エンジニア兼ドライバー、ケン・マイルズの参画
1964年12月。GT40の残りのマシンがロサンジェルスにあるシェルビーの工房へと集まってきた。GT40の回収と同時にチームのメンバーに加わったのが、シェルビーの開発ドライバーを務めていたケン・マイルズである。
勝利の女神を微笑ませたマーク2の完成【フォード GT40はいかにして神話になったのか。Vol.3】
彼はまず、サスペンションが当初想定されていたセッティングを失ってしまっていることに気がついた。オリジナルのセッティングへ修正するや、パフォーマンスは飛躍的に向上した。
空力性能の改善で得た79hp
また、空力性能の試験に着手。防衛分野に関連するフォードの航空部門エアロニュートロニクスのコンピューターの助けを借りるとともに、旧来どおりの原始的なやり方ではあったが車体にたくさんの糸を貼り付けてテストトラックや風洞に放り込んだ。
空気の流れが良くないことはすぐに判明。想像していたよりもそれはずっと悪かったようだ。シェルビー アメリカのエンジニア、フィル・レミントンがダクト構造を見直し空気の流れを整えると、最大で79hpもの余力を得ることができた。
もちろん空力面のみならず、さらなる軽量化も図られた。アルミニウムとスチールのボディはグラスファイバーへ置き換えられ、ワイヤーホイールは太いマグネシウム製のデザインに変更されている。
ようやく真のレーシングカーになったGT40
100箇所はくだらないというほどの様々な改良を与えられたGT40は、ついに「レーシングカーのように見えるクルマ」から「レーシングカーとして走るマシン」になった。
1965年のシーズンがいよいよ2月28日のデイトナ コンチネンタル 2000kmレース(翌年よりデイトナ24時間に名称変更)で幕を開けた。この一戦で、GT40はついにフォードへ初の優勝をもたらした。トップでチェッカーフラッグを受けたのは、ゼッケンナンバー73をつけたケン・マイルズとロイド・ルビー組。そしてゼッケンナンバー72のGT40を駆ったボブ・ボンデュラント/リッチー・ギンサー組も9ラップ差で3位につけている。ちなみに2台のGT40にサンドイッチされる形で2位でレースを終えたのも、フォード製エンジンを積んだシェルビー コブラ デイトナクーペであった。
幸先の良いスタートを切ったGT40は、同年3月27日のセブリング12時間でもケン・マイルズとブルース・マクラーレンによるドライブで2位を獲得。その後、マシンは4月に行われるル・マンのテストデイに挑むべくフランスへ送られた。タイムトライアルのさなか、フォードチームが様々なエンジンやギヤボックスを載せ替えては改良と実験に大慌てだった一方で、好成績を独占してみせたのがフェラーリ陣営である。
7.0リッターV8が生んだ210mph
ル・マンでの状況は芳しくなかった。ディアボーンでは並行してロイ・ランと彼のチームは新しいバージョンのGT40のテストに掛かっていた。フォード モーター カンパニーが当時開発に取り組んでいたのは完璧な7.0リッター(427 cui.)エンジンであり、ランとチームの面々は空力性能を維持したまま大排気量のユニットをミッドへ積み込むことに邁進した。
ケン・マイルズとフィル・レミントンはル・マンからディアボーンへ取って返し、ロメオにあるフォードのテストトラックで新しいマシンの試験走行を実施。ランチの前にステアリングを引き継いだマイルズがスポイラーを追加し修正の手を入れると、ストレートスピードはじつに210mph(約338km/h)まであがっていた。ランが尋ねると、マイルズはこう言った。
「こいつこそ僕が今年のル・マンで運転したいクルマさ」
フェラーリを5秒上回ったラップレコード
ル・マンまでたった4週間しか残されていないタイミングではあったが、チームはGT40Xと呼ばれた427エンジンを搭載するマシンを2台用意しようと決めた。すでに欧州のサーキットで戦いを重ねてきた既存の289ユニットを積んだGTは補欠要員として準備された。
427仕様のGT40がプラクティスで叩き出したラップレコードは3分33秒。フェラーリのそれをおよそ5秒も上回る数字である。ブルース・マクラーレンと組んだケン・マイルズも、1番のゼッケンをまとった427マシンのコクピットにきっと意気揚々と収まっただろう。
しかし、彼らを待っていたのはまったくの災難だった。
慌ただしくGT40Xの準備を進めた一方で、ギヤボックスは小さな不具合を抱えたままになっていたのだ。ロイ・ランが後に語ったことによれば、彼はマシンをフランスへ送り込む前にチームへ作り直したユニットでレースを行なうように言ったようだ。しかしその頃5月のインディアナポリス500にかかりきりだったエンジニアチームは、ル・マンにテストをしないままのエンジンを送っていたのである。
映画『フォード vs フェラーリ』ではさんざんな描かれようだったのが当時のフォード副社長であったレオ・ビーブだが、名誉のためにこのエピソードを添えておきたい。
その夜、チームはビーブに呼び出された。さぞ不愉快な言葉を投げつけられるだろう。叱責を予想して身構える面々。
しかしビーブの口から飛び出したのは意外なものだった。
「勝利のためのミーティングだよ! 来年はここへ戻ってきてきっと勝とう。それに向けていまこの瞬間にスタートしようじゃないか」
(つづく)
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