■今でもファンの多い「ABCトリオ」
1980年代後半、日本の自動車メーカーはバブル景気も後押しし、飛躍的なレベルアップを遂げました。
その流れは軽自動車の世界にまで及び、実用性/経済性だけでなく高性能/高品質/高機能をアピールするようになりました。
例えば、軽の世界に「DOHCターボ」を取り入れたスズキ「アルトワークス」、当時上級車でも採用が少なかった4WSやASB(アンチスピンブレーキ=後輪のみのABS)を搭載したダイハツ「ミラ」、量産車初の5バルブエンジンを搭載した三菱「ミニカ・ダンガン」、そしてニュルでテストもおこなわれたスバル「ヴィヴィオ」なども登場。
それだけに留まらず、軽自動車枠のなかでオリジナルモデルが同時期に3車種生まれました。
それが「平成のABCトリオ」と呼ばれるホンダ「ビート」、スズキ「カプチーノ」、マツダ(オートザム)「AZ-1」です。
すでに登場から30年近くが経過しましたが、今でも多くの人の記憶に残っていると思います。
ちなみに軽自動車は日本独自のカテゴリーですが海外にも熱心なファンが存在し、オーナーズクラブも存在するそうです。
ABCトリオにおいて先陣を切ったのが1991年に登場したビートです。
1988年に「トゥデイ」で軽自動車市場に復帰したホンダですが、その頃本田技術研究所内の10年先のモデルを考えるチームから“ある提案”がおこなわれました。
それは「軽ミッドシップの『遊び』のクルマ」でした。その案を見た本田技術研究所の川本信彦社長(当時)が高く評価し、正式な企画書なしに開発がスタートしたといいます。
そのときの川本氏のコメントは「これ面白いね。私にLPLをやらせて欲しい」、「ひとつくらい失敗したって構わないから」と。当時は景気のいい時期だったとはいえ、何とも大胆な話です。
そんなビートの狙いは「走らせる面白さ」、「二輪感覚で楽しめる運動性」の実現でした。
そのためには例え軽自動車とはいっても、「やるからには徹底的に」、「内部から燃え上ってきたものをいかに実物に仕立てるか」という想いで開発が進められました。
当時としては、本格的なシャシやサスペンションに加えて、前後異形タイヤや4輪ディスクブレーキなど、軽自動車初のアイテムも惜しみなく奢られました。
エンジンも「660ccへの挑戦」ということで、3連スロトットルや2組のマップを持った電制制御燃料噴射装置、大型サイレンサー(8.6L)などの採用で、自然吸気のまま64馬力を実現させています。
ただ、面白いのはここまで徹底していながらホンダ自身「スポーツカー」と一言もいっていないところです。カタログには「ミドシップ・アミューズメント」と記載されています。
ビートの登場から半年後に登場したのがカプチーノです。そのキッカケは1987年の東京モーターショー後におこなわれた若手中心のミーティングでした。
このときの議題のひとつ「将来、是非とも造りたいクルマ」のなかから生まれたのが、「フルオープンで軽快な、2シーターのライトスポーツ」でした。
ここで平均年齢28歳のプロジェクトチームが結成、1989年の東京モーターショーに向けショーモデルの開発がスタートしました。
そこで生まれたのがカプチーノ(ショーカー)でした。ショーでお披露目するやいなや、ユーザーだけでなく販売店の人間、さらには社内からも「発売してほしい!!」という声が大きく上がり、首脳陣はその反響の高さから量産にゴーサインを出したそうです。
カプチーノの狙いのひとつは「軽の枠の可能性を示す」でした。軽自動車の枠の中で実現させたフロントミドシップレイアウト、アルミ素材の積極的な採用による軽量化、3分割ルーフ+回転収納式リアウィンドウ、縦置き化された660ccターボ+専用トランスミッション。
軽自動車初の4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションや専用タイヤ、などなど、質素倹約がモットーのスズキとは思えない専用開発品のオンパレードでした。
この辺りはスズキの持つ技術のポテンシャルをカタチとして表現したといっても過言ではありません。
内外装はポップなビートに対してシックな本格派といったキャラクターが備えられましたが、この辺りはスズキの真面目さが出ている気もします。
■1年遅れで登場したAZ-1とは、どんなクルマ?
ビート、カプチーノから1年遅れて1992年に登場したのがAZ-1です。
1985年、マツダの技術研究所で「マツダのラインにないクルマを提案しよう」という話が提案されました。
1987年にプロトタイプが完成、1989年の東京モーターショーでお披露目。それがショーカーの「AZ550」でした。
実はこの時点では量産する計画はなかったといいますが、ショーでの反響の高さから、そのなかのひとつ「タイプA」が量産化されることになります。
その主査は、初代「ロードスター」を担当した平井敏彦氏で、「軽自動車ベースで仮にパワーの面で不満があっても、カート感覚のクイックなハンドリングがあれば楽しさを満喫できるはず」と引き受けたといいます。
デザイン、ミドシップレイアウト、ガルウィングといった特徴はショーカーからほぼ踏襲されました。
ショーカーで提案した「着せ替えボディ」は実現できませんでしたが、スケルトンモノコックにすべてプラスチックのボディパネルという新たなトライも。
ちなみにエンジンやトランスミッション、サスペンション(リア・ストラットはアルトワークスのフロント用)などの主要構成部品はスズキから供給を受けていますが、クイックのハンドリングを実現させるためにステアリング系は一部を除きAZ-1専用設計(ステアリングギア比は12:1)とされています。
そのスタイルは軽スーパースポーツといってもよく、3台のなかでもっとも個性的でした。ちなみに1993年にはスズキにOEM供給され「キャラ」という兄弟車も生まれました。
このように同じタイミングで誕生した3台の軽スポーツ。ビジネスとして成功したかどうかは置いておいて、軽自動車の可能性を引き出した存在なのは間違いないと思います。
実はこの流れに乗れなかったメーカーがダイハツです。といっても、1991年に軽スペシャルティモデルのリーザがベースのオープンモデル「リーザ・スパイダー」を販売しましたが、専用開発の3台には及ばず。
そのときの無念を晴らしたのが、2002年に登場した「コペン」です。現在はビートの末裔である「S660」とともに、軽スポーツ市場の2トップとなっています。
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今に比べスポーツカーに対する風当たりが強かった当時、「スポーツカー」を名乗った段階でお神が販売許可を出さないことが明白なため、その回避に致し方なく…というのが定説。