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ロールス・ロイスの「ロールズ」と「ロイス」の才能を結びつけた男…スピリット・オブ・エクスタシーを発案した「クロード・ジョンソン」とは

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ロールス・ロイスの「ロールズ」と「ロイス」の才能を結びつけた男…スピリット・オブ・エクスタシーを発案した「クロード・ジョンソン」とは

「Rolls-Royce」のハイフンの役割を果たしたクロード・ジョンソン

ロールス・ロイスは創業120周年を迎える2024年、ブランドを語るうえで重要な人物についてフォーカスを当てて紹介しています。今回紹介するのは1864年10月に生まれたクロード・グッドマン・ジョンソンです。ジョンソンはロールス・ロイス初の販売担当マネージングディレクターを務め、ロールス・ロイスの「世界最高のクルマ」としての地位を維持することに専念した人物。「CJ」というあだ名で呼ばれ、生まれながらのショーマンであった彼の生涯を追います。

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展示の企画職からロールス・ロイスへ仲間入り

クロード・グッドマン・ジョンソンは、1864年10月24日にバッキンガムシャーで7人兄弟の1人として生まれた。ロンドンのセントポールズ・スクールから王立美術大学に進学したクロードは、そこで、父が勤務していたサウスケンジントン博物館(現ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館)の副館長フィリップ・カンリフ・オーウェン卿と出会う。その縁で、帝国研究所(現インペリアル・カレッジ・ロンドン)の事務員として最初の職を得た。

そこで彼は、展示会に携わることになった。彼のデビュー作となった「水産業展」は成功し、1884年には「健康」、翌年には「発明」をテーマとしたイベントを担当することとなる。1886年に「植民地・インド展」が開催されたときには、約200人のスタッフを束ねるまでになった。

研究所で働き始めてまもなく、彼はガールフレンドのファニー・メアリー・モリソンと駆け落ちし、8人の子どもをもうけたが、悲劇的にも7番目の子どもであるベティだけが生き残ることとなる。その後結婚生活は破綻し、クロード・ジョンソンは長年愛人関係にあった女性と結婚した。彼女のことを彼はいつも「ミセス・ミグス」と呼び、2人の間にはティンクという名の娘が生まれた。

1895年、科学分野の著名な著者であり、道路輸送のパイオニアであったデビッド・サロモンズ卿は、英国初の「自動車展」を自身の住むタンブリッジ・ウェルズの自宅で開催した。この成功を収めた展示は自動車に熱中していたウェールズ皇太子の目に留まることとなり、皇太子は同様の展示会をぜひとも開催したいと考えた。そして、皇太子が長年支援してきた帝国研究所で、事務長としてクロード・ジョンソンに依頼した。

1896年に開催されたイベントは、クロード・ジョンソンにとって大きな転機となった。1897年7月に自動車愛好家グループが英国・アイルランド自動車クラブ(後のロイヤル・オートモービル・クラブ、RAC)を設立し、クラブは常勤の幹事を探していた。彼らは、クロード・ジョンソンが帝国研究所での展示会の企画運営を成功させたことを知ってオファーし、彼は喜んでそれを受けることとなる。

組織力と推進力に長けた彼はこの役職に最適だった。彼の指揮の下、クラブは会員向けに多数の自動車イベントを開催し、1900年4月から5月にかけて開催された1000マイル・トライアルでは、パリのパナール製12馬力を運転したチャールズ・スチュワート・ロールズが優勝することとなる。

1903年までに、クロード・ジョンソンはほぼ単独でクラブの会員数を約2000人にまで増やしていた。しかし、彼の心はつねに変化を求めており、クラブの会員でミシン王であるアイザック・シンガーの息子であるパリ・シンガーが、シティ・アンド・サバーバン・エレクトリックカー・カンパニーでの仕事をオファーすると、クロード・ジョンソンはすぐにそれを受けた。シンガー社での数カ月の勤務の後、彼がクラブのメンバーのひとりが立ち上げたばかりの自動車販売事業、「CS Rolls & Co.」に入社したことにより、ロールス・ロイスの歴史の歯車が動き出す。

スピリット・オブ・エクスタシーはクロード・ジョンソンの発案で製造

ビジネスパートナーとして、ロールズとクロード・ジョンソンの2人は理想的な組み合わせだった。ロールズは技術面を担当し、クロード・ジョンソンは一般の顧客への宣伝や販売を担当した。会社は繁栄し、ロールズは1904年にヘンリー・ロイスが製造した新型10馬力自動車を見つけ出すこととなる。ロールズはヘンリー・ロイスとマンチェスターで初めて会った後ロンドンに戻り、ロイスが製造できるすべての自動車を「ロールス・ロイス」という新しい名称で販売することになった。クロード・ジョンソンはたちまちこのプロジェクトに魅了され、1906年にロールス・ロイス社が正式に設立されると、販売担当の常務取締役に就任した。

クロード・ジョンソンの宣伝活動における才能と熱意は、まさにうってつけの活躍の場を見つけた。クロード・ジョンソンの勧めにより、ロイスはより大型でパワフルなモデル、「40/50 H.P.」を開発し、より大型のボディワークを搭載できるようにした。またクロード・ジョンソンは銀メッキ仕上げと銀色の塗装を施した12台限定モデルを「シルバーゴースト」と名付け、1907年のイベントでは優勝。この自動車の信頼性を強調するために、彼はすぐに「ノンストップ」走行に参加するよう準備をはじめた。これはパンクを除いて、1日の決められた時間内に道路上で停止することなく走り続けるというものだ。結果的にロンドンとエディンバラの間をノンストップで1万5000マイル(約2万4140km)を往復し、新たな世界耐久記録を樹立した。特徴的なのは、クロード・ジョンソンが最初の4000マイル(約6437km)を自ら運転したことであった。

クロード・ジョンソンは注目に値するPR活動も続けた。それは、エンジンをかけたままグラスに入れた水を一滴もこぼさずに注ぎ入れたり、ラジエーターキャップの縁にコインを載せて倒さずにバランスを取ったりするものだった。また、ロード・ジョン・モンタギューとの共著『Roads Made Easy』というガイドブックのシリーズを執筆し、出版した。

モンタギューを通じて、クロード・ジョンソンはアーティストのチャールズ・サイクスと出会った。自動車のラジエターキャップにコミカルなマスコットを取り付けるという流行が、クルマのクラシックなラインを損ねているのではないかと懸念したクロード・ジョンソンは、公式なマスコットのデザインをサイクスに依頼した。

現在「スピリット・オブ・エクスタシー」として知られるこのマスコットは1911年に発表され、クロード・ジョンソンの最も重要で不朽の遺産のひとつとなっている。今日に至るまでロールス・ロイスの自動車のフロント部分を飾り続けているこのエンブレムは、時代を超えたブランドのミューズであり、最近ではプライベート・コレクションの「ファントム シンティラ」をはじめとする数々の傑作のインスピレーションの源となっている。

陽気なクロード・ジョンソンと厳格なロイス

陽気で社交的なクロード・ジョンソンと、生真面目でやや厳格なエンジニア、ロイスには共通点がほとんどないと思われがちである。しかし実際には2人は親しい友人であり、互いの誠実さを尊重していた。ロイスが最高の自動車を設計したいという尽きることのない欲求を抱いていたことは、クロード・ジョンソンがロールス・ロイスというブランドを人々の意識にしっかりと根付かせ、事業を円滑に運営する能力を備えていたことで完璧に補われていた。

実際、クロード・ジョンソンがロイスの命を救ったと言っても過言ではない。ロイスは1911年に長年の過労と不摂生が健康に深刻な影響を及ぼし、余命3カ月と宣告された。ダービーの工場はストレスの多い環境であったため、クロード・ジョンソンはロイスのためにイースト・サセックス州クロウボローに家を見つけた。

南フランスの療養旅行では、クロード・ジョンソンが所有する緑とクリーム色の美しいリムジンで、別荘ヴィラ・ジョーヌに立ち寄った。ロイスはこの場所を気に入り、冬の間はここで楽しく過ごせると言った。クロード・ジョンソンはさらに近くの土地を購入し、ロイスが設計した3軒の家を建てた。ヴィラ・ミモザはヘンリー自身が住むためのもので、ル・ビューローはデザインスタジオとして、そしてル・ロシニョールはデザイナーたちが住むための家として建てられた。ロイスにとって、デザイナーたちが身近にいることは非常に重要であった。そうすることで、デザイナーたちがそれぞれのビジョンを迅速に現実のものにできると考えたのだ。ロイスは1933年に亡くなるまで、イギリスとフランスを行き来する生活を送った。

クロード・ジョンソンは、仕事に対する意欲が衰えることがなかった。1912年にはアダム様式でルイ16世様式の家具を備えた販売ショールームをパリにオープンした。同年、「シルバーゴースト」のオーナーであるジェームズ・ラドリーが過酷なオーストリア・アルプス・トライアルに挑戦したが完走できず、怒りに燃えたクロード・ジョンソンはこの屈辱を晴らすことを誓った。翌年には、再設計した4速ギアボックスを搭載した3台のワークスチームをエントリーさせ、クロード・ジョンソンが企画した競技イベントでほかのクルマを圧倒した。この時期、クロード・ジョンソンはロールス・ロイス製自動車の3年保証を初めて導入し、従業員向けの年金制度も設立した。

従来より自動車税の安い小型モデルを製造

1914年から1918年にかけて、ロールス・ロイスは航空機用エンジンの生産に専念した。しかしクロード・ジョンソンは戦闘が終結する前から、彼はシルバーゴーストのような大型で複雑かつ高価な自動車は戦後の緊縮財政下では魅力が失われることを予見していた。そのため、彼はオーナーが自ら運転するのに適した小型モデルを提案し、ロイスはこれを受けて新型の「20 H.P. キャニリー」を完成させた。クロード・ジョンソンは、RAC(英国自動車クラブ)が定めた馬力単位ごとに課される新しい自動車税では、シルバーゴーストには年間47ポンドの税金が課されたが、新型20 H.P.には20ポンドしか課されなかった。

クロード・ジョンソンはロールス・ロイスにさらに2つの大きな貢献をした。まず、ロイスが従来のパンテオンラジエターのデザインをより流線型のものに変更することを提案した際、クロード・ジョンソンはそれを思いとどまらせることに成功したことである。次に、1925年にシルバーゴーストの後継モデルが完成した際、彼はかつてのトライアルカー2台の名称であった「シルバーファントム」と名付けた。このファントムという名称は8世代を経て、2025年にはこのブランドの歴史上最も有名な車名として100周年を迎えることになる。

親しい英国の画家がクロード・ジョンソンを表した言葉とは

1926年4月6日、クロード・ジョンソンは体調不良を感じていたにもかかわらず、いつものようにオフィスに出勤していた。翌日体調はさらに悪化したが無理をして姪の結婚式に出席し、そこで倒れた。娘のベティにクルマで家まで送ってもらったが、その道中、彼は「自分は助からないだろう」と話し、また「葬儀には騒ぎも花もいらない」と告げた。4月11日、彼の死は全国紙やBBCによって報道され、それはロールス・ロイスにとって彼がどれほど重要であったかを表したものであった。ロイスは旧友の死に深く心を痛め、「彼は船長であり、私たちは乗組員にすぎなかった」と語った。

仕事に対する熱意と見せかけの派手さとは裏腹に、クロード・ジョンソンは個人的には謙虚で、非常に慎重な人物であった。自分の懐を肥やすと非難されることを恐れて、彼は会社の株式を保有することはなかった。また、ロールス・ロイスの自動車を所有することもなく、つねに会社の試験用車両を使用していた。戦争への貢献を称えられナイトの称号をオファーされた際には辞退し、その称号はロイスに与えられるべきだと述べた。彼はつねに賞賛を受け入れることを嫌った。

娘のティンクは、彼を次のように表現している。

「あらゆる面で大きな人物だった。身長は6フィート2インチ(188cm)で均整がとれ、大きな手は美しかった。素晴らしい父親で、いつもきちんとした服装をしていた」

しかし、この傑出した人物を最もよく表しているのは、親しい友人である英国の画家、アンブローズ・マケボイの「賢く、親切な巨人」という言葉かもしれない。

AMWノミカタ

クロード・グッドマン・ジョンソンは社交家でビジネスマンであるロールスと天才エンジニアのロイスの間の「ハイフン」であると自ら称していた。つまり「Rolls-Royce」の「−」の部分である。2人の才能を結びつける役割を果たしている。ロールス・ロイスが「世界最高のクルマ」と称賛されるに至るには、彼自身の、そしてマーケターとしての類まれなスキル、才能、経験、そして個性に拠るものが大きい。

スピリット・オブ・エクスタシーは彼の発案で製造され、パンテオンラジエターのデザイン変更に断固反対し、ファントムというモデル名を付けたクルマを販売した。いずれも100年以上経った今でもロールス・ロイスのブランドを印象つける重要なアイコンとして生き続けている。彼はいち早くロールスとロイスの才能を見抜き、また将来を正しく予見する確かな目をもった人物だったのだろう。自身は非常に謙虚な人柄で表舞台に出ることを嫌っていたそうであまり知られていないが、ロールス・ロイスで果たした役割は大きい。

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