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メルセデス・ベンツがサー・スターリング・モスの逝去に捧げる追悼。栄光の歴史を振り返る

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メルセデス・ベンツがサー・スターリング・モスの逝去に捧げる追悼。栄光の歴史を振り返る

サー・スターリングとメルセデスを繋いだ銀の絆

英国が生んだ偉大なレーシングドライバーがこの世を去った。2020年4月12日に90歳で逝去した栄光のドライバー、サー・スターリング・モス。数々の勝利を共につかみとってきたメルセデス・ベンツが、その死を悼んだ。

メルセデス・ベンツがサー・スターリング・モスの逝去に捧げる追悼。栄光の歴史を振り返る

1955年5月1日、午前7時22分。メルセデス・ベンツ 300 SLR(W196 S)がスタートの合図をいまかいまかと待ちわびている。キャビンに控えているのはスターリング・モスと、コ・ドライバーのデニス・ジェンキンソン。ミッレミリアは、当時世界で最も重要かつ最も厳しいロードレースと言われていた。

ブレシアをスタートして南下し、ローマで折り返してブレシアへ戻るという総走行距離じつに1597kmに及ぶ過酷なレース。ライバルは520台のマシンだけではない。彼らを待ち受けているのは険しいワインディングロードや舗装も十分でない一般公道、そして長い長い時間との闘いだった。

300 SLRで刻んだミッレミリアの大記録

スタートから10時間7分48秒。スタート時間を示すゼッケン番号722をまとったシルバーの300 SLRがフィニッシュラインを越えた。叩き出したのは平均速度157.65km/hという衝撃的な記録。彼らが打ち立てた途方もない数字は、ミッレミリアのコースレコードとしていまも燦然と輝いている。

のちにモスは語った。

「あれは私にとって本当に素晴らしい勝利だったんだ。それだけの速さを達成できるマシンは他に一台としてなかっただろう。そんなマシンを作れるのはメルセデス・ベンツだけさ」

モータースポーツ一家に生まれついたモス

伝説のミッレミリアより7年前、1948年に19歳のモスは初めてのレースに挑戦し4位の戦績を残している。モータースポーツへの情熱は遺伝子に刻み込まれていた。歯科医であった父親のアルフレッド・モス、そして母親のアイリーンは1920年代から1930年代にかけてモータースポーツフィールドで活躍した人物だった。妹のパットもまた、1950年代から1960年代のラリーシーンやスポーツカーレースで輝かしい成功を収めている。

ブライトンで挑んだ2度目のレースでは早くもポディウムの最上段に。才能を一気に開花させたモスは自身のレースキャリア1年目にして、出場した15レースのうち12レースで1位を獲得した。

数々の金星を掲げた黄金の1955年

モスは世界のレーシングフィールドへと飛び出していった。1955年にはメルセデス・ベンツのワークスドライバーに任命。主要なフォーミュラ1レース及び世界スポーツカー選手権に参戦することが契約条件だった。そしてモスは、GPカーのW196 R、300 SLR(W196 S)という“銀の矢”を操る名手となったのである。

フォーミュラ1の1シーズン目はフアン・マヌエル・ファンジオに次ぐ2位で終え、300 SLRではポイントを続々と稼ぎ世界スポーツカー選手権の優勝をメルセデス・ベンツにもたらした。ミッレミリア1位、ニュルブルクリンクで行われた国際アイフェルレンネンで2位、イギリスGPで1位(F1を制したのはこのときが自身初)、スウェーデンGPで2位、ベルギーGPで2位、オランダGPで2位、北アイルランドのダンドロッドで開催したツーリスト トロフィーで1位、タルガ・フローリオで1位。1955年の1年間でモスが掲げた勝利の数は枚挙に暇が無い。

「今日、私は自分の命を賭ける」

モスは勝つことに対して非常に貪欲だった。特に彼を駆り立てたのは、ひとつの思いだった。「今日はレースがある。今日、私は自分の命を賭ける」

メルセデス・ベンツが1955年シーズンを最後にモータースポーツ界から撤退すると、モスは主要ブランドのドライバーズシートへと次々に収まった。ヴァンウォール、クーパー、ポルシェ、アストンマーティン、フェラーリ、ロータス、そしてB.R.M.などで実力を発揮。

F1では世界チャンピオンこそ逃したモスだが、1956年~1957年にはファン・マヌエル・ファンジオに次ぐ2位、1958年には同じ英国出身のマイク・ホーソーンの次点としてやはり2位を獲得した。また、1959年~1961年は3年連続でドライバーズランキング3位につけている。

33歳で現役を引退したモスの持論

人生のターニングポイントは1962年に訪れる。

当時ロータスとの契約下にあったモスは、4月30日にグッドウッドで行われたF1のノンタイトル戦・グローバー トロフィーに参戦した。しかし35周目でクラッシュしたモスは大怪我に見舞われてしまう。その後無事に回復を遂げたものの、事故前の速さを取り戻すことはできなかった。モスは言っている。

「もしも速く安全に走ることができなくなったならば、ライバルのために止まらなくてはならない」

495のレースで獲得した勝利の数は222

モスが作り上げたレース史は、いまもひときわ輝いている。84のマシンを駆って495のレースに参戦し、366のレースを完走して、222のレースを制してきた。間違いなく時代が生んだ最高のドライバーのひとりである。

その功績を称え、エリザベス女王2世は1959年に大英帝国勲章(OBE)を授与。2000年にはナイト(Knight Bachelor)の称号を与えられ、サー・スターリングと呼ばれるようになった。

モータースポーツ界にもたらしたもうひとつの功績

モスはまた、モータースポーツ界に“プロフェッショナリズム”を確立したパイオニアとしても知られる。1949年という早い段階で、自身の契約や報酬の交渉役としてマネージャーを雇用。チーム側との折衝はドライバー自身が行っていた当時、これは非常に画期的な試みだった。1960年半ばになると、ほとんどのドライバーがマネージャーを据えるようになった。

現役引退後も、モスは積極的にモータースポーツイベントやヒストリックレース、ラリーイベントなどに顔を出した。“彼の”300 SLRのコクピットに収まることもしばしばだった。

ミッレミリアで刻んだ栄光の優勝から60年、2015年にモスはゼッケン番号722の300 SLRでイタリアに戻ってきた。当時と同じコースを辿りながら、彼は激動の人生を振り返った。「メルセデス・ベンツのファミリーの一員でいられたことは、いつも私の誇りだったよ」

永遠に語り継がれるスターリング・モスの物語

メルセデス・ベンツ クラシック部門を率いるクリスチャン・ブーケは語る。

「メルセデス・ベンツは、栄光に満ちた偉大なるレーシングドライバーをこれからもずっと忘れることはないでしょう。彼は、1955年のメルセデス・ベンツ レーシングチームにとってのスターでした。目覚ましい記録を達成したミッレミリアでの栄冠、イギリスGPの勝利など、彼の名は我々のブランドの輝けるモータースポーツ史と永遠に結びつけられています。ありがとう、スターリング!」

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