■日本がバブル景気に突入する直前に登場した新型車を振り返る
2021年9月8日に、日経平均株価が3万円台を回復したと大々的に報じられました。コロナ禍が続くなか、およそ5か月ぶりに3万円台となったことは、次の内閣への期待感という不透明な材料も関係しているようですが、とりあえずは経済界にとって明るいニュースです。
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この日経平均株価3万円台というのがひとつの基準となったのが、いわゆるバブル期で、1989年12月29日には史上最高値の3万8957円44銭を記録。その後、株価は下落していきましたが、以降は3万円台が好景気の目安になったといえるでしょう。
バブル景気は1986年から1991年までというのが定説ですが、この間に国内の自動車メーカーから今も語り継がれるような数多くの名車が誕生しました。
一方、さらにさかのぼってみると、バブル景気より少し前にも記念すべきクルマが何台も登場しています。
そこで、バブル直前に登場した新型車を、3車種ピックアップして紹介します。
●スズキ初代「カルタス」
近年の国内自動車市場で、常に販売台数で上位に位置するのがコンパクトカーです。かつては1リッター前後のエンジンを搭載していたことから「リッターカー」とも呼ばれ、1970年代から徐々に増え、1980年代には小型車の主流となりました。
そんなリッターカー市場にスズキが満を持して参入するため、1983年に初代「カルタス」が発売されました。
カルタスは当時スズキがGMと提携関係にあったことから、GMとの共同開発による世界戦略車です。
ボディは比較的オーソドックスなデザインの2ボックス・3ドアハッチバックでしたが、空力性能を重視し、空気抵抗係数であるCd値は0.38と良好な値を記録。
搭載されたエンジンは最高出力60馬力(グロス)の1リッター直列3気筒SOHCのみで、22.5km/L(10モード)の低燃費を実現しました。
発売当初、優れた経済性から海外では好評でしたが日本ではライバル車を上まわる特徴がなく、ヒットするまでには至りませんでした。そこで、1984年にはパワー競争に参戦するべく、最高出力80馬力(グロス)を誇る1リッター3気筒ターボエンジン車を追加。
さらに同年にはファミリーユースに適した5ドアハッチバックと、1.3リッター直列4気筒SOHCエンジンをラインナップし、1986年には1.3リッターで日本初となるDOHCエンジンを搭載した、「カルタス GT-i」が登場しました。
カルタス GT-iの1.3リッター直列4気筒DOHCエンジンは最高出力97馬力を発揮し、1987年には110馬力にまで向上。
ほかにもクロスレシオの5速MTや、165/65R13の高性能ラジアルタイヤ、前輪大径ベンチレーテッドディスクブレーキ、強化されたサスペンションの採用と、一躍国産ホットハッチとして存在感を示しました。
その後、1988年にフルモデルチェンジされ2代目が登場し、スズキの登録車における主力車種の地位を盤石なものとします。
ちなみに、カルタスは輸出先では「スイフト」の名で販売され、まさに現在のスイフトの源流といえるモデルです。
●トヨタ初代「MR2」
トヨタは1984年に、国産小型乗用車初のミッドシップ・リアドライブを採用した記念すべきモデル、初代「MR2」を発売。
MR2という車名は「ミッドシップ・ランナバウト2シーター」を意味し、生粋のスポーツカーといえるボディながら「スポーティコミューター」というコンセプトで開発されました。
外観は直線基調のウェッジシェイプで、リトラクタブルヘッドライトを採用したシャープなフォルムを採用し、トップグレードには「カローラFX」と同じ最高出力130馬力(グロス)の1.6リッター直列4気筒DOHCエンジン「4A-GELU型」を搭載。
950kgと軽量な車体から優れた走行性能を発揮しましたが、一方で速さを追求するだけでなく、乗降性も考慮した最適なシートポジションや、2シーターミッドシップながら荷室も十分な容量とするなど、コミューターとしての実用性も考えられていました。
その後、1986年のマイナーチェンジではスーパーチャージドエンジンを追加設定し、最高出力145馬力(ネット)を誇り、サスペンションセッティングも最適化されたことにより、よりミッドシップ車らしいシャープな走りを獲得しました。
MR2と同時期には、FRの「AE86型 カローラレビン/スプリンタートレノ」にFFのカローラFXと、トヨタは駆動方式違いの3台の1.6リッタースポーツモデルをラインナップしていたことになり、なんとも贅沢な時代だったといえるでしょう。
●ホンダ初代「レジェンド」
ホンダは1985年に、「アコード」の上位に位置するフラッグシップセダンの、初代「レジェンド」を発売しました。
翌1986年には北米市場で高級車ブランド「アキュラ」の立ち上げに伴い、最初にラインナップされるなかの1台がレジェンドであり、重責を担って開発されたといえるでしょう。
初代レジェンドは同社初となるV型6気筒エンジンを横置きに搭載したFFセダンで、外観はロー&ワイドを強調したスタイリッシュなフォルムと、さらに前後ブリスターフェンダーを採用するなど、スポーティなデザインを採用。
室内はFFならではの広い空間を確保しており、本木目パネルを積極的に採用することで英国調の気品ある内装を演出していました。
エンジンラインナップは最高出力165馬力の2.5リッターV型6気筒SOHCと145馬力の2リッター(同)で、ドライバーの意志にダイレクトに応えるレスポンスを実現し、上質かつスポーティな走りはホンダらしさあふれるものでした。
そして 1987年には美しいスタイリングの2ドアハードトップを追加。専用に開発された180馬力の2.7リッターV型6気筒SOHCエンジンを搭載し、デザインはセダンのイメージを残しつつもより低くワイドで、存在感と風格を備えていました。
さらにレジェントは国産車初の「SRSエアバッグシステム」(運転席用)装着車を設定し、ABSも搭載するなど、当時最先端の安全装備を採用したことで話題となります。
1988年のマイナーチェンジでは、過給圧を緻密にコントロールするホンダオリジナルの「ウイングターボ」を開発し、2リッターエンジンに搭載。最高出力190馬力を誇るなど性能を一気に高め、パワフルな高級車の世界を築き、1990年に2代目へとバトンタッチしました。
※ ※ ※
バブル景気を象徴するクルマというと数多く存在しますが、1990年に誕生したホンダ初代「NSX」を例に挙げると、新車価格は800万3000円(消費税含まず、東京価格)でした。
新開発のオールアルミモノコックと専用のVTECエンジンを採用していたことを考えると、今ならかなりのバーゲンプライスにも思えます。
しかし、実際には同時期に登場した2代目レジェンドの中間グレードに対して2倍の価格で、かなり高額な設定だったことは間違いないです。
ところが、NSXは発売と同時に3年分のバックオーダーを抱えたといいますから、やはりバブル期は異常な時代だったといえるでしょう。
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みんなのコメント
MR2のこの辺の理由は運輸省(現:国交省)や警察の顔色をうかがうという理由もあったんでしょうね。
あまり走りを強調したコンセプトで売ると省エネに反するとか暴走族を助長するとか…。
レジェンド2ドアハードトップは国産パーソナルカーとしては初の3ナンバー専用ボディだったかな?
シーマが全幅1700mmを超えたとはいえ全長もかなりあったので長細かった印象だったけれど
レジェンドのクーペは本当に美しいプロポーションだった。
オイルショックの影響で落ち込んだものの、反省し省エネ活動を実施。79年の第2次オイルショックの影響を、欧米に比べ軽微に済ませ、先に攻めて上昇気流に乗った。だから、出せた車たちだと思う。
いつもながらの、そのあとの「夢よ、もう一度」のバブル時期から話が始まっているのは少しがっかりだ。