日本の基幹産業でありながら、日本における自動車メーカーへの風当たりは強い。クルマに対する税金は高止まりしていて国内市場は縮小し続けているし、EV補助金にしても海外メーカー製BEVにも支払われる。外貨を稼ぎまくって国内雇用の確保に尽力している業界であるはずだが、政府は自動車産業の保護については特に何か手を打っているようには見えない。
もしかして日本の自動車メーカーの足を引っ張っているのは日本政府ではないか?? だとしたら日本政府に何を求めればいいのか?? という疑問についての解説と、それに対する回答を、自動車経済評論家の池田直渡氏にお願いいたしました。
日本の自動車産業が「世界」に苦戦している最大の要因は…「日本政府」??
文/池田直渡、画像/Adobe Stock、首相官邸、TOYOTA
■「日本は出遅れ」、「トヨタはオワコン」…聞かなくなりましたね……
昨年(2023年)末あたりから、世界の電動化の議論に明らかに変化が起こっていることを読者の皆様も感じておられるだろう。
「内燃機関はオワコンで、まもなく完全電気自動車への破壊的イノベーションが始まる」という勇ましい議論が、だいぶトーンダウンしている。
あれだけ強硬に「日本出遅れ」、「トヨタオワコン」論を展開してきた日経新聞ですら『欧州3台に1台がハイブリッド車 EVシフトは見直し必至』などという記事を書き始める始末。あまりにも華麗なる手のひら返しにこちらが赤面しそうになる。
2010年代後半から先進国を中心に、急速に販売台数を伸ばしてきたBEVだが、ここにきて「踊り場」に入った、との見方が強い。「多少不便でもいいからほしい」という層に行き渡ったか
実際のところ、EUが推進してきた「EVシフト」は予定どおりに進んでいない。その最大の理由は、各国政府がいくら笛吹けど思ったようにEVが売れないことにある。イニシャルコストでも利便性でも、ICE(内燃機関車)に及んでいない現実のなかで、高くて不便なEVを買う人は少ない。ただしこのEV議論の難しいところは、「誰にとっても不便なのか」と言えば、特定の使い方をする人にとってはメリットがある、ということだ。
例えて言えば、「世界的に靴のサイズは26センチに統一する」みたいな話で、サイズが合わない人はいくら補助金を積まれても合わない靴は買わない。一方でサイズが合っている人が「ボクはそれで全然困ってない」と頓珍漢なことを言うので永遠にすれ違うのだ。
■日本が「EV全力推進」に舵を切った政治的な事情
EU各国では環境相に左派の政治家が就任することが多く、彼らは大抵が環境原理主義者なので、基本的な考え方は「環境問題に盾突くヤツは許さない」というスタンスになる。言うまでもないが環境問題には一応の正義があるので、当然ながら反論は遠慮がちになり、そうこうする間にたいした議論もないままルールが決められてしまう。
悪いことに、ここに米国の世界最大の投資会社であるブラックロックなどのESG(環境・社会・ガバナンス=企業統治)活動が結びついていく。この動きに追随する各国の投資会社がESGを軸に環境投資でのアドバンテージを取るために、ロビー活動を繰り広げ、各国の政府や官庁が取り込まれていった。環境にお金が結びついて一気に怪しくなったわけだ。
保険会社などの大口投資家は、その投資運用において、たとえば石油産業などへの投資を行えば「環境破壊企業への投資を行う悪徳企業」などと環境系NPOなどから名指しで責め立てられた。トヨタもまさにこのネガティブキャンペーンを散々やられていた。
環境系NPOはさまざまな媒体に一方的な意見広告を出したりタイアップ記事を出したりして、潰したい企業の資金源を絶っていった。
そういうテロと見紛う活動で、攻撃を避けた投資マネーは否応なく環境方面に向かう。あらかじめそういう事業へ投資している連中は株価が上がって儲かるという仕組みである。
そういうタイミングで、我が国でも菅義偉政権が誕生する。
2021年1月、菅義偉首相が所信表明演説で「2035年新車販売電動車100%」を発表した
菅義偉という人はもともと首相になるという将来ビジョンを描いていなかった人で、安倍晋三首相のもとで官房長官として辣腕を振るった結果、棚ぼた式に首相になった。
首相になったはいいが国政の確たるテーマなんてもともとあるわけがない。そこへ環境派のロビイストが近づいて、「グリーンとデジタルを軸に据えれば安倍さんを超えられる」と囁いた。
その結果が、第二百三回国会での所信表明演説の「もはや、温暖化への対応は経済成長の制約ではありません。積極的に温暖化対策を行うことが、産業構造や経済社会の変革をもたらし、大きな成長につながるという発想の転換が必要です」というスピーチになっていく。環境派の意見に懐疑的だった安倍氏の逆を行く戦略である。
神奈川を地盤とする菅氏は、地盤のつながりで小泉進次郎氏と河野太郎氏の後ろ盾となっており、彼らのどちらかを岸田首相の後釜に据えることで影響力を行使しようとしている。悪いことにこのふたりともEV推進派である。
そもそも菅氏の最大の特技は、国政の経歴中に培ってきた霞が関に対する人事権掌握で、その力をベースに霞が関に多大な影響力がある。役人としては歯向かいにくい相手なのだ。
さて、ここまでが大きな流れとバックグラウンドである。そういうなかで、いま各官庁のスタンスがどうなのかを見ていこう。
■「一度決めたら変えようとしない悪いクセ」
大きな対立軸としては、マルチパスウェイを唱え続けてきたトヨタを軸とする日本自動車工業会に対して、最も急進的なのは環境省と総務省である。次いで経産省が続く。
多くの自動車メーカーと頻繁な接点を持つ国交省は、比較的技術に明るく、完全電気自動車化が当面は「絵に描いた餅」であることをよく理解している。
一方で、冒頭に書いたとおり、すでに世界的にも国内的にも大きく風向きが変わり、「BEVも含むマルチパスウェイが現実解」という理解に進みつつある世論に対して、官庁のレスポンスは極めて低い。
風向きが変わったとしてもそれらが政策やルールに反映されるまでにはまだまだ当分時間がかかる。一度動き出すと止まることはおろか、向きを変えるのも容易でないのが「国」である。
岸田文雄首相は経団連モビリティ委員会と会合を重ねており、日本の自動車産業界からヒアリングしている。グリーン化政策にも熱心だが、その問題点を比較的把握しているようにも思えるが……
翻って世界を見てみると、あれだけEV推しだったEUの変わり身は早い。バッテリー原材料の確保と、国ぐるみの不当ダンピングで中国製EVが押し寄せたと見た途端、「EVだろうがなんだろうが不当な補助金の精査をする」と言い出し、ゴールをグイッと動かした。
アメリカはアメリカで、経済安保の見地から、国内自動車産業を守るべく、インフレ抑制法を発動。米国での最終組み立てと、バッテリーの主要原材料の原産地に制限を設け、上手いこと中国製EVを締め出した。
しかしながら、欧米が侵略的外来種のような扱いをしている中国製EVに対して、我が国は呑気にも、国の補助金と税制優遇だけで90万円。さらに自治体の補助金まで付く。EUの「書き割りの絵」に騙されて、まだその道をテクテクと歩いている。
すでに欧州がゴールポストを動かしながら、純ICEの全面禁止を緩め始めても、数年前に右往左往しながら「とりあえず」で決めた「2035年までにICE新車販売禁止」の再議論にも至っていない。
すべての議論が曖昧なまま決まっているにもかかわらず、一度決めたらそのまま走ろうとするのは本当に日本の政治の悪いクセである。
ましてやメディアの報道すら追いついていない領域についてはまったく期待できない。
たとえば、EVや充電器の補助金には、電力を一時的にプールする「小さなダム」として、「タイヤのついた電池があれば社会システムに貢献するから」という話があったはずだが、テスラの「NACS」も欧州の「CCS2」も現時点ではV2H(車両→家への給電)をはじめとするV2X(車両→何かへの給電)の能力は備えていない。
平たく言えば家庭や電力網に対してクルマから電気が供給できるのは、今の所ほぼ「CHAdeMO」だけ、ということになる。社会貢献度の差を考えると、これも「同じ補助金額でいいのか」を検討すべきだろう。
トヨタの豊田章男会長が日本自動車工業会2期目の会長時(2018-2023)に自工会改革へ乗り出し、業界団体として日本政府へ具体的な提言を開始した
■「邪魔だけはしないでくれ」と「これだけはしてくれ」
こうしたどうしようもない「国の出遅れ」の現状を考えると頭が痛い。永田町からは、次期首相は小泉進次郎氏だという耳を疑う話が聞こえてくるが、EV推進派の小泉氏が首相になったら、我が国の自動車産業は再び危機的状況を迎えかねない。
しかも、最悪のケースとしては、欧州もアメリカも、すでにとっとと方針転換した後で、もぬけの空になったパーティ会場に遅れて参上した我が国の環境相が、華々しく完全電気自動車化をぶち上げるというもはや悲劇なのか喜劇なのかわからない図が頭に浮かぶ。
中国製EVの話はそもそもの文脈が米中対立の話であり、ちょうど対ロシア制裁と構図が近い。西側諸国のボスでありジャイアンであるアメリカが「ロシアを取るのか西側を取るのか」と凄んでいる図で、アメリカは銀行間の国際送金システムであるSWIFT(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication)を握っており、西側の企業がロシアから撤退せざるを得なくなったのは、SWIFTを止められて、売上も回収できなければ、部品や原材料も買えなくなったからだ。
ロシアだけじゃなく中国でのビジネスも「SWIFTから弾くぞ」と言われたら、もう中国とのビジネスは成立しなくなる。
となれば、バッテリー原材料の調達を中国に強く依存していると経済安保上危ない。EVだけでなくHEVの存続のためにも、独自の調達ルートを確保しなくてはならない。
そここそ政治の出番のはずなのだが、なぜか彼らは中国と対立できない。結果的に、自動車産業の経済安全保障のために南米のリチウム鉱山を開拓しているのは(国ではなく)トヨタ系の豊田通商である。
日本の自動車産業は長らく政府をあてにしていない。世界の情勢を自分の目で見て、自分で必要な投資をし、必要な経済安全保障対策を行っている。
本来は官民一体となって、経済発展を推進していくべきなのだが、少なくとも日本の場合、「政府は頑張らなくていいから邪魔だけはしないでくれ」という悲しい状況なのだ。
しかしながら、護送船団方式で滅びてきた他の産業の歴史を見る限り、むしろ不干渉こそが発展の秘訣とすら思えてくる。
2023年10-12月期、中国BYDがBEVの世界販売台数でテスラを抜いて世界一位となった。通年の販売台数も300万台を突破した
ただし、欧米がきちんと手を打っている中国製EVの不当廉売対策に対しては政府としてきちんと防波堤を立てるべきだと思う。そもそも習近平政権が2015年に打ち出した「中国製造2025」には10項の重点項目が掲げられている。
・次世代情報技術(半導体・5G規格)
・高度なデジタル制御工作ロボット
・航空・宇宙
・海洋エンジニアリング
・先端鉄道
・省エネ・新エネ自動車
・電力設備(水力・原子力)
・農業用機材(トラクターなど)
・新素材(超伝導・ナノ素材)
・バイオ医薬・医療機器
これらのうち、すでに5Gの情報機器は世界中からマークされて締め出されている。
そして今、新エネ車を排除するために欧米が動き始めている。 普通に考えてこの10項目は中国の戦略的産業であることは間違いなく、ダンピングや不当なソフトなど、過去に露見したさまざまな不正技術を投入してくることは容易に想像できる。
彼らが明確にリストを作ってくれているのだから、自動車のみならずこれらすべてに警戒網を張り、対策を考えていくべきだと思う。
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