねに争っており、その速さは印象深い。
ボビーは、13歳の時にレーシングカートを初体験し、これをきっかけに自動車レースの道を目指すことになる。最初に出場したのは、ベルギーのフォーミュラ・ルノー1.6。その後、元F1ドライバーのティエリー・ブーツェンとその妹夫婦が運営していたブーツェン・ジニオン・レーシングとの協力関係を築き、GTやツーリングカーレースに参戦を果たしたが、なかなかフルシーズンを戦うだけの資金は得られなかった。
25歳の時には、資金不足からシートを喪失。大学に通い、マーケティングの学士課程を受講している。私生活では、それを元に就職した時期もあった。それでもレースを諦めきれず、ルノー・スポール・トロフィーで現役復帰。これをきっかけにさまざまなカテゴリーのレースにスポット参戦するが、なかなか大きなチャンスには恵まれなかった。
そこに訪れたニュースがアイアン・デイムスの立ち上げ。ボビーは、自らメールを送って連絡を取り、3年前からメンバーとしてプロジェクトに加入した。今では、念願だったレース中心の生活を送っている。その一方でマーケティングの知識を活かして、アイアン・デイムス入りする前には自身の会社も起業。今でもイベント関連やSNSなど、レース関連の仕事をしているという。
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