モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、グループCカーの『トムス童夢セリカC』です。
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1982年より本格的にスタートし、1980年代後半に向かって世界的な隆盛を見せた車両規定であるグループC。このグループC車両規定の開始当初、日本の自動車メーカーは後年のような盛んな活動を開始する前だったが、そんななか日本のレーシングコンストラクターである童夢とトヨタ系のチューナーのトムスがタッグを組み、1台のグループCカーを作り上げてレースへと挑んだ。そのマシンが『トムス童夢セリカC』だ。
グループCカーというと、当時のベンチマークであったポルシェ956に代表されるように一般的な量産車とは似ていない、オリジナルのフォルムを持つプロトタイプレーシングカーばかりであった。
しかし、それと比べるとこの『セリカC』は、量産スポーティーカーのようなデザインのマシンである。ではなぜ、このようなデザインになったのか。それはマシンを製作するにあたって、当時販売されていた『トヨタ・セリカ』にフォルムを似せることが条件とされていたからだった。
それにはこんな経緯があった。トムスの舘信秀代表がこのグループCの活動を行うにあたって、トヨタ本社よりわずかばかりだが、当発売されたばかりだったセリカの宣伝予算を確保。その予算援助の条件としてトヨタから出されたのが前述の“セリカに似せること”だったのだ。
この要望に応えるかたちでデザインを担当した童夢の林みのるが、量産車のデザインを取り入れるのは間違いだと反対しながらも、ルーフラインをセリカのものにするなどしてイメージを残し、リヤミッドに2.0リッター直4ターボエンジンの2T-G改を搭載したセリカのグループCカーを作ってみせたのだった。
『セリカC』は、こうして誕生した後、1982年の鈴鹿1000kmでデビューを果たす。このレースでは残念ながらトラブルのためリタイアとなってしまったが、同年10月に富士スピードウェイで初めて開催されたWEC in JAPANに出場すると、ここで5位という予想外の好成績を残した。
この後、『セリカC』は1983年にフロントカウルのデザインをリファインして、トムス82Cと名を新たにして数戦に出場したのち、一線からは退いている。
このように優勝は果たすことができなかった『セリカC』だが、前述のWECにおける成績などを受けて、トヨタはグループC活動にさらに力を入れるようになった。この『セリカC』をきっかけに1970年代以降、久しくモータースポーツ活動から離れていたトヨタ本隊を動かそうという舘の思惑が当たったかたちだった。
そしてこれが1985年のトヨタにとって初のル・マン出場、さらに断続的ながら今も続くトヨタのスポーツカーレース活動にもつながっていく。その今日に至るまでの偉大な歴史の一歩を踏み出したのが、童夢とトムスの努力によって生まれたこの『トムス童夢セリカC』だった。
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