プロトタイプとして作られたポルシェ959
自動車エンスー界において毎年8月の恒例行事となっている「モントレー・カーウィーク」では、中核イベントである「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」や「ラグナセカ・モータースポーツ・リユニオン」にくわえて、欧米を代表する複数のオークションハウスが、カルフォルニア州モントレー半島の各地でクラシックカー/コレクターズカーの大規模オークションを開催しています。そんななか、RMサザビーズ北米本社が8月15日~17日にモントレー市内で開いた「Monterey 2024」オークションでは、1台のポルシェ「959」が出品されましたが、どうやらこの個体、ただの959ではなかったようです……。その車両解説と、オークション結果についてお伝えします。
モーテック制御のポルシェ「959」が2.7億円で落札! 走行距離10万キロオーバーの改造車でも価値に揺らぎなし…なぜ予想より高かった?
スーパーカーの世界における新たなトレンドセッター
1985年にデビューしたポルシェ「959」は、パフォーマンスとコストに一切の妥協を許さないスーパーカー市場における「ハイエンド」モデルの基準を明確に塗り替えた。
その個性的なスタイリングに驚異的なパフォーマンス、そして先駆的なテクノロジーの進歩は、またたく間に全世代の自動車愛好家にとって決定的な「ポスターカー」としての地位を確立させることになる。
ヘルムート・ボット博士とマンフレッド・バントレの先見的なリーダーシップのもと、ポルシェのエンジニアリングチームは、世界最先端のスーパーカーとなるモデルをかつてない自由な発想で作り上げた。
彼らは、4カムシャフトの空水冷24バルブのボクサー6にシーケンシャル式ターボチャージャーを組み合わせたほか、最先端のアジャスタブルサスペンション、インテリジェントなトルクスプリット式4輪駆動、ケブラー製ボディパネル、軽量マグネシウムホイールなどの最先端テクノロジーを取り入れ、スーパーカー開発の新たなスタンダードを打ち立てることになる。
ピエヒ博士は「Vシリーズ」959プロトタイプを自分のために確保
ボット博士の前任者であり、フェルディナント・ポルシェの孫でもあるフェルディナント・ピエヒ博士は、すぐに959プロジェクトを採用した。その卓越したエンジニアリングと、不断の技術革新の追求で知られるピエヒは959プロジェクトを即座に支持。さらにボットを説得して、この「Vシリーズ」959プロトタイプを自分のために確保した。
ボット博士とバントレにとって何よりも重要だったのは、このピエヒの要請により、959の開発にまつわる巨額の出費の責任から逃れられたことだろう。
ポルシェ959が正式デビューしたのは1986年。その前年にあたる1985年に、ボットは29台の「930ターボ」シャシーを959のプロトタイプに改造するために厳選し、それぞれ独自の仕様を有する「Fシリーズ」、「Nシリーズ」、「Vシリーズ」に分類した。
「フォアセリエ(Vorserie)」ないしは「プレシリーズ(Pre-series)」とも呼ばれ、7台が製作されたといわれるVシリーズ・プロトタイプは、930ターボの出自よりも、最終的に市販されるモデルに酷似していた。
生産型のノーマル959と現存するVシリーズの微妙な違いを見分けることができるのは、真のポルシェ愛好家だけといわれている。
現存する唯一のVシリーズ試作車にして、故ピエヒ博士も愛用した個体
もうお分かりだろう。このほどRMサザビーズ「Monterey 2024」オークションに出品されたポルシェ959はVシリーズ・プロトタイプの1台で、社内では「V5」と呼ばれていた個体。そして、ポルシェ959のテストドライバーであるディーター・レーシャイゼンの手によってテストされたものである。
ボット博士の指揮のもと、959プロジェクトのテストのほとんどを担当したレーシャイゼンほど、この有名なモデルのステアリングを握って走行距離を伸ばした人物はこの世に存在しないだろう。V5はレーシャイゼンが最後に担当した959のテストカーであり、2015年に出版されたユルゲン・レヴァンドフスキの著書『Porsche 959』に掲載された膨大なカラー写真アルバムに記録された、唯一のVシリーズ試作車である。
助手席の代わりに巨大なオンボードコンピューターを搭載したレーシャイゼンは、1985年から 1986年にかけて「エーラ・レッシェン」に「ナルド高速周回路」、「ニュルブルクリンク」などのクローズドコース、そしてヨーロッパ大陸各地の公道を旅しながら、V5のシャシーやサスペンション、トラクションコントロール、高速性能の限界を追求した。
この冒険的テストランでは、V5のアクティブサスペンション機構を共有しない姉妹車の「V1」とペアを組むこともあった。レーシャイゼンは2019年の『エクセレンス』誌上にて、スウェーデンとノルウェーへの旅の際、「V1では不可能だった深い雪の中も、V5なら走ることができた」と回想している。V5はV1のために道を空ける除雪車として使われることさえあったというのだ。
公務を終えたのち、ボット博士はこのV5をプライベートカーとしてピエヒに譲り、彼は1987年に5万9100kmの走行距離を重ねながら、友人で著名なシェフのハシ・ウンターベルガーに売却するまで毎日のように使用していたとのことである。
唯一無二の重要なポルシェとして際立つ存在
ウンターベルガーは、1992年6月に有名な自動車写真家ルネ・シュタウトに売却する前に、V5のオドメーターにわずか1500kmを追加した。いっぽう、ポルシェ本社ファクトリーに依頼し、V5の布製インテリアを現在のレザー内装に交換させたシュタウトは、1999年までにさらに5500kmを走らせた。
長い間、V5はポルシェの製造史においてもっともユニークかつ垂涎の的のひとつとされ、1999年から2021年にかけて、ヨーロッパで高く評価されてコレクターたちの間を短い連鎖のように渡り歩いた。2019年には、アルテシューレ・デイリーが制作した魅力的な長編ドキュメンタリーで、ディーター・レーシャイゼンとの再会を果たしている。
2021年3月、V5は最終的に現オーナーによって購入され、その時点でミュンヘンにて「PW493H」として登録されたときには、7万7479kmのマイレージを表示していた。
いかなる自動車コレクションであっても、ポルシェ959の1台が含まれることは非常に名誉なこと。そのパフォーマンス、テクノロジー、美学、そして快適性のすべてが、非常に重要な意味を持つ特別なクルマとして結実している。
しかし、現存するただ1台のVシリーズ・プロトタイプとして最高のストーリーを有するV5は、「普通の」959とは一線を画す、唯一無二の重要なポルシェとして際立つ存在であることは認めざるを得ないだろう。
この稀有な959のオークション出品に際して、RMサザビーズは180万ドル~230万ドル(邦貨換算約2億6640万円~3億4040万円)という、昨今100万ドル超えが当たり前となっているポルシェ959の中でも格別ともいえるエスティメート(推定落札価格)を設定した。
しかし実際の競売では出品サイドが期待していたほどにはビッド(入札)が伸びなかったようで、最終的にはエスティメート下限を割り込む165万5000ドル。すなわち、日本円に換算すれば約2億4700万円という価格で、競売人のハンマーが鳴らされることになったのだ。
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