10回目を迎えたコッパ・ディ東京
コッパ・ディ東京も10年目の開催となった。最初に始まったのが、上野の東京国立博物館でのことで、小林彰太郎さんも参加されていたことを懐かしく思い出す。まったく、10年ひと昔だ。第2回目からはサンマリノ大使館の紹介で、場所を汐留イタリア街に移した。しかし、走行ルートとしては、第1回以来、東京の東側を主な舞台として落ち着いている。世界中の都市の中でも、最も変幻の速度が速いと思われる東京だけど、コッパ・ディ東京のルートでは、そこかしこに、いにしえの東京/江戸の名残を垣間見ることがあるのだ。そのルート設定も密やかな人気の理由のひとつとして数えられるだろう。
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アバルト勢に、TOM’sエンジェルT01まで
しかし何より圧巻なのは、汐留イタリア街に集結した参加車両の多様性だろう。まるでおもちゃ箱のように彩りも鮮やかで、今回はあいにくの秋雨の中のスタートであったが、それをしても、しっとりとして乙な光景に見えたものだ。とくにオープンの参加車両にとっては大変だったが、勇壮にスタートしていき、たくさんの観客もその姿に感激していた。
ルートの途中からは雨も上がり、イタリア街に再び戻ってくる頃には広場は秋の柔らかな光に満ちて、参加車たちの姿もいっそう美しく見えたものだ。
全60枚 「コッパ・ディ東京」詳細レポ
神田川が隅田川に合流するところに架けられた柳橋を渡る、1954年ACエースに乗るのは東儀秀樹選手。後ろは1964年ポルシェ356SC。
傑作車フィット600や500を開発したダンテ・ジアコーザが満を持して発表した前輪駆動が128。その中で珍しい1972年フィアット128NPラリー。
1952年のシアタ300BCというバルケッタでエントリーされた山形選手は、雨なので、ランボルギーニ・カウンタックに乗り換えて出走した。
これはパブリカのなかで最もスポーティなモデルで、トヨタ・スポーツ800と同じエンジンを搭載する1968年トヨタ・パブリカ・コンバーチブル。
近年はランチアでも、いぶし銀の趣があるセダンが何台か上陸したことが愛好家たちの間で評判になっている。これは1947年ランチア・アルディア。
コッパ・ディ東京のみならず、日本のヒストリックカー・イベントではますます356の存在感が増しているようだ。1960年ポルシェ356Bロードスター。
コッパ・ディ東京は都内を走るラリーなので、シティコミューターの一種であるバブルカーの参加も多い。これはドイツのハインケルを英国で生産した1963年ハインケル・トロージャン。
1927年ブガッティT38は、同社初の8気筒モデルだったT30の後継車。ブガッティ伝説の女性レーサー、エリザベス・ジェネックの愛車と伝えられる。今年のLFMMでは優勝を飾った。
シアタは1926年創業のフィアットと結びつきが深いメーカーで、技術的交流もあった。この1949年シアタ・アミカは独自のチューブラー・フレームにトポリーノのエンジンを搭載する。
モデナのスタンゲリーニはフィアット創業時からの老舗代理店であり、フィアットのチューニングパーツやこの1952年750Sビアルベーロのようなレーシングカーを開発した。
1939年フィアット508Sアラドーロは、戦前のバリッラの車体にカロッツェリア・アラドーロによる横断面が翼のような形態のボディを持つ。ちなみにアラドーロとは黄金の翼という意味。
今回注目されたのが1957年フィアット・アバルト・ゴッチアだ。これでも素材はフィアット600。ゴッチアとは水滴の意味で、名が体を表し雨の中を突き抜けるミサイルのようであった。
1963年フィアット・アバルト850TC。アバルトをしてアバルトたらしめた起点が、ダンテ・ジアコーザによるフィアット600の登場であった。多くのアバルトが600をベースに開発され、様々なカテゴリーで優勝した。
1961年アルファ・ロメオ・ジュリエッタSZ。先にジュリエッタSVをベースにSVZがザガートによって少数作られた。SZはアルファ・ロメオの正規モデルとして用意されたが、210台を僅かに超えるほどの生産台数だ。
1959年アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー。ジュリエッタは戦後のアルファ・ロメオを代表する小排気量ながら高性能で、ベルトーネ、ピニンファリーナ、ザガートによるイタリアのデザインが際立った。
1965年フィアット・アバルト850 OT。600の発展型で、最後のリアエンジン車として登場したフィアット850のアバルト版。後にはこの車体に1000、1600、果ては2000のビアルベーロまで搭載された。
1959年フィアット・アバルト750GTザガート。アルミ・ボディを得意としたカロッツェリア・ザガートとアバルトとの結びつきは必然的なもので、そこから、この小さな傑作が生まれた。
1963年ランチア・フルヴィア・ベルリーナ2C。ランチアの歴史は技術者による時代区分がある。一期目は戦前、そして2期目がヴィットリオ・ヤーノの時代、そしてアントニオ・フェシアを迎えてフルヴィアを開発した3期目。
1933年モーガン・スーパースポーツ。英国のモーガンは3ホイラーの様々なモデルを送り出し、自動車史の1ページを占めている。
1936年モーガン・スーパースポーツ。モーガン社は今年で創業から104年を迎えた。しかも英国で唯一の民族系メーカーの矜持を持つ。
1950年モーガン4/4。モーガンが最初に登場せしめた4輪車がこの4/4となる。驚くべきことに今に至るまで基本は変わらずに生産されている。
1955年ランチア・アッピア・シリーズ1。1937年に登場した先進的な小型車だったアプリリアの流れを引くアッピアは、アウレリアの妹のような立場でもあり、1089ccと小型でありながら高品質で高級なセダンである。
1962年アルファ・ロメオ・ジュリエッタSZ2。エリオ・ザガートとエルコーレ・スパーダのアウトストラーダでの実走行テストからコーダトロンカのSZ2が生まれ、やがてTZに発展したと伝えられている。
1973年アルファ・ロメオGT1600ジュニア。ジュリエッタと同じくジュリアの登場も、同時代のクルマたちを遥かに後方に追いやったものだったが、また人気も衰えず、長い期間で多種モデルが展開された。
1974年ランチア・ストラトス。ディーノ246gtから横置きV6エンジンを譲り受けながら、全く違う性格とスタイルを持つのがストラトス。フィアット傘下になったランチアに揺るぎない栄光をもたらした。
1995年TOM’エンジェルT01。鮒子田寛率いるトムスGBは、F1進出まで企てていたが、また元ロータスF1の設計者を中心に小型スポーツカーの開発まで手掛けていた。これがそのプロトタイプ。
1968年フェアソープTX-S。バックヤードビルダーとキットカーのマーケットがある英国ならではの小生産スポーツカーがフェアソープだ。TX-Sは鋼管フレームにトライアンフTR6のエンジンを搭載。
1971年アルピーヌ・ルノーA110 1600S。フランスのスポーツカーとして珍しく、ミッレ・ミリアやアルプス杯を主戦場として選んだアルピーヌは、やがてモンテカルロをはじめとする国際ラリーの主役になった。
1965年マセラティ・ミストラル・スパイダー。本来レーシングカーしか作らなかったマセラティは、戦後は6気筒のエンジンを搭載したスポーツカーの生産に乗り出し、フェラーリとは異なる個性を打ち出した。
1971年ダッジ・チャレンジャー・コンバーチブル。アメリカ車は’73年頃まで、巨大化、ハイパワー化の道を進んだ。ダッジ・チャレンジャーには保守に反逆するイメージがあり、いささか不良っぽいところが受けた。
1960年ポルシェ356Bスーパー90GT。1953年の初期モデルから様々な356が参加したが、これは約10台のみ生産されたアルミ製ボディを持つタイプ。
1956年ポルシェ356スピードスター。特にレース用として企画・開発された356がスピードスターで、低いフロントウインドウが外観の特徴。
1964年ルネ・ボネ・ジェット。ル・マンで活躍したルネ・ボネ・ジェットは市販されてミドシップ・スポーツカーの先鞭を告げた。
1949年スタンゲリーニ1100Sビアルベーロ。チューブラー・フレームにビアルベーロ(DOHC)のエンジンを搭載したスタンゲリーニのワークスカー。
1953年フィアット500Cトッポリーノ。1936年に発表されたトッポリーノは1949年にC型となり、600の登場直前まで長きに渡って生産された。
1957年フィアット・ヌオーヴァ500。1955年に登場した600よりも、さらに小さな実用車として開発されたのが500。これはその原初の500だ。
1961年ポルシェ356Bカブリオレ。356のオープンモデルにも、そのライフスパンのなかで様々なモデルが用意された。
1964年ジャガーE-タイプ・シリーズ1。1961年のE-タイプの出現は、その新鮮なスタイルや性能の高さで、大きなセンセーションを呼んだ。
1964年ジャガーE-タイプ・シリーズ1。E-タイプはレースでもポテンシャルを発揮し、時にはフェラーリを打ち負かすこともできた。
1952年ラゴンダ2 1/2。ディビッド・ブラウンは、ラゴンダのW.O.ベントレー設計の6気筒エンジンに注目してアストン マーティンDB2に搭載。両車はいわば兄弟車となった。
1950年オースチンA90アトランティック。アメリカ市場を狙って開発され、それゆえコラムシフトでベンチシートだ。エンジンとミッションは後にチューンナップされてオースチン・ヒーレー100に採用されることになる。
1959年ポルシェ356AカブリオレHT。356はAに進化してサスペンションが改良され、タイヤサイズも変わり、エンジンのラインナップも変更。1958年からはカブリオレに脱着式ハードトップも用意された。
1964年ポルシェ356SC。ポルシェが設計したクルマの中で初めてポルシェと名乗ることになった356。その最終型となるのがSC。
1965年マセラティ・セブリングSr2。カロッツェリア・ヴィニャーレのボディに350Sのレーシングエンジンをモディファイして搭載。
1972年ディーノ246GT。フェラーリ初の公道用ミドシップ・スポーツカーは、最初から完成の域に達したクルマだった。
1965年ASA1000。カロッツェリア・ベルトーネによる上品なベルリネッタのエンジンは4気筒1000ccと小体なれど、その素性は紛れもなくフェラーリ。ミラノの実業家の元でごく短期間、生産された。
1956年ジャガーXK-140。戦後のジャガー大成功の要因はそのスタイルに加えて、ウィリアム・ヘインズとハリー・ウェスレイクによるDOHC6気筒エンジンも外せない。ル・マンも同エンジンで優勝。
1969年マツダ・コスモ・スポーツ。商業車の生産で歴史のあるマツダは果敢にもヴァンケル・エンジンの実用化に挑戦。その歩みはコスモ・スポーツから始まり、果てはル・マン24時間レース優勝という殊勲を挙げた。
ゴール後、イタリア街の広場は参加車たちでパズルのように隙間なく埋め尽くされた。
1967年フェルベス・レンジャーは、フィアット500をベースにしたオフロード用多用途車。
1964年アルファ・ロメオ・ジュリアTIスーパー。TZと共通のエンジンを持つスーパーセダン。
ゴールした参加車たち。にわかに祝祭の雰囲気が漂う。
メッサーシュミットやフィアット・アバルト・ゴッチアも人気を集めた。
参加車のゴールをカンツォーネで迎えた歌姫kayoko Yuzawa。
コンデレ人気投票が各クラスで行われ、今回のポスターをモチーフにした特製の置き時計がプレゼントされた。
中村隆晴が選ぶスクーデリア・ヴェロチッタ賞はオースチンA90の素敵な女性クルー染井さんたちに贈られた。
四方義郎さんが選ぶダンディなドライバーとクルマの組み合わせにも、ヨモGG賞としてプライズが用意された。
コッパ・ディ東京10周年記念の、これまでの全ポスターを掲載したブランケットがカデロ大使によって披露。
サンマリノ全権大使カデロさんが選ぶグランプレミオ・サンマリノ賞は、小森隆さんとポルシェ356SCに贈呈。
10回目の記念すべき総合優勝の栄冠は、MG TCを駆った斎藤昭義さんと貝塚吉貴さんのコンビが勝ち取った。
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