総長のビュイックで練習し、運転免許を取得!?
編集部:今回は友人とバイクでツーリングしている状況でしたが、長山先生は自動二輪の免許はお持ちですか?
まだ約5割が止まらない! 信号機のない横断歩道での一時停止。富山県がワースト1に。
長山先生:私は昭和33年(1958年)、26歳のときに免許を取得していましたので、大型二輪の免許が自動的に付与されていました。
編集部:以前は普通免許を取得すれば、大型二輪免許が付いてきたそうですね。私の頃は50ccの原付以外、自動二輪の免許は普通免許とは別に取得する必要があり、排気量が400ccを超える大型二輪免許は「限定解除」という難しい試験を、運転免許試験場で受けて合格しないと取得できませんでした。今では教習所でも大型二輪免許は取れますけど、あの頃は超難関の試験をクリアしなくてはならなくて、大型二輪免許を持っている人は特別な存在でしたね。
長山先生:そのようですね。難しい実技試験を受けずにオマケで付いてくるようなものだったので、羨ましいと思われたかもしれません。実は、さらに半年早かったら、更新時に大型免許2種まで自動的に取れました。
編集部:それはすごいですね。免許の投げ売りみたいじゃないですか? 日本のモータリゼーションの発展期だったのか、事故防止より職業ドライバーを増やすことのほうが優先されていたのですかね?
長山先生:多少それはあったのかもしれませんが、交通事故も問題になり始めていて過渡期だったのかもしれませんね。それから2種免許は別途取得しなくてはいけなくなりましたから。
編集部:でも、26歳での運転免許取得は、周囲と比べて少し遅かったのではないですか?
長山先生:おっしゃるとおりで、当時のクルマ好きの若者なら、免許が取れる年齢になったらすぐに取りに行っていましたから。26歳は遅いほうですね。私のクルマへの志向性はそれほど強いものではなかったのでしょう。そんな私が免許を取ろうと思ったのは、大阪大学文学部心理学教室に総長用のビュイックが払い下げになって、それを校庭などで乗り回して練習し、飛び込みで運転免許を取ることにしたからです。
編集部:外国車で練習し、一発免許で取得したのですか!? なんとも贅沢で大胆な感じですね。でも、その頃のアメ車は左ハンドルのオートマですよね? 試験場のクルマは右ハンドルのマニュアル車だったはずで、たいへんだったのではないですか?
長山先生:試験を行ったクルマはフォードだったと思います。左ハンドルか日本用に右ハンドルにしたものか記憶に残っていませんが。私が練習していた中古のビュイックと違って良く整備されているクルマで、エンジン音がとても小さかったです。そのため、実技試験の際にエンジンがかかっていないかと思ってキーを回し、ガガガと音をさせてしまったため、実技試験が不合格になったように記憶しています。
編集部:フォードですか? ビュイックと同じアメ車ですね。その頃は、まだ国産車は少なかったのですかね? でも、エンジンがかかった状態でセルを回すのは機械的に良くないようですけど、それをしたために不合格になるとは、厳しいですね。免許が取れてからは運転する機会はけっこうあったのですか?
長山先生:免許を取った2年後には助手となり、ドイツに留学(出張)した際にはドイツ国内の一般道路に加え、アウトバーンまで運転することができました。それが貴重な体験となり、帰国後、交通心理学を専攻するようになったのです。二輪車に関することでしたら、二輪車の事故事例を分析し、運転者教育への提言をした論文が国際交通安全学会論文賞を受賞しました(『二輪車の事故事例分析とそれに基づいた運転者教育の提言』(IATSS review Vol.9,No.2 1983年)。
編集部:国際交通安全学会はホンダがやっているものですよね。
長山先生:そうです。昭和45年(1970年)にスイスのチューリッヒで第1回国際ドライバー行動研究会議に参加した際、ホンダの安全運転普及本部が各国の研究者を招待してパーティを開催し、そこでみなさまと知り合うことができました。私がドイツ語系の学者といろいろと情報を交換していたことから、帰国後形成されることになった「国際交通安全学会」の発足時のメンバーに加えていただき、それが論文を書くきっかけになりました。
編集部:国際交通安全学会が発足したのは、50年近く前(2017年取材時)になるのですね。
長山先生:設立は1974年なので、正確には45年前くらいでしょうか。1970年代はモータリゼーションが急速に広がり、交通事故や排ガスなどの問題が出てきた時代です。そのため、私のような研究者に二輪車のことをよく知ってもらおうと、サーキット走行なども体験させてくれました。
編集部:ホンダなので鈴鹿サーキットですか!?
初めて乗ったバイクは1300cc!? しかも鈴鹿サーキット?
長山先生:そうです。二輪車競技の実態を知ってほしいと、鈴鹿サーキットのフルコースでナナハン(公称排気量750ccの大型自動二輪車)を運転する機会が与えられました。
編集部:ナナハンとは懐かしい響きですね。でも、その時代のバイクでは最大の排気量ですよね。広いサーキットなら相当スピードを出すことができたのではないですか?
長山先生:いえいえ。大型二輪の免許は持っていたものの、それまで二輪を運転したことがなかったので、とてもそんな余裕はありませんでした。しかも、ゴーグルもなかったので、涙が出てきて速度は80km/h程度しか出せませんでした。
編集部:ゴーグルがなくて涙が出るとは、シールド(風防)がないヘルメットを被っていたのですね。
長山先生:そうです。ジェットタイプのヘルメットで、シールドは付いておらず、とてもスピードを出して楽しむようなことはできませんでしたね。それとは逆に快適性を経験できたのは、日本に逆輸入されたホンダの1300ccバイクに乗ったときです。サーキットのコースではなく、サーキットにある交通教育センターという施設内のコースでしたが、操縦性が高く、とても乗りやすかったです。しかも、冷暖房が付いているのに驚かされたものでした。
編集部:バイクで冷暖房ですか!? クルマと違ってバイクは体がむき出しなので、冷暖房の効果はあるのですか? エンジンを抱えているような感じなので、まだ暖房ならわかりますけど、冷房は想像できませんね。ハンドルや燃料タンク辺りに冷気の拭き出し口でもあるのでしょうか?
長山先生:どのようになっていたかは分かりませんが、どこからか風が吹き付けてくるのを記憶しています。
編集部:そうですか。さすが1300ccの逆輸入車ですね。
長山先生:また、大学のゼミで学生を連れて鈴鹿にあるホンダの工場見学、交通教育センターでの教育の実態を学んだあと、せっかくクルマで来ていることもあって、鈴鹿サーキットの国際レーシングコースをフルコースで体験させてくれる機会もあり、学生たちは大喜びでコースでの運転を体験したものです。
編集部:それは嬉しいですよね。サーキット走行なんて滅多に経験できませんから。嬉々としていつまでも走り続けてしまいそうですね。
長山先生:学生の多くはそう思ったかもしれませんが、鈴鹿のコースは第2コーナーが難関だそうで、「2回目は変に自信を持って事故を起こしやすいから1回だけです」と学生の体験走行は1回で打ち切られました。でも、私だけは2回走ることが許されました。つまり、二輪で1周、四輪で2周と、合わせて3回サーキットを周回する機会を得ることができました。
編集部:実は、私も安全運転講習会で鈴鹿サーキットのフルコースをクルマで走ったことがあります。先導車に続いて2周しましたが、たしかに1コーナーから2コーナーは複合コーナーで、途中からカーブがきつくなり速度調整が難しかった記憶があります。でも、バイクも合わせて3周も走れるなんて、羨ましいですね。
長山先生:そうですね。鈴鹿以外にも富士スピードウェイを走行する機会もありましたけど、本格的なサーキットを走れるのは貴重な経験でした。国際交通安全学会のホンダの関係者の方々は、私に二輪車に対する興味を高める機会として、さらに貴重な経験もさせてくれました。世界的に有名な「マン島TTレース」を視察するように計らってくれたのです。
マン島まで行き、レースにまったく興味がない自分に気づく
編集部:マン島TTレースですか!? イギリスのマン島で行われる公道レースですよね。サーキットとは違って、カーブではみ出したり転倒したときにライダーを守るエスケープゾーンがない公道を、とんでもない速度で走るスリリングなレースですね。
長山先生:そうです。よくご存知ですね。私も初めて聞いたときは興味津々で簡単にOKを出しましたが、結果は地獄の味わいでした。
編集部:えっ、地獄ですか? 私なんかテレビで見て以来、一度自分の目で見てみたいと思っているので、視察させてくれたら飛び上がるほど嬉しいですけど。
長山先生:好きな人ならそうなのかもしれませんが、日本から遠く、まず移動するのがたいへんでした。航空機で大阪から東京、東京からフィンランドのヘルシンキ、ヘルシンキからロンドン、ロンドンからリバプールまで長時間移動するのですが、その間ほとんど眠れぬままに過ごしました。リバプールからマン島は夕刻のフェリーでしたが、乗客たちはさまざまな種類の二輪車を持ち込んだ世界中から来たライダーでたいへん混雑しており、椅子には座れず、新聞を床に敷いて横になって一晩過ごしたのですが、体が痛くて一睡もできませんでした。
編集部:それは疲れますね。視察と聞くと、先方がいろいろと手配してくれて快適に移動できそうですが、そうではなかったのですね。
長山先生:そうなんです。飛行機はともかく、マン島へのフェリーは便数が少なく、レースのときに人が集中してしまうので仕方ないのかと思いますが、疲れましたね。明け方にマン島に着き、土手のような場所で観覧することにしてレースがスタートするのを待ちましたが、パンフレットもなく、出場選手などの情報がまったくなかったのも敗因でした。次々に走ってくるマシンは猛烈なスピードであっという間に目の前を通り過ぎていくだけで、誰が誰やら、どの国のマシンなのかさっぱりわからず、まったく面白くもないままにレースは終わってしまったのです。私にとって二輪車に関する興味は、暴走族の心理的な背景や事故発生の人的側面からの分析などで、レースにはまったく関心がないことがわかりました。
編集部:たしかにレースや速い車両に興味がないと、面白さを感じることはできないでしょうね。でも、サーキットでの話などを聞いていると、長山先生は人が走っているのを見るより、ご自分で走ることのほうが好きそうですね。
長山先生: そうかもしれません。サーキット以外でも、疲労を計測する実験をした際に、自動車メーカーのテストコースを走りましたが、それも貴重な経験で楽しいものでした。
編集部:疲労を計測するため、テストコースを走ったのですか?
テストコースでの疲労実験は、失敗に終わる。
長山先生:そうです。1963年(昭和38年)に名神高速道路の一部(栗東―尼崎間)が開通し、日本の高速道路の時代が始まりましたが、1965年(昭和40年)に小牧―西宮間で名神高速は完成しました。その後1969年(昭和44年)に東名高速道路が全線開通することで東京―西宮間の高速運輸時代が始まりました。長距離バスやトラックの営業が始まり、一般車も長距離ドライブをするようになったため、高速道路を連続走行する際、何時間ごとに休憩・休息を取ることが必要なのか、研究しておく必要があったのです。
編集部:なるほど。よく「2時間ごとに休息を」と言われますが、その基準づくりの実験だったのですね。
長山先生:そうです。ダイハツの竜王テストコースを借りて連続走行疲労実験を行ったのですが、オーバルコースを使ったため、実験はうまくいきませんでした。時速80kmを維持して走行するには、バンク角が40度くらいのところを選んで走らなければならず、バンクが付いたコースを走行すること自体で緊張が強く、それが疲労の原因になってしまったのです。
編集部:私もバンクの付いたオーバルコースを何度か走ったことがありますが、ふだんあのような角度が付いた路面を走ることはないので、初めはとても怖かったです。慣れればハンドルを切らなくても一定の速度で周回できるので楽なんですけどね。
長山先生:おっしゃるとおりで、テストドライバーならともかく、ふつうの職業ドライバーや一般のドライバーの場合、バンクを走るだけでクタクタになってしまうようです。私は試しに数周走っただけなので、緊張感より強烈なカントがついたコースを走れたことの新鮮さや満足感のほうが大きかったです。なお、テストコースでの実験は失敗しましたが、その後、名神高速道路の茨木インター~彦根インター間を3往復することによって東京―大阪間の走行をシミュレーションできることがわかり、名神高速道路での連続走行実験を実施しました。
『JAF Mate』誌 2017年8・9月号掲載の「危険予知」を基にした「よもやま話」です。
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