ホンダ歴代GPマシンを一気に見比べられる!
そんなに目新しいことはないだろう……。取材前はそう感じていたのだが、ホンダコレクションホール(モビリティリゾートもてぎ内・栃木県)で開催されている、「二輪世界グランプリ Garage Collection」の特別展示会場に足を運んだ筆者は、予想外の迫力に圧倒されることとなった。
日本メーカー、かく戦えり【2022 MotoGP Special Graph & Document】
取材を忘れて、見入ってしまう迫力
モビリティリゾートもてぎ内のホンダコレクションホールでは、2023年7月22日からMotoGP日本グランプリの決勝レース日となる10月1日まで、「二輪世界グランプリ Garage Collection」を開催している。この特別展示のプレスリリースには、“1977年以降のロードレース世界選手権に参戦した、MotoGP、GP500、GP250、GP125のマシン、45台を展示します”と記されていて、正直言ってその文面を見た段階での僕は、コレといった感情は抱かなかった。
―― 2002~2019年のGPマシンは3階に。
と言うのもホンダコレクションホールでは、定期的な入れ替えを行いつつ、普段から多くのGPレーサーを展示しているのだ。だから特別展示と言っても、過去に何度も同館を訪れた身としては、新鮮さを感じなかったのだが……。
―― 最近のレプソルカラーも細部を見比べるとけっこう違う。
8月末に取材としてホンダコレクションホールを訪れた僕は、事前の予想を完全に上回る特別展示の力にたまげることとなった。その理由は圧倒的な台数で、2輪と4輪の展示スペースを結ぶ通路にズラリと並んだ歴代GPレーサーを前にして、僕を含めた取材陣はしばらく撮影に着手できず、“おーっ”とか“うーむ”などという唸り声をあげながら、全員が各車の細部に見入ってしまったのである。
特別+一般で、約80台のGPレーサーを展示
―― 一般展示の常設マシンも見逃せない。
前述したように今回の特別展示は45台だが、一般展示スペースには1960年代のロードレース世界選手権で活躍した空冷RCシリーズを含めて、30台以上のGPレーサーが並んでいる。それらを含めれば、現在のホンダコレクションホールには約80台のGPレーサーが展示されているのだ。
―― 2ストローク時代を圧倒的な支配で締めくくったNSR500。
改めて考えると、ここまで多くのホンダGPレーサーがイッキに観察できる機会はめったにないのだから、当記事を読んで興味を抱いた方は、会場に足を運んでみてはどうだろうか。そしてそのきっかけになれば……という気持ちで、今回から数回に分けて、特別展示の車両を紹介したい。
―― 左上にはRC-Vのデビュー前に製作されたプロトタイプも!
館内の特別展示スペースは、2F:1979~2001年と3F:2002~2019年に分かれている。そして一般的な視点で考えるなら2Fの目玉は、ホンダV4の原点となったNR500、1983年のGP500ccチャンピオンマシンであるNS500、数々の栄冠を獲得した歴代NSR500シリーズだが、それらと共に数多くのNSR250が並んでいたことが、僕を含めた取材陣にとってはかなりのツボだった。というわけで、ちょっと偏った視点のような気はするけれど、目玉は次回以降で取り上げるので、今回は6台のNSR250を紹介しよう。
ワークスNSR250の変遷
車名の末尾にRが付かないワークスNSR250の歴史は、大雑把に表現すると、1軸90度Vツインを搭載する1986~1991年(NV1)、Vバンク角を75度に改めた1992~1997年(NV2)、そして2軸110度Vツインを選択した1998~2001年(NV3)の3種に分類できる。この中で最もNSR250が活躍したのは1軸90度Vツインの時代で、6年間で4回(前身と言うべき1985年型RS250Wを含めると7年間で5回)の王座を獲得。ちなみに、1軸75度Vツインは6年間で2回、2軸110度Vツインは4年間で1回だった。
◆1991 NV1J ルカ・カダローラ
―― 1991年のNSR250は、シリーズランキング1~5位を独占。チャンピオンはヤマハから移籍したルカ・カダローラで、5位には清水雅広が入った。1985/1986年型では75psだった最高出力は、この時代には87ps以上に到達。
―― ブレンボのフロントブレーキマスターは、1990年頃から普及が始まったラジアルポンプ式。グリップラバーは近年のワークスレーサーでも採用車が多いRS500用。
―― 1989~1991年型は左右非対称のガルアームを採用。鋳造材+押し出し材で“への字”を作る公道用NSR250Rとは異なり、ワークスはプレス成型材をモナカ合わせ。
◆1994 NV2D 岡田忠之
―― 1993~1996年の世界GP250は、“ヤマハの原田哲也 vs アプリリアのマックス・ビアッジ”という様相を呈していたものの、NSR250が低迷したわけではない。1993年はロリス・カピロッシ、1994は岡田忠之、1996年はラルフ・ウォルドマンが、最終戦まで逆転優勝の可能性を残していたのだ。
―― ガソリンタンクを貫通する2本のインテークダクトは、同時代に登場した4スト750ccのRVF/RC45に通じる雰囲気。NSRシリーズでは非常に珍しい構成だ。
―― 1992~1997年型NSR250は、片持ち式のプロアームを採用。この構成はリアタイヤ交換の容易さではなく、チャンバーの配置とバンク角を考慮した結果である。
◆1996 NV2H ラルフ・ウォルドマン
―― 1996年は6ポイント差、1997年は2ポイント差で、ランキング2位になった、ラルフ・ウォルドマンの愛機。PVMの前後ホイールとサイレンサーに貼られたLASERのステッカーは、ドイツ人ライダーならでは。
◆1997 NJ2J マックス・ビアッジ
―― 1994~1996年にアプリリアで3連覇を達成したマックス・ビアッジは、ライダーとしての技量を証明するため、1997年になるとホンダに電撃移籍。NSR250を駆って、自身の連勝記録を4に伸ばすこととなった。
◆1999 NV3B 宇川 徹
―― 各部の改革をイッキに行いすぎたためか、1998年にデビューした第3世代のワークスNSR250は、当初はトラブルが多発。ただし大幅な軌道修正が図られた1999年は、宇川 徹がシリーズランキング2位、ロリス・カピロッシが3位を獲得した。
◆2001 NV3D 加藤大治郎
―― ワークスNSR250の最終年となった2001年は、アプリリア軍団の猛攻を抑え、加藤大治郎が全16戦中11勝を挙げてシリーズチャンピオンを獲得。熟成が進んだ2軸110度Vツインの最高出力は、歴代最強の95ps以上。
―― NSR250がラジアルマウント式フロントキャリパーを採用したのは1999年から。なお兄貴分のNSR500は、1年遅れの2000年からだった。
―― 第3世代のスイングアーは両支持式。構造は左右非対称で、左にはチャンバーを避ける凹みが設けられているものの、1989~1991年のガルアームとはまったく異なるデザインだ。
二輪世界グランプリ Garage Collection 開催概要
―― 開催日時2023年7/22(土)~10/1(日)開催場所ホンダコレクションホール 2階・3階中央エリア(モビリティリゾートもてぎ内)開館時間9:30~18:00(季節や曜日によって異なる場合があります)料金無料(モビリティリゾートもてぎの入場料・駐車料は別途かかります)
モビリティリゾートもてぎ ■〒321-3597 栃木県芳賀郡茂木町桧山120-1 ■Tel: 0285-64-0001(代表)
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