初のル・マン24時間レースで6位完走
1938年に仕上がっていた「エンビリコス」ベントレーのスタイリングは、11年を経て改良が必要になっていた。1949年のル・マン24時間レースへ向けて、ボンネットはレザー・ストラップで固定。2分割のリアウインドウ部分には、給油口が追加された。
【画像】「フランス的」と反発された流線型 エンビリコス・ベントレー 同年代のハイエンド・モデル 全114枚
リアブレーキ冷却のため、リアフェンダーには3本のスリットが切られた。キャビン内へどこまで手が加えられたのかは不明だが、当時のル・マン・マシンとして、際立って洗練されたスタイリングだったことは間違いない。
ドライバーのHSF.ヘイ氏と、トミー・ウィズダム氏のペアは安定して周回を重ね、夜間も走行距離を伸ばしていった。だが残り数時間というところで、トップギアが故障。4.25L直列6気筒エンジンは、高回転域での常用を余儀なくされる。
それでも、エンビリコス・ベントレーは日曜日の午後4時まで耐え抜いた。新しいアストン マーティンを抑え、初参戦で6位完走という素晴らしい戦績を残している。
翌1950年のル・マンにも、ヘイは参戦。パートナーにはアマチュアドライバーのヒュー・ハンター氏が選ばれた。ボディに12番のゼッケンが与えられ、3本構成のマフラーへアップデート。バンパーは残されていたが、見た目は依然としてモダンだった。
その年もヘイは完走するものの、14位。ベントレー勢では、ハードトップを載せたロードスターが8位を掴んでいる。
完走扱いにならなかった3年目
1951年にもヘイは参戦。コ・ドライバーは、トム・クラーク氏が務めた。ジャガーCタイプが速さを見せつけたが、エンビリコス・ベントレーも善戦。ところがダイナモが壊れ、続けてライトも故障。最後のピットストップでは、エンジンも止まってしまう。
順位を落としながらもヘイはエンジンを復活させ、フィニッシュラインを通過。だが、規定の最低走行距離に約6km及ばず、3年目は完走扱いにならなかった。2765kmを走り、順位としては22番手に残っていた。
ヘイはゴール後、観戦した自身の家族と記念撮影。英国から積んできた荷物を流線型のベントレーへ載せ直し、ダイナモを修理し、バカンスへ旅立った。
驚くことに、パリ経由でグレートブリテン島へ戻る途中、最後の耐久レースへ挑むためフランスのオートドロム・ドゥ・リナ・モンレリへ立ち寄っている。タイヤ交換もせずに、手強いオーバルコースを走ったという。
その時に残した最高速は、170.5km/h。1939年に発案者のウォルター・スリーター氏が残した記録へ、約2km/hまで迫っている。
1969年までエンビリコス・ベントレーはヘイが保管し、サザビーズ・オークションへ出品され、4000ポンドの高額で落札された。16年後に再びオークションへ掛けられると、12万ポンド以上の値が付いた。
アメリカ・カリフォルニアへ渡ると、カーコレクターによる丁寧なレストアが待っていた。ボディは美しいグレーへ塗り直され、2001年のコンクール・デレガンス、メドウ・ブルックでベスト・オブ・ショーを受賞するなど、以来、数多くの称賛を集めている。
イタリア車へ見間違えるスタイリング
デザイナーのジョルジュ・ポーラン氏の生誕110周年を記念し、2012年にエンビリコス・ベントレーはフランスへ輸送。サルト・サーキットで開かれたル・マン・クラシックへ出場したほか、英国のグッドウッド ・リバイバルにも姿を見せている。
2013年の時点では、カリフォルニアの私立自動車博物館が所蔵する。メルセデス・ベンツ500K アウトバーン・クリエールなど、貴重な戦前の流線型クーペとともに、来場者を楽しませている。
改めてエンビリコス・ベントレーを観察すると、スタイリングはイギリス風でもないし、フランス風でもない。どちらかといえば、イタリア風。ミラノに拠点を置く、カロッツェリア・トゥーリング社の仕事へ似ているように思う。
トランクリッドのベントレー・ロゴを隠せば、見間違えてしまうだろう。当時のベントレーの上層部が、流線型ボディに難色を示していた理由でもある。とはいえ、戦前の英国製クーペとして、最も素晴らしい容姿にあると思う。
効果的にルーバーが切られ、フロントグリルは大胆。マーシャル社製のヘッドライトが前方を睨む。ドアハンドルは平たく、ボディへ埋め込まれている。1930年代の華やかなフランス流デザインとは異なる、純粋さや機能美が宿っている。
特に印象的なのが、飛行機を彷彿とさせる斜め後ろ。後方へ向けて、滑らかにファストバックのラインが絞られ、面には張りがある。フロントグリルは、少々高さ方向に大きすぎるかもしれない。
ベントレーらしく乗り心地は文句なし
長いリアヒンジのドアを開くと、車内はラグジュアリー。アクリル製ウインドウを備える、軽さを意識したル・マン・マシンらしくない。右側にシフトレバーとハンドブレーキレバーが伸び、乗り降りしにくい。
ダッシュボードはボディと同色で塗装。複数のメーターやスイッチ類が整然と並ぶ。黒い盤面のタコメーターが大きく、レッドラインは4500rpmから。スピードメーターは、210km/hまで振られている。
シートはタン・レザーで、カーペットはクリーム色。優雅なスタイリングを引き立てている。3スポークのステアリングホイールは巨大で、膝に当たりそうだ。
トランスミッションは、シフトレバーに機械的な感触を伝え、滑らかにゲートをスライスできる。ギア比の幅が広く、2速へのシフトアップ時もダブルクラッチが必要。スピードが増すと、見た目通りの洗練された走りを披露する。
ステアリングホイールは徐々に軽く転じていくが、正確な反応は変わらず。運転する自信を高める。ベントレーらしく、乗り心地は文句なし。風切り音はほぼ聞こえない。
4.25Lの直列6気筒OHVユニットは、スムーズにトルクを生む。レッドライン間際でのパワーの高揚感はないものの、唸りは勇ましい。
ブレーキは強力。細身のタイヤが、バランスの良い操縦性を叶えている。さほど緊張せずに、ヘイたちは流線型のボディでサルト・サーキットを周回したことだろう。
ポーランの溢れる才能にふさわしい価値
コンクール・デレガンスで受賞を重ねる美しいベントレーが、ル・マン24時間レースや最高速記録へ挑んだ輝かしい過去を持つという事実は、にわかに信じ難い。1939年までに、走行距離を20万km近くまで伸ばしたことも、想像し難いといえる。
オークションでの目もくらむような落札額は、クラシックカーを正当に評価したものとは限らない。しかし、ポーランの溢れる才能を評価するものとして、エンビリコス・ベントレーへ与えられた金額は相応しいもののように思う。
この記事のオリジナルは、2013年1月に執筆されたものです。
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