ナイロン製の段付きタイミングベルトを発明
楽観的な思考で誕生したとしか思えない、ハンス・グラース2600 V8。イタリアのデザイナー、ピエトロ・フルア氏による美しいクーペが1965年から1968年にかけて製造されている。
【画像】吸収されたハンス・グラース フレイザー・ナッシュ-BMWと同時期の英国クーペ、エランも 全76枚
生産台数には諸説あるが、AUTOCARでは657台という説を推したい。最初の約2年間の264台と、1967年にBMWがハンス・グラース社を買収してから製造された、3.0Lエンジン版の393台も加えて。
BMWは、同社のモデルに興味はなかったようだ。ドイツ南東部、ディンゴルフィングに構えていた工場は改修され、1972年以降は5シリーズの生産拠点となった。
才能あふれる技術者、カール・ドンペルト氏や幾つかの特許技術も受け継いだ。彼ら最大の発明が、ギアと噛み合う段付きのナイロン製タイミングベルトだといえる。
家族経営といえる企業だったハンス・グラース社は、一時期には4000名の雇用を抱えたドイツ・バイエルン地方の自動車メーカー。戦後のドイツ経済の急速な回復の波に乗ったものの、開発資金が充分ではないなかで、ラインナップを広げすぎたようだ。
1880年代に農業用機械の製造で創業した同社は、1957年にゴッゴモビルと呼ばれるマイクロカーで四輪自動車に参入。程なくして、フロントエンジンのT600とT700というひと回り大きなモデルを投入した。
1961年にはサルーンの1004を発表。エンジンはBMWの元技術者、レオンハルト・イッシンガー氏が手掛けた、タイミングベルトによるオーバーヘッドカム・ユニットだった。
上級グランドツアラー市場に向けた2600 V8
1963年に発表されたのが、2ドアクーペの1300 GTと1700 GT。ポルシェ356の終了で生まれた需要を掴み、ブランドの認知度を高めたといえる。1964年にはサルーンの1700も発表するが、返済しきれない額の投資で開発されていた。
1966年には、上級グランドツアラー市場に向けた2600 V8を投入。ドイツのマスコミは、ハンス・グラースとマセラティとの造語の「グラーセラティ」と呼び、野心的な展開を好意的に報じた。
構造のベースとしたのは、サルーンの1700。V8エンジンも、1300 GTの4気筒ユニットを2基組み合わせ、1つのクランクシャフトに繋げたようなものだった。コスト削減が目的だった。
スタイリングはフルアによって1964年に着手され、1965年5月にプロトタイプが完成。量産車と細部は異なるが、テールライトやポルシェ911用のドアロック、メルセデス・ベンツのバスと同じヘラ社のヘッドライトなど、主な特徴はカタチになっていた。
1300 GTや1700 GTと同様に、スチール製のボディはイタリア・トリノのマッジョーラ社が生産を請け負った。基本的に防錆処理されておらず、水分には弱かった。
大部分がハンドメイドで組まれたボディはアルプス山脈を超え、ドイツ南東部のディンゴルフィングへ輸送。そこでパワートレインやインテリアが仕上げられ、1万9400マルクでディーラーに並んだ。ポルシェ912と911の、中間に当たる価格設定だった。
ブレーキは前後ともディスク。ド・ディオンアクスル式のリア・サスペンションには、セルフレベリング機能も備わっていた。
目標の200km/hに届かなかった最高速
ハンス・グラース社は、当初直列6気筒エンジンを考えていた。しかし、V8エンジンのBMW 3200 CSが直列4気筒の2000 CSへ置き換わるタイミングにあり、特色として選ばれたようだ。
2600 V8が目指した最高出力は142psで、最高速度は200km/h以上。西ドイツの4シーターモデルで最速といえる性能なら、注目を集められると考えたのだろう。この頃、同国の乗用車でV8エンジンを選べたのは、ほかにメルセデス・ベンツ600だけだった。
実際、V8エンジンのクーペには多くのドイツ人が関心を示し、フランクフルトでの発表時にはプロトタイプを覆い隠すように観衆が押し寄せた。納車が始まったのは1966年7月。ソレックス・キャブレターを3基並べることで、最高出力は152psを実現していた。
アウトバーンとの親和性を高めるため、162psの3.0L仕様、3000 V8もラインナップされた。0-97km/h加速時間は、2.6L版の11.0秒から9.4秒へ短縮していたが、目標の最高速度には届かなかった。BMW 3200 CSは、200km/hを超えられたのだが。
吸収合併されていなければ、3.2Lのサルーンも登場していたかもしれない。だが、新しい体制下でも充分な需要は集めきれず、ハンス・グラース社のV8エンジンはそっと姿を消すことになる。
BMWは、より速く美しい、M30型の直列6気筒エンジンを載せた2800 CSを発表。2600 V8と3000 V8は、1968年6月をもって生産を終了している。
1967年の英国価格は3046ポンドで、極少数が輸入されたようだ。現在の英国で生き残っているのは、2台か3台程度だという。
5年間を掛けて腐ちた状態からレストア
今回ご登場願ったグラハム・ジャフス氏のハンス・グラースは、ベストといえるコンディションにある。BWM 2000 CSへの造詣が深い彼は、50年間に及ぶマニア歴を通じて関連モデルの殆ども所有してきた。
シャモニー・ホワイトが眩しいクーペのレストアへは、5年間を費やしている。2016年に仕上げて以降、1万6000kmほどを走らせた。現在79歳だという彼は、まだ体力に自信があるようだ。
ドイツ北部、エッセンへのグランドツアーも敢行した。現地のコレクターの目に留まり、4桁万円でのオファーを受けたというが、お金より2600 V8を選んだらしい。腐ちていた状態からの再生には、それ以上の手間が掛かってもいた。
この2600 V8はドイツ・ミュンヘンで販売され、英国へ上陸したのは1980年代後半。だが、ロンドンの郊外で28年間も放置さていたという。
「フロントグリルやサイドシル、フロアは完全にイチから作り直しています。バルクヘッドにもだいぶ時間を割きました。ドイツのグラース・クラブはレストアの大きな助けになりましたね」。ジャフスが説明する。Cピラーのフルア・エンブレムも特注品だ。
エンジンは、専門家のユルゲン・ベンシュ氏によってリビルドされた。ジャフス本人もサスペンションをアップデートし、ワイドなタイヤを履かせて見た目を引き締めている。
シートは、本来はクロスとビニールで仕立てられていたが、ダークブルーのレザーで張り直している。ヘッドレストはBMW 3.0 CS用。フロントノーズには、BMWのロゴと「g」を模したハンス・グラースのロゴが共存する。
この続きは後編にて。
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