4月12日から14日までの3日間、千葉県幕張メッセで「AUTOMOBILE COUNCIL 2024」が開催された。今回のテーマは、「クルマを超えて、クルマを愉しむ Classic Meets Modern and Future」。副題が「ヘリテージカーを中心に、音楽、現代アート、フード&ドリンクetc。“多趣味な、自動車好き”が集う3日間」という欲張りなものだった。
会場で新たに発表された「Turbo No.1 コレクション」
「ジャパンモビリティショー2023」が大盛況のうちに閉幕、来場者数は111万2000人に
自動車メーカーやインポーターなどが最新型から往年のレーシングマシンやコンセプトカーなどを展示するのをはじめとして、さまざまな業者たちがクラシックカーやレアなクルマを展示・販売を行なっていた。クルマに関連するグッズ類や書籍、カタログ、アートなどを販売する業者もたくさん出展。コンサートやトークショーなども開催され、大人の幅広い楽しみ方が用意されているのが、毎年恒例「オートモビルカウンシル」ならではの特徴だ。
幕張メッセの渡り廊下から会場へと降りていくと、まず目の前にはポルシェのブースが登場。発表されたばかりで、まだほとんど路上で遭遇することのない「911 Dakar」や「911Turbo」(1989年)、「Taycan GTS」などが並んでいた。
この会場で新たに発表されたのが、初代「911ターボ」のシートのチェック柄を引用したアパレルコレクション「Turbo No.1 コレクション」。ハットからシャツ、ジャケットなどまで豊富に揃っていた。
ポルシェの左隣がブリストル研究所。聞き慣れない学術団体ではなく、埼玉県の加須市で長年、ワクイミュージアムを主宰していた涌井清春氏が昨年から始めたブリストルの販売店だ。
この日は「ブリストル400」(1949)、「同401」(1953)、「同406」(1960)、「同410」(1968)とブリストルを4台も並べていた。
壮観で、意外性があり、前を通り掛かったすべての人々が足を止めていた。「ブリストル」が4台も並ぶのはこのイベントに限らず、日本で初めてことではないだろうか。中でも「401」はあえて塗装前の状態で展示していた。銀色に輝く地肌を見せるボディはアルミニウム製だ。
「戦前戦中と、主にイギリスの軍隊向けに航空機を製造していたブリストルが戦後にその技術と志を活かして自動車を造り始めました。日本では馴染みの薄いクルマでしたが、これからその魅力を発信していきます」(涌井清春氏)
ブリストル研究所は、いち早くイギリスのブリストル専門業者と業務提携を結び、彼の地の在庫車を照会し、個別の探索などにも応じている。今後の展開が楽しみだ。
さらに左隣のDUPROという業者のブースにも、興味あるクルマが並べられていた。エンジ色の巨大なボディが遠くからでも目立っている。パネルを確かめると、パッカードの「スーパーエイトリムジン」(1935年)。パッカードといえば、ある年代の人々にはアメリカの高級車の代表格のように思われていた。戦後に入ってもその評判は衰えず、有名な小林旭の『自動車ショー唄』(作詞・星野哲郎)の一節にも、以下のように歌われているほどだ。
「あの娘をペット(トヨペット)にしたくって、日参(日産)するのはパッカード~」。
聞けば、このスーパーエイトリムジンは戦前から日本にあったクルマだ。当時の輸入販売元であった三和自動車(ポルシェジャパン以前のポルシェやサーブ、その昔はランボルギーニなどの輸入販売業者)の捺印がある貴重なカタログもガラスケース内に展示されていた。
90年近く日本に存在し続けていることにもビックリしたが、DUPROには他のパッカードも複数あって、レストアが進行中だというからさらに驚かされた。こういうエピソードに触れることができるのも、このイベントの醍醐味のひとつだろう。
懐かしいクルマたちとの対面も
さらに奥に進んでいくと、懐かしいクルマと対面できた。すでに消滅してしまったメーカー「AMC」(American Motors Co.Ltd)の「イーグル・ワゴン」(1983年)。この「イーグル・ワゴン」は、アメリカ車としてはコンパクトな5ドアワゴンボディにJEEP由来の4輪駆動システムが組み込まれていた。
今では、SUVではない乗用車タイプのクルマが4輪駆動であっても珍しくはないが、この当時は貴重だったのだ。まだ、“SUV”という言葉もクルマも存在せず、4輪駆動はほぼJEEPに代表される“オフロード4輪駆動車”だけのものだった電子制御も限られているから効能を発揮させる運転には熟練技能が必要で、それらは特殊な用途にのみ向けられた特殊なクルマだった。
だから「イーグル・ワゴン」は4輪駆動の悪路走破性を持つ乗用車として貴重な存在だった。スバル「レオーネ」もいち早く4輪駆動システムを備えていた。
筆者は10代の頃からスキーに熱中していて、運転免許を取得すると都内で仲間をクルマに乗せ、まだ全通していなかった関越自動車道や中央高速道路、あるいは東北道などを走って雪山に通っていた。まだスタッドレスタイヤが生み出されていなかったので、夏タイヤで走れるところまで走り、積雪路ではチェーンを巻いていた。志賀高原や八方尾根など遠くに行く時には、何度もチェーンを付けたり外したりを繰り返すので、短時間でチェーンの付け外しをできるようになったが、4輪駆動の走行性能と便利さにはかなわなかった。
仲間うちには「レオーネ」の4WDバンに乗っている者もいたが、憧れの対象は「イーグル・ワゴン」だった。バンではなくワゴン、それも“アメ車のワゴン”だったからだ。「イーグル・ワゴン」は、主催者のテーマ展示「アメリカンヘリテージの名車たち」のコーナーにダッジ「チャレンジャー」、シボレー「カマロ」「コルベット」、ジープ「J-10」などとともに展示されていた。
主催者のテーマ展示は、他にも「アイルトン・セナ没後30年」や「故マルチェロ・ガンディーニ追悼展」「フォルクスワーゲン・ゴルフ50周年記念」などが行なわれていた。
毎年、往年のコンセプトカーを展示するマツダは、今年は「ロータリースポーツカーコンセプトの歴史と未来」がテーマ。1970年の「RX500」と1999年の「RX-EVOLV」を持ち込んだ。写真でしか見たことのない54年前の「RX500」の実物が眼の前にある。販売されなかったコンセプトカーの展示だから大いに注目に値する。
三菱自動車工業で眼を惹いたのは、1992年の「ギャランVR4」。先日、逝去された篠塚健次郎氏が2年連続総合優勝を果たしたWRC(世界ラリー選手権)アイボリーコーストラリーで優勝したクルマそのもの。当時はたくさん売れて、街で眼にしないことのなかったクルマだが、最近では珍しくなってしまった。他にも、競技で好成績を残した「パジェロ」や「ランサー・エヴォリューション」など。
ホンダからは「シビック」が3台。特にテーマも謳われておらず、おとなしい展示だった。
日産のテーマは「LOVE GOES ON Nissan loves Every Customer」で「シルビア」「フィガロ」「プリメーラ」、現行「ノート」の4台を展示。テーマと4台の関係がいまひとつわからなかった。
トヨタは「トヨタクルマ文化研究所」というテーマで「クラウンRS」「AE86」をEV化したコンセプトカー「MR2」の3台。
他にも、多くの業者が参加し、過去最高の出展数を数えた。見応えのある展示も多く、最終日まで盛況が続いたらしい。
筆者は、ブリストル、パッカード、AMCと消滅したブランドのクルマが再評価されて展示されていたことを高く評価した。現役のブランドが人気を呼び、クラシックカーも珍重されているのは当然のことだ。
しかし、消滅してしまったブランドのクルマを発掘し、再生維持を続けるためには、ビジネス以前に意欲と情熱が出展者に求められる。その意欲と情熱こそが“自動車文化”なるものを支えているのではないだろうか。
■ 関連情報
https://automobile-council.com/event-archives/2024-archive/
文/金子浩久(モータージヤーナリスト)
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント