■下積みなしでレースの頂点を極めた砂子義一氏!?
「レーシングドライバーには、どうやってなるのですか?」
「日本のライダーたちの希望になりたかった」小さなバイク屋さんが市販レーサーホンダ「NSF250R」で世界に挑戦した理由
そう質問されることが少なくない。こんな珍妙な職業を目指す変わり者はそう多くはないから、求人誌やハローワークを検索しても見つからないだろうし、ましてや公共職業安定所の列にならんでも紹介されるはずもない。どの門を叩いていいのやらわかるはずもないのである。
だが、意外に簡単なのである。最近ではトップレーサー養成スクールが開講しているし、数あるレーシングショップに問い合わせれば懇切丁寧に教えてくれるだろう。希望とあらば、小生に問い合せてくださればアドバイスはさせていただく。ステップアップの階段まで手を取り、脚を取り導くのならば、高額な有償になるのを覚悟していただければよろしいかと思う。(笑)
もっとも、スクールを受講したとしても、すぐにギャラが貰えるドライバーになれるかといえば、答えは想像の通りだ。クルマに座ってアクセルペダルを踏んでいれば金がもらえるなどという虫のいい話は、そうコロコロと転がっていない。やはり下積み的な苦労を重ね、少しずつ実力が認められて成功を手にするしかないのである。
その意味では、砂子義一氏なるレーサーは特異な経歴の持ち主である。のちにプリンス自動車の契約ドライバーとなり、R380という伝説のレーシングカーを走らせ、世界各地で活躍することになるのだが、四輪に転向する以前はヤマハの契約ライダーであり、そもそもヤマハ入りする経緯がぶっ飛んでいるのである。
実はチームメイトの砂子塾長の父君が砂子義一である。という関係もあり、何度か酒宴を共にしたことがある。そんな砂子義一氏は、いわゆるレーシングスクールを受講したこともなければ、下積みもない。「プロ契約しませんか?」っていきなり大金を山積みされたというのだからドリームである。
その頃、砂子義一氏はヤマハ発動機で働いていた。旋盤が扱えるという理由で、ミッションのメインシャフトを削る仕事をしていた。
そんなある日の昼休みのこと、ライディングが得意な男たちが、後ろ向きに乗ったり、曲乗りをしていた。それが女の子にウケてキャーキャー言われていたという。
「それが面白くなくてねぇ。アクロバチックなことは出来ないが速さじゃ負けないぜ、なんて啖呵切ったら、じゃあ勝負しようぜってことになってね」
その勝負であっさり勝ってしまった。それがヤマハレーシングチーム監督の耳に入り、契約しないかと誘われたというのだ。そこからトントン拍子で頂点に上り詰めていくことになるのである。
さてさて話しの続きは、またいずれ・・・。
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