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入門フォーミュラの草分けとして日本のレース発展に貢献。ウエストカーズの神谷誠二郎氏が死去

入門フォーミュラの草分けとして日本のレース発展に貢献。ウエストカーズの神谷誠二郎氏が死去

 レーシングカーコンストラクター「ウエストレーシングカーズ」の代表取締役を務めた神谷誠二郎氏が昨年の12月29日に亡くなったことが、遺族の報告により明らかになった。享年72。

 2019年12月から自宅療養中だった神谷氏だが、12月8日に鈴鹿クラブマンFinal Round/スーパーFJ&F4日本一決定戦と併せて行われた「VITA & CS2イヤーエンドパーティ」には姿を見せていた。

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 ジムカーナドライバーとして活躍の後、鈴木板金(ベルコ)で修行していた神谷氏は、1973年に独立してベルコウエストを開業。

 第1作となるのがFL500のウエスト759だ。1975年に中嶋悟氏のドライブで鈴鹿シリーズのチャンピオンに輝いた。83年にウエストレーシングカーズとして改称、今日に至る。

 産み出してきたレーシングカーは、FL500を原点にFJ1600やスーパーFJといった入門フォーミュラ、さらそのステップアップカテゴリーであるF4やRSまで多岐にわたる。

 また、初代ザウルスやザウルスジュニア、フォーミュラスズキなど、メーカー系ワンメイクレース車両も生産していたことでも知られている。総生産台数は約1300台を数える。

 その最大のヒット作となったのが、現在もKYOJO-CUPなどでも用いられているVITA-01で、2018年には200台を突破。まだまだ台数を伸ばすことだろう。

 現在では国内8サーキットでレースが行われ、その活躍の舞台はフィリピンや中国、台湾にまで広がっている。かねてからアジア諸国にも、神谷氏は活路を求め、初期にはインドネシア、近年は韓国にも進出。各国のモータースポーツの礎を作ることにも貢献した。


 また神谷氏は、単にレーシングカーを設計、製作するだけでなく、シリーズの構築にも積極的に尽力していた。メーカー系ワンメイクレース以外は、すべて企画の段階から携わり、レギュレーションも作成して立ち上げるなど、精力的に日本のモータースポーツの発展に携わった。

 サーキットではいつも明るく元気で前向きな姿を見せていた神谷氏。ハコ以外のレース経験も持つドライバーの多くは、一度はウエストのレーシングカーを走らせた経験を持つのではないだろうか。出身ドライバーの彼らはきっと、いずれも神谷氏に笑顔で励まされた経験も持つはずだ。

 葬儀は故人の希望により、近親者だけで済ませ、四十九日を迎える2月に神谷氏のお別れ会が行われる予定だ。「ウエストレーシングカーズ」の新たな代表取締役に、神谷氏のご子息である神谷弦氏が就任することが9日に発表されている。

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