長く愛される名車もあれば、1代限りで消えていった儚いクルマも数知れない。
なかにはデザインや個性があまりにも強く「こだわりすぎた」ために、かえって敬遠され、市場に受け入れられなかったクルマも存在する。
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ここでは、“果敢な挑戦”だったことが、逆に災いとなってしまった、愛すべき“しくじり車”を紹介していこう。
文/岩尾信哉
写真/トヨタ 日産 ホンダ マツダ 三菱
【画像ギャラリー】こだわり過ぎた”しくじり車”のディテールを写真でチェック!
贅沢を極めたロータリークーペ
■ユーノスコスモ 1990(平成2)年3月~1996(平成8)年6月
当時、マツダは販売チャンネルの拡大戦略を図っており、ユーノスコスモはそのなかの一つ、ユーノスブランドのフラッグシップモデルとしてデビュー
搭載エンジンは、2ローターの13B型ターボ(230ps/30.0kgm)と、量産車としては世界初となる3ローターの20B型ターボ(280ps/41.0kgm)
コスモスポーツから数えれば4代目となる「ユーノスコスモ」は、「ロータリー・スペシャルティクーペ」と称され、唯一無二の30B-REW型3ローター・シーケンシャル・ツインターボを搭載した量産車として、マツダ史上、最も贅沢なモデルだったといえる。
おそらく、マツダがロータリーエンジンを搭載することなく「コスモ」が復活させることはないはずだが、まさしく「こだわりすぎた」ラグジュアリースポーツと呼びたい。
全長4815×全幅1795×全高1305mm、ホイールベースは2750mmという、正真正銘のワイド&ローのスタイリングだ。
ロータリーモデルらしく低く抑えられたエンジンフードとリアまで伸びるショルダーラインは発売から30年経った今見ても色褪せない。
3ローター+豪華インテリアの融合
20Bエンジン搭載車にはCCS(カー・コミュニケーションシステム)と呼ばれるGPSシステムを世界で初めて搭載。本革シート、タッチパネルやウッドパネル(一部グレードのみ)などと合わせてマツダの本気が窺える
インテリアはいわゆるバブル期特有の贅沢さが際立っていた。たとえば、インテリアでもイタリア製の本杢インストルメントパネル・ガーニッシュを採用。
さらに、オーストリアのシュミットフェルトバッハ社製のレザー表皮シート(同時期にラインナップされていた初代センティアや後述する日産レパードJ.フェリーに設定されていた)を備えていた。
そのほかにも、3ローター車には世界初のGPSナビゲーションシステム(三菱電機製)を装備するなど、てんこ盛りの充実さを誇っていた。
一方で、マツダの心意気を感じるのは、当時流行していた先進性や豪華さを演出には適していたように思えるデジタルメーターではなく、アナログメーターを採用していたことだ。
実燃費が“リッター2km”と揶揄されたように、オーナーにとっては財布にとっては痛手であろうと、個人的にはどうでもよいことだ。
ルマン24時間レースを制した4ローター直系の3ローター・ロータリーエンジン搭載やスタイリングの出来映えを含め、今回採り上げた車種のなかでは個人的には最も復活を望みたいモデルとしておきたい。
ユーノスコスモの中古車情報はこちら!
アメリカ流そのままでは無理がある?
■日産レパードJ.フェリー 1992(平成4)年6月~1996(平成8)年3月
エンジンはシーマ用の4.1L、V8 (270ps/37.8kgm)と先代F31型にも設定された3L、V6(200ps/26.5kgm)の2種類で、4速ATを組み合わせて後輪を駆動する
レパードとしては3代目(JY32型)となったレパード「J.フェリー」は、曲線のみで構成されたスタイリングのほか、イタリア製レザーで仕立てられた内装など、バブル景気の“残り香”を漂わせて登場した。
ただし、当時の北米市場では立ち上がったばかりのインフィニティブランドでは成立したものの、日本市場の日産ブランドでは「やりすぎ」となってしまった異色の高級セダンだ。
まだ当時、3ナンバーのボディサイズがしっくりとこなかった筆者にとって、全長4880×全幅1770×全高1390mmの丸みを帯びて大柄に思えたボディ(ホイールベース:2760mm)に違和感を覚えたことが印象に残っている。
また”尻下がり”のスタイルは日本ではウケないと自動車雑誌でよく書かれていたことを思い出した。
4ドアセダンのみの設定となったとはいえ、インフィニティJ30を日本市場に投入して命脈を保つことになったレパードは、セルシオやクラウンマジェスタと並んで数少ない、当時の日産の乗用トップモデルだったインフィニティQ45とともにV8搭載車としての価値はあったはず。
エクステリアデザインは主に日産のカリフォルニアデザインセンター(NDI)が手がけ、リアエンドの下がった、いわゆる「尻下がり」「垂れ尻」の北米市場の“好み”に合わせた仕上げとなっていた
インフィニティ流の「贅沢さ」
内装の仕立てについても、センターコンソールと運転席ドアスイッチ周辺は本杢パネルで仕上げられている。日本車としては初めて、助手席エアバッグを標準装備した(レスオプションも選択可)車種でも
贅沢装備は日産車としては異例の贅沢な仕様といえ、フェラーリやマセラティにも収められているイタリアの家具メーカーであポルトローナ・フラウ製(表皮のみ)の本革シートをオプションで用意する。
このシートの設定価格は約80万円とされ、標準仕様の本革シート(オーストリアのシュミットフェルトバッハ製で初代マツダセンティアにも採用していた。でも設定価格が約50万円に達するなど、高級感の演出は突出していた。
ここまでの中身を与えても、日本国内では月平均の販売台数は約数十台から100台強程度と低迷、総販売台数も約7300台に終わり、インフィニティブランドの導入を横目で見ながら(結局は不発に終わったが)大胆にラインナップに加えられたJ.フェリーは、残念ながらバブル崩壊最後の“徒花”となってしまった。
だが、今の日産にこれほどまで贅沢かつ斬新なモデルを生み出せるエネルギーが残っているのか。少なくとも個々のモデルに他メーカーを出し抜くような、コンセプトの大胆さを求めたくなるのは筆者だけではあるまい。
日産レパードJ.フェリーの中古車情報はこちら!
どこまでも斬新、どこまでも異端
■ホンダZ 1998(平成10)年~2006(平成18)年1月
UM-4という独自のメカニズムを搭載して登場したZは衝突安全面でも有利だった。しかし使い勝手を考えると3ドアしかなかったのが致命的だった
この2代目となる(といっても、個人的には今でさえピンとこない)「Z」こそ、ホンダの商品戦略の“大胆不敵さ”が凝縮したモデルに違いない。
まず「コンセプトありき」で生み出され、そもそも量産されることに無理がある(?)ような「こだわりに富んだ」というよりは「自由すぎる」成り立ちは、どこか天晴れと言いたくなるような独自性の塊だった。
ホンダの過去のモデルの名を復活させるパターンを数あるが、Zもそのひとつ。1998(平成8)年の軽自動車の規格変更に伴い、同時に登場したライフ(これも2代目)とともに登場した新型Zは、初代とはまったく異なるコンセプトを打ち出した。
エンジン縦置きのフロア下ミドシップ(これに近いコンセプトの乗用量産モデルは、初代トヨタエスティマぐらいだ)レイアウトの採用は、良くも悪くも“ホンダらしさ”に溢れていた。
技術への「こだわり」が生み出した個性
メカニズムをフロア下に集積した結果、軽自動車ながら小型車に匹敵する室内長を確保。当時ユーティリティ面でZにかなう軽自動車は存在せず
2代目ホンダZは「UM-4:Underfloor Midship 4WD」と呼ばれた独自のプラットフォームを基本に、50:50の車重配分を実現。全車ビスカス式センターデフで適宜後輪を駆動する“スタンバイ”4WDを採用。
そのほかにも、アイポイントの高さやフラットに仕立てられたフロアなど、パッケージングを見れば、Zが単純な箱形モデルではないことは明らかだ。
衝突安全実験車から生み出されたという経緯があるZは、当時のホンダ社内で設定したフルラップ55km/h、64km/hでの40%オフセット(変形バリア)の衝突試験をクリア。
さらに歩行者頭部障害軽減保護機能として、FFであればエンジンが設置されるフロントコンパートメントに衝撃吸収構造を与えた効果だ。
だが、これだけ細部にこだわりが溢れていても、全体のコンセプトすなわち「このクルマで何を実現したいのか」がわかりにくくなってしまっては「エンジニアのわがままの集大成」と捉えられても致し方なかろう。
約8年の販売期間で4万台ほどの総販売台数(発表当初の月間目標販売台数は5000台)を見れば、面白さだけでは大ヒットには至らなかったということになる。
軽自動車という“真面目な”カテゴリーゆえの結果といえるかもしれないが、「やりすぎた」モデルとしては納得すべき数字だろう。
ホンダZの中古車情報はこちら!
革新的なスタイルは今見ても素晴らしいがなぜかウケず
■三菱i(アイ):2006(平成18)年~2015(平成27)年3月
エンジンのないフロントの空間はクラッシャブルゾーンとしても効率的に利用され安全性を高めるのに一役買っている
箱型のハイトワゴン、さらに背の高いスーパーハイトワゴン全盛の最近の軽自動車のなかにあって、i(アイ)を見ると、これほどスタイリングにこだわった軽自動車は稀なはず。
斬新な“ワンモーションフォルム”など、独自のコンセプトを備えながら、買収されたダイムラークライスラー(当時)との関わりのなかで生まれ、消えていった不運な一台といえる。
iは三菱の独自設計とされるプラットフォームを基本に、エンジンを45度傾斜させてリアアクスルの前方に載せる「リア・ミッドシップレイアウト」を採用した(燃料タンクは床中央に配置)。
iの開発に当時提携関係にあったダイムラー(当時のダイムラークライスラー)がどの程度関与したかは明らかにされてはいない。
あくまで参考ながら、筆者が確認した初期モデルでは、エンジン周りの部品やガラスウインドウなどのパーツ類には当時のダイムラークライスラーの名が見られ、前後のタイヤサイズは145/65R15、175/55R15と当時のスマートと共通なのは偶然ではあるまい。
パッケージングでは、全長3395×全幅1475×全高1600mmのボディサイズにホイールベースは軽自動車として現在でも最長とされる2550mmを設定して、リアエンジンレイアウトとして室内空間に余裕を持たせた。
マクファーソンストラット/3リンク式ドディオンアクスルのサスペンションとともに、独自のセッティングを施した電動パワーステアリングのフィーリングは独特で、ブレーキング時にノーズダイブすることなく水平の姿勢を保ったまま減速する振る舞いはリアエンジン車ならではといえた。
発表時には軽自動車用3B20型直3ターボ(64ps/9.6kgm)を設定。発表から間もない2006年10月には自然吸気エンジン仕様(52ps/5.8kgm)を追加。それぞれ4速ATを組み合わせている
こだわりすぎたデザイン?
エンジンを後方に置くことで軽自動車屈指の長いホイールベース(前輪軸と後輪軸との距離)を実現。これがゆったりとしたスペース、そして大きな口径のタイヤとともに走りの安定性をも生み出した
デザインへのこだわりがわかるのは、全高を多くのタワーパーキングに見られる1550mmの車高制限値にギリギリ収まらない1600mmに設定したことだ。
チーフデザイナーによれば10mm減らすことは考えなかったというから、独特なスタイリングの実現にどこまでもこだわったのだろう。
一方で、軽自動車としての資質に優れていたとしても、強すぎる個性、特にスタイリングは時としてマーケットに拒否反応を示されてしまう。
ただし、三菱iは生産が終了してしまったが、ほぼ同じスタイルの電気自動車のi-MiEVがまだ販売されているのを忘れちゃいけない。i-MiEVの新車を欲しい方は急いだほうがいいかもしれない。
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トヨタだから挑戦できた大衆車のガルウイング
■トヨタセラ 1990(平成2)年3月~1994(平成4)年12月
キャビンを形作る大型曲面ガラス部品の生産は、大手ガラスメーカーのAGC(旧旭硝子)が手がけたとされる。エンジンは1.5Lの5E-FHE型直4のみの設定で110ps/13.5kgmを発生。トランスミッションは4速ATと5速MT
トヨタが1990年代の始まりに、大胆なコンセプトを打ち出して登場させたセラは、1987(昭和62)年の第27回東京モーターショーで公開されたコンセプトカー「AXV-II」を元に量産化されたコンパクトカーだ。
キャビン全体を航空機のキャノピー(風防)のごとく、キャビン全体を曲面ガラスで仕立てた「グラッシーキャビン」や当時も今もスーパーカーなどにしか見られない設計の「ガルウィングドア」の採用など、仕立ての斬新さは見る者を驚かせるに充分だった。
ボディサイズは全長3860×全幅1650×全高1265mm、ホイールベースは2300mmと、今改めてこのスペックを見ると、よくぞこんなコンパクトサイズのクルマにガルウイングを装着したなぁとビックリさせられる。
一方で、ベースとなった4代目スターレット(EP82型)の2ドアと比べると、790kgに対して890kg(5MT仕様)と100kgも車重が増加したのはガラス部品を多用した結果だ。
溢れた「挑戦」の姿勢
斜め前の上方に開く「ガルウィングドア」と“全面ガラス張り”と呼ぶにふさわしい「グラッシーキャビン」などは唯一無二でトヨタの本気度を示していた
ガルウィングドアは正確にはルーフにヒンジを設置して上方に開くドア構造を指し、セラのような前ヒンジで開くものは“バタフライドア”などと呼ばれる。
セラの設計ではウィンドシールドとフロントピラー、ボディが結合するため強度が確保できるAピラーの付け根にヒンジを設定、横方向への張り出しを抑える工夫が施された。
ドアの振り出し量は横方向で43cm(想像以上に狭いはず)と狭い場所での駐車には有利に働いた一方で、跳ね上げた状態でのドア高さは62cm増加して約1.9mまでに達していた。
操作性については、ガルウィングドアの開閉をアシストするために、高い反発力のガス式ストラットダンパーを採用。
気候の変化などによってガス圧が変わることで影響を受けるアシスト力の変化を抑えるために、「温度補償ステー」と呼ばれる機構も開発された。
インパネ全体を一体成形したデザインとともに、上級セダン用のエアコンを装備して、日光や外気による室内温度への影響を抑える工夫が施されたほか、パワーステアリング、オートエアコン、パワーウィンドウなどを、当時の小型車クラスとしては例外的に標準装備していた(ABSはリアディスクブレーキと組み合わせてオプション設定)。
この時期はCADや新たなプレス成形法が採用され始めた時期であり、チャレンジとして相当高いレベルだったはず。
セラはトヨタでなければ生み出せなかったモデルだったと断言できる。キャビン確保などの安全面を考えれば、どのメーカーも似たような車種を出すことに二の足を踏むモデルだったのだ。
販売台数に関しては、4年ほどで1万6800台、月にすると350台程度と高級スポーツカー並みの数字しか残らなかったにしても、セラがビジネスの上では敗れたとはいえ、トヨタの地力を感じさせる“挑戦者”だったことに疑う余地はない。
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みんなのコメント
タイヤ見れば分かる通り、プアすぎて街乗り志向。
まぁメーカーもそのつもりで作ってるが。
逆に見ると、そう乗るつもりなら面白い車だった。