昨今、“4ドア・クーペ“と呼ばれる背の低いセダンが人気を集めている。が、かつて日本にも、さまざまな背の低いセダンがあった。そこで小川フミオが1980~1990年代に人気を集めた背の低いセダンを振り返る!
最近流行っている自動車用語は「クロスオーバー」。右手の指と左手の指を組むように、ことなる車型をうまくひとつに組み合わせたクルマをいう。
もっともよく見るのは背の低いSUVだ。ステーションワゴンと組み合わされた独特の車型で、古くは1995年のスバル「レガシィグランドワゴン」、最近ではアウディ「A7スポーツバック」やメルセデス・ベンツ「CLAシューティングブレーク」なども、クロスオーバーコンセプトでデザインされている。
セダンにだってクロスオーバーがある。じっさい、最近のセダンはクロスオーバーばかり。ルーフが長めで、ショートデッキ(トランクが短く見えるスタイル)と、クーペとのクロスオーバーともいうべき車型がトレンドなのだ。
以前なら「3ボックス」と言われたような、(1)エンジン・ルームと(2)キャビンと(3)トランク用の、3つの箱を組み合わせた車型はほとんどなくなった。セダンにはいま、スタイリッシュさが求められているという。というわけで、4ドア・クーペという車型がそれなりに人気なのだ。このデザインの利点は、大きな車体のモデルでも、ドライバーがお抱え運転手には見えない点にある。
日本の自動車メーカーは、こうした昨今のトレンドのはるか前に、セダンを変えようと努めていた。1980年代おわりから1990年代はじめ、各社は、スタイリッシュなセダンの開発に余念がなかったのだ。
いま見ると、なかなかカッコよい。ぜいたくなものを作ろうというコンセプトで、迷いがないからだろう。
1.トヨタ「カリーナED」(初代)
前席用ドアと後席用ドアのウィンドウのあいだにBピラーをもたない、いわゆるピラーレス・ハードトップは、高級セダンの専用装備のように扱われていた。
1985年発売の初代「カリーナED」が画期的だったところは、ピラーレスハードトップのコンセプトをよりコンパクトなモデルに採用した点。4ドアながらドライバー中心のパーソナルセダンという新しいセグメント創出に挑戦したモデルだ。
3代続いたカリーナEDのなかで、個人的にもっともスタイルの完成度が高いと思うのは1989年の2代目だ。でも、インパクトが強かったのは、この初代である。
全高を1310mmと比較的低く抑えた4ドア・ボディ。クラウンのピラーレスハードトップはリア・クオーター・ピラーにガーニッシュを埋め込むなどしているが、カリーナEDはもっとクーペっぽい。
本来ハードトップとは、幌(ソフトトップ)を持つ車体に耐候性のために据え付ける金属あるいは合成樹脂製のルーフを意味した。カリーナEDはリア・クオーター・ピラーに視覚的重点を置かないデザインだ。そのぶんキャビンの開放感が強く感じられる。
4ドアであるもののピラーによる圧迫感をうまく消している。上手なデザインだ。1991年の3代目ソアラとどこか共通点を感じる。
内容的にも、カリーナ・セダンとは一線を画している。専用セッティングの足まわりによってハンドリングの向上が目指された。
エンジン・ラインナップは、頂点が2.0リッターのツインカムで、当初のセリカとおなじだ。とはいえ、セリカは途中でツインカム・ターボエンジンを追加したが、カリーナEDではそれはなかった。
当時の印象としては、それなりにパワフルだった。上の回転域までしゅんしゅんまわるものではなかったけれど、中速回転域のトルクが重視され、車体のイメージを裏切らない”気持いい”走りが目指されていたように感じた。
ただし、ボディのしっかり感はイマイチだった。車体強度をもっと上げればいいが、しかし、そうすると重くなってしまうから、よりトルクの太く、そして扱いやすいパワーユニットが必要になっただろう。剛性を上げつつ軽量化もするために、悩んだのではないだろうか。
まぁ、まなじりを決してステアリング・ホイールを握り、タイトコーナーを駆け抜けることを喜びとするようなクルマではなく、ゆったりと都市内や海岸線を流すほうが向いているクルマである。大きく開くサイドウィンドウの恩恵は、そんなときに発揮されるのだ。
2.マツダ「センティア」(初代)
5mになんなんとする全長をもちながら、「パーソナルユースに徹しきった」としたマツダの大型セダンが「センティア」だ。1991年に登場した初代は、薄いルーフとヒドゥンピラー(外観上Bピラーが見えないようなデザイン)を持つ、流麗なスタイルだった。
ボディの全長は4925mm、全幅が1795mmあるのに対して、全高は1380mmに抑えられていた。先代にあたる「ルーチェ」より45mm低い。堂々の3ナンバー枠だ。
さらに驚いたのは、マツダはこのとき、2.5リッターと3.0リッターという2種類のV型6気筒エンジンを新開発して搭載したこと。3.0リッターエンジンには、可変慣性過給システム(VICS)と可変吸気システムを採用し、2.5リッターには可変共鳴過給システム(RIS)が備わっていた。足まわりは新設計のマルチリンクで、4輪操舵も、と、技術の大盤振る舞い。
このころのマツダは、「マツダ」ブランドにくわえ、1989年に「ユーノス」と「オートザム」、1991年に「アンフィニ」と新ブランドを設定。国内5チャンネルや米国第2チャンネル創設という計画のもとに躍進をはかり、さらに、プレミアム化も目指された。
当時のマツダは、エンジン開発の面でも大胆だった。1990年のユーノス「コスモ」は全長4815mmのクーペボディに、なんと3ローターとシークエンシャルターボ(2基のタービンが順番にまわって大パワーをだす)を組み合わせたパワーユニットを搭載。世界初の衛星航法採用のナビゲーションシステム搭載もセリングポイントだった。
「マツダが、大手他社と同じことに取り組んでも、存在価値/存在意義がないと思っていました。他社にないユニークな商品/技術の開発にこだわり続けることこそが、マツダの存在価値/意義であり、マツダのDNAそのものだからです」(マツダ広報部)
1993年のユーノス「800」には、従来のガソリン・エンジンよりも高出力かつ省燃費を謳うミラーサイクル(世界初)による2.3リッターV型6気筒ユニットが用意された。
「幻に終わったユーノス『1000』に搭載するV型12気筒エンジンもテストベンチでまわっていたという噂でした。2代目RX-7に(本来の2ローターでなく)3ローターエンジンを載せたことも。1991年のルマン24時間レースで優勝した787Bの4ローターユニットもすごかった。当時の山本健一社長の薫陶を受けたエンジニアが開発の中枢にいたので、1980年代に始まった拡張路線の波にのっかるように、ここぞとばかりにやってしまったのでしょうか」
当時のマツダ内部を知るひとの証言である。なんておもしろいメーカーなのだろう。
「センティア」の先代にあたる5代目「ルーチェ」(1986年)は、きれいといえばきれいだけれど、無難なスタイリングで、2.0リッターV6ターボはパワフルだったけれど、ハンドリングのややもったりしたかんじとのマッチングがよくなかった記憶がある。
「センティア」はそれに較べるとコンセプトも、米国市場でジャガー(やおそらくメルセデス・ベンツ)を向こうにまわして戦おう、というように明確だった。そのため力がたっぷりあって、操縦性もよく、おみごと! と言いたくなる出来だった。
あいにく、マツダが計画していたより資金力が枯渇するのが早く、かつ、バブル経済の崩壊で市場が冷え込んでしまった。マツダの計画ほど早くにはブランド力も育たなかった。「センティア」に413万円払うなら、1991年登場の9代目「トヨタ・クラウン ロイヤルサルーンG」に442万円を支払うほうに価値を見出すユーザーが多かったのだ。
自動車には”やりすぎ”がないとおもしろくない。マツダのプロジェクトがバブル経済の崩壊と時期をおなじくして頓挫してしまったのは残念だ。そののち、マツダ復活のきっかけを作ったのは、全長3800mmの小さな「デミオ」(1996年)だったというのは、なんだか皮肉だなあと思う。
3.日産・シーマ(初代)
3年間しか作られなかったのに、記憶にはずっと残るであろう、1988年登場の初代「シーマ」。低いノーズが特徴的で、全長は4890mmあるのに対して、全幅は1770mm、全高は1380mm。長くて広くて、そしてけっこう低かった。
ベースになった7代目「セドリック/グロリア」のシャシーを使っているので、初代は車名にも「セドリック/グロリア」の名が入っていた。ホイールベースは7代目セドリック/グロリアと共通の2735mmであるものの、全長が30mm延び、全幅は50mm増えていた。
エンジンはセラミックターボを装着した3.0リッターV型6気筒も用意されていて、速く、かつよく曲がった。後輪にはビスカス式LSDを装備。モデルによって足まわりはエアサスだった。目的は明瞭で、大きなセダンを作っても、日産はスポーティさを追求していたのだろう。
「日産のクルマづくりは、外見がどんなに変わろうが中身のエンジニアリングでは、かたくなに通そうとしている芯があり、それを表現しているのがプロポーションということになると思います」
1991年にモデルチェンジしてフロントマスクをはじめデザインはがらりと変わり、別のクルマのようになってしまった。そのことについて、知人である日産のデザイナーはそう解説する。
たしかに1990年代まで日産のセダンは、太いリア・クオーター・ピラーが特徴的で、ドライバーズカーは4ライトというセオリーに忠実である。
ただし、ドライバーズカーというのにふさわしい走りのよさをもったシーマも、バブル経済による好景気が企画の前提にあった。市場が冷え込むのに合わせて、シーマ(=頂点)というコンセプトが失速してしまったように感じられるのが残念だ。
全体のプロポーションはいいが、2代目になると全高が40mm高くなった。後席の居住性を重視した結果だろう。ピラーレス・ハードトップがよく似合うドライバーズカーという初代のコンセプトをずっと貫いてほしかった。
4.ホンダ・インスパイア(初代)
ホンダが「アコード」派生の上級車種として1989年に発売したのが「アコード・インスパイア」。1995年のモデルチェンジで「インスパイア」として独立するものの、当初はすこし冒険を避けようという策でもあったかもしれない。
メカニズム的にはけっこう冒険的なクルマだった。最大の特徴は直列5気筒エンジンを開発して搭載したことである。しかもSOHCでありながら気筒あたり4バルブ。これをホンダは「ハイパー20バルブ」と呼んでいた。
5気筒エンジンのメリットとして、「6気筒のパワーと4気筒の燃費」を両立した、とうたった。ホンダのエンジニアはもうひとつ、6気筒より軽量、という点も重視していたようだ。とりわけノーズが軽くなってコーナリング能力が上がる点も注目された。
5気筒エンジンに関しては先達といえるアウディ(1976年のアウディ「100」に搭載)は、さらにそのエンジンを縦置きして前車軸より前に置き、駆動輪である前輪にしっかり重さをかけ、より強力ま駆動力を得ることを目的としていた。
インスパイアもエンジン縦置きで、同じ年に登場した4代目アコードが直列4気筒ユニットを横置きしていたのと対照的だ。米国市場をねらっていたとはいえ、じつにぜいたくではないか。
スタイリングは、ノーズがうんと低く、それに対してキャビンは広く見える当時のホンダ製セダンに共通のコンセプトでまとめられている。ピラーレス・ハードトップに見えるが、実際はBピラーを外から見えなくしたヒドゥン・ピラーの手法が採用されていた。
内装はシンプルに品よくデザインされていて、クオリティ感が高かった。ホイールベースはアコードより85mm長い2805mm。後席空間も余裕あるものだ。
全高は1355mmに抑えられていたが、このクルマはキャビンの造形からしても後席の存在をアピールしていたといえる。キャビンの形状は、BMWの「5シリーズ」を連想させた。奇をてらったところはなく、それでいてスポーティさは上手に表現されていたのだ。
走りは、なによりエンジンが印象的だった。ホンダは1960年代にモーターサイクルで直列5気筒を試しているだけあって、経験もそれなりに蓄積されていたのだろう。よくまわる、スポーティな味わいだった。
ただし、当時のホンダ車に多かったように、乗り心地はいまひとつと感じられた。それでも米国市場では、硬い足まわりのセッティングは”スポーティ”と評価されるということで、最終的にテイストを決めたひとの計算ずくの設定だったのかもしれない。
5.三菱・ディアマンテ(初代)
トレンドといえばそれまでだけれど、1990年に発売された「ディアマンテ」もサイドウィンドウが美しく見える、ピラード・ハードトップ・デザインを採用していた。
全高は1420mmあったけれど、全長が4740mm、全幅が1775mmあり、背が高いようには感じない。もうひとつの理由は、ルーフの前後長を短めにして、リアウィンドウを寝かせぎみにし、かつBピラーを隠すことでドライバーズカーのイメージを強めているためだろう。
クロームもボディ各所に効果的にあしらわれていて、初代のデザイン力は1995年に登場した2代目をしのぐと思う。初代とタイミングを合わせて1990年に、4ドアセダンであることを強調した姉妹車「シグマ」も発売されている。それで「ディアマンテ」は、思いきりよくパーソナル感を打ち出せたともいえる。
パワフルな3.0リッターV型6気筒エンジンと、ビスカス式のセンターデフを備えたフルタイム4WDシステムの相性はよく、当時、”なんて速いんだろう”と感心した。まわせばトルクがどんどん積み上がっていくようなエンジンだった。
後輪も操舵する4WSの効果もあっただろう。コーナーは、ディアマンテの得意科目だった。足まわりの設定もよく、直進時は安定しており、乗り心地は快適。全体的に高い点数を上げたくなる出来だったのだ。
大ヒットした背景には、新テクノロジーの数かずもあった。回転数感応型ビスカスカップリング付きリミテッドスリップデフや、アクティブECU(エンジンコントロールユニット)と、車速・操舵力感応型4WS(四輪操舵)などを組み合わせた「アクティブフットワークシステム」も、初代ディアマンテの大きなセリングポイントだ。
ボディ全幅は3ナンバー枠の1775mmという思いきりのよさも特徴である。1989年に(米国からの圧力を受けて)自動車税の枠が変わり、従来のように車幅が1700mmを超えると税金がいきなり上がるということはなくなっていた。三菱自動車の車両企画担当者は、政治の動きをよく読んでいたのだ。
盛れば盛るほど、クルマとしての存在感が強くなり、評価も高くなる。自動車エンジニアにとってはやりがいのある時代がバブル経済期だったのだ。このころ日本ではスタイルだけでなく、見どころのあるセダンが多く登場した、まさにいい時代だったのだ。
文・小川フミオ
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