2023年のF1ハンガリーGPは、フェルナンド・アロンソにとって、節目のグランプリだった。20年前のこのグランプリで、彼はF1初優勝を飾ったのだ。
ルノーのドライバーだった22歳のアロンソは、F1デビューから2年後の2003年夏、ハンガリーGPで優勝。当時ブルース・マクラーレンが保持していた史上最年少グランプリ優勝記録を破った。
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この勝利を振り返り、アロンソは、「もちろん僕の人生とキャリアにおいて、魔法のような瞬間だった。あの後、あらゆることが少し変わった」と語った。
「予選ではかなり燃料を少なくして走ったため、レースは違った展開になるかもしれないと、土曜夜の時点では考えていた。トップ5、あるいは表彰台は可能かもしれないと考え、それが現実的な目標だと思っていたんだ。ところが実際はレースに勝った。ちょっと驚いたし、とてもうれしかったよ」
最初の勝利を挙げてから2年後、アロンソは2005年に世界タイトルを獲得、ルノーと共に、翌年連覇を成し遂げた。彼はその後、大方の予想とは異なり、F1チャンピオンになることができずにいる。キャリアのなかで何度か移籍し、新しいチームで困難に直面することがしばしばあったのだ。
「後悔していることは何もない。翌年のチームのパフォーマンスが分かる、占いの水晶玉を持っている者などいないからね」とアロンソは言う。
「ルノーを去るというのが初めて下した決断だった。マクラーレンに移籍し、そのシーズンに世界タイトルを争った。競争力という点で見ると、良い移籍であり、良いことだった」
「その次にフェラーリに移籍した。フェラーリからのオファーを蹴るドライバーなどいないと思う。フェラーリにいた5年間のうち3年間はタイトルをかけて戦った」
「その後、マクラーレン・ホンダに加入した。このプロジェクトは興味深く、パワフルなものだと誰もが考えたが、結局うまくいかなかった。このスポーツではそういうことも起こり得るんだ」
「そして僕はF1から離れた。考えていることが山ほどあって、挑戦したいことがたくさんあったからだ。耐久レースとそのマシン、それからインディに挑戦し、良い成績を収めることができたので、キャリアのなかでも素晴らしい時期だったと思う。満足しているよ」
「その後、F1に復帰した。ルノー/アルピーヌのことは、ずっと自分のファミリーだと思っていた。彼らのもとでF1に戻ったんだ」
「最後の決断は、アストンマーティンに移籍するというものだった。誰もが最悪の決断だと言ったが、結局はこれこそ僕のキャリアのなかで、ほぼ間違いなく最高の選択だった」
「こうして振り返ると、チームを選ぶことは難しいということが分かるし、知識の不足は誰にでもあるということだね」とアロンソは彼の長いキャリアについて語った。
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