101年目の力強い一歩を踏み出したマツダ
ヴァンケル博士の基本特許を使ってはいるものの、世界で唯一ロータリー・エンジン(RE)の量販を実現し、1991年にはそのREを搭載した「MAZDA787B」でル・マン24時間レースを制覇。また最近では「SKYACTIV TECHNOLOGY」を発表、エンジンやシャシー(ボディ)などクルマを構成するすべての要素の刷新を図るなど、技術を前面に押し出した活動を展開しているマツダですが、その前身である東洋工業から商号を変更して誕生したのは1984年のこと。さらにその前身の東洋コルク工業が創業したのは1920年(大正9年)のことでした。
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そうした経緯から今年、マツダは創立100周年の記念すべき時を迎えました。予定していた100周年記念ベントである『MAZDA OPEN DAY 2020』はコロナ禍の影響から中止としたものの、いくつもの100周年記念モデルをリリース。101年目の力強い一歩を踏み出しています。今回は、そんなマツダの歴史を振り返ってみました。
コルク製造業から機械部品に移行し 3輪トラックを開発
1920年に設立され、マツダの前身となった東洋コルク工業は、コルク栓のメーカーでコルクの製造販売を手掛けてきた個人企業でしたが、経営悪化の影響もあり広島の財界人が参画し会社組織に改める形で設立したものでした。この辺りは、1人の起業家に端を発する国内の他メーカーとは異なり、むしろイタリアのフィアットやアルファ・ロメオと似たような生い立ちということができるでしょう。
そんな東洋コルク工業でしたが、コルク栓を製造する際に出る「屑コルク」に着目し、それを材料にして「圧搾コルク板」を開発、商品化させました。今でいうリサイクルのはしりだったというべきかも知れません。そして海軍から大量に発注され経営は一気に拡大、出張所を設けて大阪や東京へと進出する攻勢ぶりをみせていました。
ところが1923年に起きた関東大震災によって東京出張所では壊滅的な打撃を受け、また1923年にはコルク工場が全焼してしまいました。これをきっかけにコルク製造業から機械関連事業へと大きく舵を切ることになり、1927年には社名も東洋コルク工業から東洋工業へと改称、念願だった自動車メーカーに向けて第一歩を踏み出すことになりました。
当初は海軍工廠の下請けとして兵器や部品を製造していましたが、最終的な目標を自らの自動車を製造する自動車メーカーとし、先ずはオートバイ、そして三輪トラック、と研究開発の輪を広げていきました。
1930年には単車6台を試作、その後30台を製作して市販しています。これがマツダの最初の市販モデルでした。
翌31年には最初の三輪トラックであるマツダ号DA型が完成。リバースギアを組み込んだ変速機やリアのデフなど、それまでのライバルには装備されていなかった機能を搭載していたことに加え、全国にネットワークを持つ三菱商事に販売を一括して託していたこともあり、発売と同時に好調な販売成績を記録。やがて国内販売でも4分の1にあたる大きなシェアを持つまでになりました。
さらに1940年には4輪の小型乗用車を試作しています。
ただし太平洋戦争が激化するにつれて東洋工業が戦時下の軍需生産体制に組み込まれ、民需のための自動車(三輪トラックも含めて)の生産は制限されるようになって4輪の開発も戦後までお預けとなりました。
広島地区の戦後復興を担い 3輪トラックから再出発したマツダ
太平洋戦争は、国内各地に大きな傷跡を残して終わりを告げましたが、原爆が投下された広島の惨状は酷いものでした。幸いにも東洋工業の本社は広島周辺で、大きな建造物としては唯一、残存しており、ここに広島県庁や広島県警察本部などが同居して、復興への道が始まりました。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から軍需工場の民需転換の許可が下りて、終戦から4か月後には3輪トラックの生産を再開させました。敗戦からの復興に向け、手軽な輸送手段として3輪トラックの需要が高まり、東洋工業は市場の要望に応える格好で1950年には業界初となる1t積みのマツダ号CT型を発売し、51年にはロングボディ仕様のCTL型、翌52年には2トン積みモデルも登場させ、東洋工業は自動車メーカーとしての橋頭保(きょうとうほ)を確立することになりました。
3輪トラックで自動車メーカーとしての地位を確立した東洋工業は、3輪トラックの改良を続ける一方で、3輪乗用車のPB型も50年に製造。
また4輪自動車の開発も並行して行っていました。そして1949年には試作車が完成します。それが小型トラックのCA型でした。
翌50年には発売にこぎつけましたが時期尚早だったのか、30台余りを販売しただけで生産を休止。4輪進出のプロジェクトも一時棚上げとなってしまいました。そうした経緯もありましたが、1950年代に入ると再び、4輪自動車の開発が始まりました。そして58年には小型4輪トラックでキャブオーバータイプのロンパーが登場しています。
このロンパーは後にD1100/D1500と名を変えてライトバンも追加されています。また59年には軽3輪トラックのK360が登場。小型車枠のK600とともに人気を集めることになりました。
1955年には通商産業省(現在の経済産業省)が『国民車構想』を発表、それにこたえる格好で国内の自動車メーカーは、スズライト・セダン(鈴木自動車工業。現スズキ)やスバル360(富士重工業。現SUBARU)、そして60年代に入ると三菱500(新三菱重工業。現三菱自動車工業)やトヨタ・パブリカ(トヨタ自動車工業。現トヨタ自動車)など軽自動車や小型乗用車など、いわゆる“大衆車”を続々と登場させてきました。
そうしたライバル各社を見極めながら、東洋工業では新車の開発構想として『ピラミッドビジョン』を打ち出しています。これは企業などが戦略を立てる際に重要度の高いモノから積み上げていく手法などを示すものですが、当時、東洋工業の松田恒次社長が度々口にしていたというそれは、まずは大衆向けの軽乗用車から始めて、国民所得や社会背景が上昇していくに従って小型乗用車、中型乗用車、と車格を上げていく商品開発を展開。最終的には高級乗用車まで開発して総合自動車メーカーを目指す、という考え方でした。
これは2010年に発表されたSKYACTIV TECHNOLOGY(スカイアクティブ・テクノロジー)において、先ずはエンジン、トランスミッション、プラットフォームといったベース技術の基本性能を優先的に高めていき、その先で電気デバイスの採用を拡大するという戦略にも通じるものがありました。こうして考えるとマツダは、その前身である東洋工業の時代から、つねに着実な発展を心掛けてきたその証左ともいえるでしょう。それはともかくとして、この『ピラミッドビジョン』によって東洋工業は、60年から軽自動車に続いて小型大衆車、上級小型車と新型の4輪乗用車を続々と登場させることになります。
トップバッターは2+2のR360クーペ
東洋工業初の4輪乗用車となったのは、60年に登場した軽乗用車のマツダR360クーペでした。
今見てもキュートで魅力的ですが、軽自動車枠の中に2+2のキャビンを収めた3ボックススタイルのクーペボディは、スペース効率が追求された素晴らしいデザインでした。
一方でメカニズム的にもOHVを採用した軽自動車として初となる4サイクルエンジンを搭載し、サスペンションは前後独立式、さらに岡村製作所と共同開発した自動変速機を搭載したAT仕様もラインナップするなど、当時の最新技術を満載していました。販売価格が、当時の国産車としては最も安価な30万円に設定されたことも大きなエポックで、発売と同時に大ヒットとなりました。
家族の要望に答える4人乗りキャロルへ
R360クーペは実質的には2人乗りでしたが、家族に1台のクルマとしては4人乗りが必要、との声も多くありました。そんな声に応える格好で62年に登場したのがより乗用車らしくなったキャロルでした。
こちらは、61年のモーターショーにマツダ700として参考出品された小型乗用車をベースに、ボディとエンジンを軽自動車枠の中に収めたもの。R360クーペに比べてホイールベースを170mm延ばすとともに、フロントのノーズ部分とリアのエンジンルームを少しずつ切り詰め、その分キャビンを前後に伸ばしたことでフル4座のキャビンスペースを確保していました。また1年後には軽乗用車初の4ドアセダンも追加されています。
キャロルのエンジンはOHVながら総軽合金製の直列4気筒で、これもR360クーペに比べて車格を一段引き上げることになりました。なおエンジン排気量を600ccに拡大、小型乗用車としたキャロル600も62年11月に登場しています。
その後マツダはファミリア、ルーチェ、ロータリー・エンジン(RE)搭載するスポーツカーのコスモ・スポーツと矢継ぎ早に魅力的な新型車を投入。フルラインナップを持つの総合自動車メーカーへ発展していきます。
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Le Mans制覇がピークでしたね…