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誰も知らない80年代の名車 39選 前編 マイナー過ぎてついていけない無名のクルマたち

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誰も知らない80年代の名車 39選 前編 マイナー過ぎてついていけない無名のクルマたち

1980年代のマイナーな名車・迷車たち

戦争、燃料価格の高騰、インフレの蔓延……。なにかと暗いニュースが多い2022年だが、思い返してみれば、1980年代にもこのような出来事がたくさんあった。同時に、80年代といえば、今も愛され続ける名車が数多く生まれた時代でもある。すでにクラシックカーとして「殿堂入り」を果たしているものも少なくない。

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しかし、人気車種が輝きを放ち続ける一方で、すっかり影を潜めてしまったクルマも存在する。今回は、1980年代に世界で活躍したクルマの中から、もうすっかり忘れられてしまったものを紹介したい。

スバル・ブラット(1977年)

米国のロナルド・レーガン大統領がカリフォルニアの牧場で20年間所有していたクルマ。スバル・ブラット(BRAT)は、1977年から1994年まで販売されたメルセデス・ベンツSクラスに乗るような富裕層を惹きつけたピックアップトラックだ。

米国を中心に10万台が販売されたが、日本では正規導入されていない。後に1.8Lターボを搭載したモデルが人気を博し、スバルの信頼性の高さを確固たるものにした。現在に至るまでの米国市場での成功の礎となったクルマである。

プリムス・サッポロ(1978年)

サッポロという車名は、ご存知の通り北海道の札幌のこと。1972年の札幌オリンピックに由来するとされている。三菱とクライスラーが提携し、贅沢な装備と経済性の高さを備えたモデルとしてプリムスブランドから発売された。ランバーサポート付きバケットシート、スモークガラス、電動格納式ミラーなど、その仕様は現代の基準に照らし合わせても遜色ないものだ。

その上、約17km/hの低燃費と、ドライバーを楽しませるパフォーマンスを実現していた。こうして7万台程度が売れたにも関わらず、なぜ忘れ去られてしまったのだろう? それは、三菱とクライスラーの関係が変わり、三菱がコンクエスト(日本名:スタリオン)を販売し始めたからだ。

マイダス・ブロンズ(1978年)

英国のマイダスは、手軽なスポーツカーメーカーとして世界の頂点を目指すことも可能だったはずだ。しかし、1989年に発生した工場火災により、高い評価を得ながらも1989年に解散してしまった。

1978年に発売されたブロンズは、グラスファイバー・モノコックボディを採用し、同構造で初めて当時の衝突テストをクリアした。リチャード・オークスによる端正なスタイリングとゴードン・マレーによるエアロダイナミクス・デザインを採用し、後続のゴールドも登場。火災で金型が焼失したのは、販売が軌道に乗り始めたころであった。ブロンズ、ゴールド合わせて500台が生産され、その画期的なデザインは徐々に認知されつつある。

アルファ・ロメオ・アルファ6(1979年)

アルファ・ロメオは1973年に新型アルファ6を発売する予定だったが、オイルショックの影響で燃料消費の多い大型セダンは好ましくないとの判断から、この計画は頓挫した。その後、オイルショックが落ち着きを見せる1970年代後半まで、アルファ6はお蔵入り状態。何度かお色直しを行ってリリースしたものの、1979年にはすでに時代遅れの姿になっていた。

キャブレター付きの2.5L V6エンジンは珠玉の逸品だったが、燃費の悪さは発売当時も驚かれた。1983年にはスタイリングが変更され(写真)、ボッシュ製の燃料噴射装置を搭載、ターボディーゼルも用意されたが、この改良はあまりにも遅すぎたのである。1987年、アルファ・ロメオは約1万2000台を生産した後、廃止を決定する。

ビュイック・センチュリー・ターボクーペ(1979年)

若者を惹きつけるにはどうしたらいいか。その答えが書かれた攻略本があるとすれば、ビュイックは隅から隅まで読んだことだろう。1979年のセンチュリー(4代目)は、インディアナポリス500のペースカーも手掛けるビュイックが送り出したモデルで、クーペ、セダン、ステーションワゴンが用意されていた。

中でもターボ・クーペは、最高出力175psの2.8L V6ターボを搭載し、当時のシボレー・コルベットと同程度のトルクを持つ。サーブ900にも似たルックスで、ビュイックは「欧州の影響を受けた」というスタイリングを誇っていた。しかし、若者を惹きつけるには不十分で、生産開始から2年、販売台数2000台に満たず打ち切られた。

スティーブンス・サイファー(1980年)

スポーツカーが米国の法律で禁止されるのではないかという懸念から、多くのメーカーがスポーツカーを見放していた頃、自動車デザイナーのアンソニー・スティーブンスはサイファー(Cipher)というクルマを開発する。シンプルなシャシーにグラスファイバー製ボディ、850ccのリライアント製エンジンを搭載し、軽量かつコンパクトに仕上げられていた。

当時のAUTOCAR英国編集部の記者も絶賛する出来栄えだったが、スティーブンスはサイファーを生産するための資金を集めることができず、完成したのはわずか7台のみ。時期も性能も適切だったはずのサイファーが、実力にふさわしい支援を受けられなかったことは、自動車業界にとって損失と言えるだろう。

シボレー・サイテーションX-11(1980年)

シボレーにとってX-11は、ボルボにとってのポールスターと同じような存在である。レア車を目指すつもりはさらさらなかったはずだが、154万台が売れた普通のシボレー・サイテーションのうち、X-11は2万台に過ぎない。

X-11は、2.8L V6エンジンを搭載し、ボンネットを膨らませてスポーツ性を高めたパフォーマンスモデルである。1982年と1984年に開催されたコンペティションでシボレーを優勝に導くなど、輝かしい経歴を持つ。

ダッジ・ミラーダ(1980年)

V8エンジンとホワイトウォールタイヤのために生まれたミラーダほど、80年代のシックさを表現するものはない。このクルマは、高速道路を快適に走るクルーザーとしては理想的だったが、開発時に欲張ってスポーツ性を持たせようとした。

そのため、スポーツカーとしての性能の低さとバランスの悪さが不評を買い、大きな問題となった。販売は3年間でわずか5万2000台と、ライバル車と比べると微々たるものであった。しかし、米国の自動車業界における教訓として、今も語り継がれている。

AMCイーグル・カムバック(1981年)

ニッチな分野では、とても奇妙な創造物が生まれる。リライアント・ロビン然り、メルセデスR 63然り。そして米国では、AMCイーグル・カムバックがニッチの中のニッチとなった。現代のクロスオーバー車の先駆けと言えるモデルで、画期的な四輪駆動システムを搭載したコンパクトカーである。

四輪駆動と後輪駆動を切り替えることができるのだが、その操作のためにわざわざ停車する必要があり、初めてクルマを購入する人や仕事で使う人にとっては、とても不便なものだった。発売初年度は3万4千台とまずまずの勢いを見せたが、売上はわずか1年で減少してしまう。どのニッチ分野にも言えることだが、ニッチなクルマは消滅してから面白くなるのだ。

ジープCJ-8スクランブラー(1981年)

ジープCJ-8スクランブラーは、CJ-7のホイールベースを10インチ長くしたモデルである。CJ-7の伝説的なオフロード性能はそのままに、このセグメントではまだ珍しかったレジャー志向のモデルとして登場した。

積載能力と走破性の高さが評価されたのか、アラスカの郵便局にも採用されたが、こちらはピックアップではなくハードトップ仕様となっていたようだ。ジープのピックアップトラックは、2019年のグラディエーターの登場で復活を遂げる。

キャデラック・シマロン(1982年)

1982年に発表されたこのシマロンは、プレッシャーの産物だった。海外メーカーに売り上げを奪われることを懸念したキャデラックは、GMに既存のプラットフォームを使って新たなクルマを開発するよう求めた。問題は、その開発期間の猶予が1年しかなかったことだ。

そこで、シボレー・キャバリエに装備を詰め込み、リバッジして「ザ・シマロン・バイ・キャデラック」として4000ドルのプレミアムをつけて売り出すことになったのだ。年間2万台を売ったものの、このお粗末な作りはすぐに見破られ、販売は6年かけてゆっくりと地に落ちていった。

フォードEXP(1982年)

廃止寸前だったフォードEXPを救ったのは、エンジニアたちだった。フォードEXPは、フォード・エスコートに代わるスポーティなモデルとして1982年に登場。フロントグリルがない奇抜なデザインが特徴で、22万5000台が販売されたものの、一番のファンは街ではなく工場内にいた。

高品質の日本車に押されて初代EXPの生産が終了する頃、フォード工場で従業員がエスコートの部品を流用した改造車を作り、なんと上司の承認を得てしまった。その結果生まれた2代目EXPは、初代よりも平凡なデザインになってしまったが、エスコートファミリーの中で生き続けたのである。

リンカーン・コンチネンタル・ターボディーゼル(1983年)

リンカーンの中でも最も有名なモデルの1つであるコンチネンタルだが、欧州風味のディーゼルエンジン搭載車は、数十年にわたる歴史の中でも特に目立たない存在である。

メルセデス・ベンツが米国に輸入したディーゼル車は、リンカーンを大いに困らせた。キャデラックも流行に乗り、去りゆく顧客を引き止めるためにディーゼル車の販売を始めるが、上手くはいかなかった。

1984年モデルでは、最高出力140psの4.9L V8と、BMWが製造した115psの2.4L直6ターボディーゼル(524tdと同じユニット)を設定。しかし、結局のところメルセデス・ベンツの顧客はリンカーンを欲しがらず、リンカーンの顧客もディーゼルを欲しがらなかった。1985年以降、ディーゼルは消滅した。

いすゞ・インパルス(1983年)

キュートだけどスレンダー。パワフルだけど繊細。どれも、今のいすゞから連想される言葉ではない。しかし、海外で展開されたいすゞ・インパルス(日本名:ピアッツァ)の広告には、月に照らされた暗い背景に、「It screams when you step on it(踏むと叫ぶ)」というキャッチフレーズが添えられ、異様な雰囲気を漂わせている。

実際、ジョルジェット・ジウジアーロがスタイリングを手がけ、ロータスが開発したサスペンションを搭載するなど、時代の先端を行くクルマであった。しかし、その人目を引くルックスと繊細なキャラクターは、さすがに時代を先取りしすぎていたのか、グローバル販売は成功とは言えず。1991年にデビューした2代目は、似て非なるものとなった。

マーコス・マンチュラ(1983年)

マーコスはどれも希少なマシンばかりだが、いずれも忠実なファンを獲得している。しかし、マンチュラやその派生モデルであるマンタラ、マンタレイは、あまりにもスルーされ過ぎている。同じローバーV8エンジンを推進力に、TVRのようなスリルを味わえるのに、残念なことだ。

マンチュラは完成車とキットカーが販売され、ボディ、シャシー、駆動部品は非常によくできていたにもかかわらず、一部のユーザーが「キットカー」に抱いていたネガティブなイメージを拭い去ることはできなかった。マーコスは289台のマンチュラを製造している。その性能とドライビングの楽しさは折り紙付きである。

ジマー・クイックシルバー(1984年)

ポール・ジマーは1978年にジマー・モーターカーズ社を設立し、高級車の製造を開始した。最初のモデルはネオクラシックのゴールデンスピリットだったが、1984年にポンティアック・フィエロをベースとするクイックシルバーが登場する。中古のフィエロのシャシーを16インチ伸ばし、グラスファイバーのボディシェルを載せ、内装はレザーとウッドで豪華に仕上げた。1988年まで生産されている。

UMMアルター(1984年)

UMMアルターは、1984年と1986年にそれぞれ2種類のバージョンが発売された。いずれも機能優先のデザインで、可能な限り広い室内空間を実現。アルターIIは1989年のパリ・ダカールラリーで完走を果たすなど、耐久性にも優れていた。

UMMはアルターIIの民間向けモデルも販売したが(ビーチに似合う明るいデカールを貼ったモデルもある)、ラーダ・ニーヴァと比較しても、あまりにもベーシックなクルマであることに変わりはない。1992年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がポルトガルを訪問した際、パレード用の「ポペモービル」として使用されたこともある。

ポンティアック・サンバード(1984年)

初期のサンバードは退屈で、売れ行きもあまりよくなかった。しかし、サンバードGTが登場すると、すべてが一変する。ターボチャージャーを搭載し、「GT」の名にふさわしいスポーティなクルマとなったのだ。コンバーチブル仕様の追加に伴い、発売初年度は従来の2倍以上の販売台数を記録。最終的には3.0L V6モデルも登場した。しかし、ベストセラーは最高出力165psの2.0L 4気筒モデルで、ポンティアックの成功の方程式となった。

クライスラー・レーザー(1984年)

クライスラー・レーザーは、80年代を象徴するパープル・サンセット(紫色の夕焼け)の中、近未来的なデジタルメーターとともに売り出された。明らかに未来からインスピレーションを得たデザインであり、0-100km/h加速もポルシェ944や日産300ZXターボに匹敵するタイムを実現。しかも燃費は約15km/lとお財布に優しい。ターボブーストゲージも採用し、15万台が販売された。

80年代はお好きだろうか? もしそうでなくても、ここで紹介したクルマに少しでも興味を持っていただけると幸いだ。後編もお見逃しなく。

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みんなのコメント

10件
  • 誰も知らないって、日本では販売して無いクルマを挙げて、なんなんだ?
    この記者、アホなのか?
    日本では知られないクルマなんてクソほどあるのに・・
  • いや、国内の話とちゃうんかい
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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