例えようがない充足感で満たされる
フェラーリ・テスタロッサだったら、また違った体験になったはず。矢じりのように尖った328 GTSのフロントノーズが、グレートブリテン島の南西部、チェダー・ゴージの渓谷をすり抜けていく。
【画像】Jr.スーパーカー フェラーリ328 ランボルギーニ・ジャルパ ロータス・エスプリ 同時代の他モデルも 全124枚
ピレリ・タイヤは確実にアスファルトを捉え続ける。左手と左足は、無意識のうちに次のギアを選んでいる。フラットプレーン・クランクで回るV8エンジンの爽快なノイズが、切り立った岩壁にこだまする。
真っ赤に染められた年代物の跳ね馬が、幾重にも続くヘアピンカーブを機敏にこなしていく。速さに圧倒されるほどではないが、例えようがない充足感で満たされる。
対照的にクリーンな刺激といえるのが、ロータス・エスプリ・ターボ。空へ向けて反響するフェラーリ・サウンドを追いかけるように、鋭く静かに駆けていく。
画に書いたようなウェッジシェイプのボディから、アクセルオフの度にウェイストゲートの吐息が溢れる。グレートブリテン島の東部、ノーフォーク州のブランドが誇った技術が落とし込まれている。
クロスプレーン・クランクのV8エンジンが放つ重厚なサウンドで、そんな2台と距離を取るように猛進するのは、ランボルギーニ・ジャルパ。直線基調のワイルドなスタイリングは、サンタアガタ生まれであることを主張する。
豊かなトルクが、滑らかに湧き出る。いかにも加速は伸びやかだ。
1980年代に誕生したジュニア・スーパーカー
1980年代に誕生したジュニア・スーパーカーは、精神的・肉体的苦労の見返りとして幸福を味わえた、それまでのジャンルに新しいスタンダードを設定した。スーパーカーを、民主化させた存在といえた。
イタリア・ブランドの創業者が、究極の高性能モデルを初めに創案した頃、快適なコクピットや使い勝手の良いサイズ、真冬や真夏の順応性にまで意識は巡らされていなかった。しかし文明が進み、量産モデルを作り続けるうえでは不可欠になっていた。
レースでの活躍を絶やさなかったフェラーリだが、経営的に厳しい状況へ追い込まれた1960年代末に、フィアットが株式の50%を取得。乗りやすく売りやすい公道用モデルの必要性は、疑いようのないものだった。
その前段階の提携関係のなかで、両社はF2マシン用のV6エンジンを共同で開発。このユニットを量産化して搭載した、1967年のディーノ206GTは特段運転しやすかったわけではなかったが、それまでのモデルより遥かにドライバーへ優しかった。
フェラーリがF1で優勝した1975年、正式に跳ね馬のエンブレムを付けた小柄なミドシップ・モデル、308をリリース。フィアットの影響を受けながら、イタリア北中部のスカリエッティ工場に年間数千台という量産体制が整えられた。
1986年にはアップデート版となる328が登場。フェラーリは、新しい時代の入り口に立っていた。1988年8月14日、創業者のエンツォ・フェラーリ氏はこの世を去ってしまうのだが。
1度の倒産を挟んで続けられた進化
一方で、当初はフェラーリの得意客であり、後に最大のライバルへと成長したランボルギーニを立ち上げたフェルッチオ・ランボルギーニ氏は、早い段階でジュニア・スーパーカーの構想を練っていた。道のりは、平坦ではなかったけれど。
1970年のトリノ・モーターショーで観衆を沸かせた、小ぶりなランボルギーニ・ウラッコは、少なくない妥協の末、1972年に量産がスタート。販売拡大を狙い、同じくマルチェロ・ガンディーニ氏がスタイリングを手掛けた、1976年のシルエットへ発展した。
しかし、1970年代には2度のオイルショックが到来。経営に悩んでいたフェルッチオは、スイスの実業家、ジョルジュ・ロセッティ氏とレイネ・レイマー氏へ自社の売却を決断する。ところが1978年、ランボルギーニは倒産へ追い込まれてしまう。
1度イタリア政府の管理下に陥るものの、フランスの実業家、パトリック・ミムラン氏が買収。カウンタックだけでなく、ジュニア・スーパーカーのアップデートも含めた、新しい事業計画が進められた。
シルエットをベースに開発されたジャルパは、1981年3月のジュネーブ・モーターショーで発表される。多くの期待とともに、遅れながらも同社は量産へこぎつけた。
小柄で軽いロータスの伝統を守ったエスプリ
その頃、グレートブリテン島のロータスは、スポーツカーとしての本質を追求し続けていた。反面、大量生産と品質管理という、現代的な自動車市場の要求へ応えることには苦労していた。
エンツォと同様に、ロータスを創業したコリン・チャップマン氏もモータースポーツへ注力。当初の公道用モデルはその活動資金の獲得が目的で、開発には余り乗り気ではなかったという。
それでも、有能な技術者たちの努力によって、新しいミドシップ・スーパーカーというアイデアは実現へと進んでいった。イタルデザインによる、近未来的なスタイリングをまとって。
エスプリは、間違いなくロータスの伝統を守っていた。適度に小柄で、軽く、充分な動力性能を備えていた。細々とした生産体制と販売ネットワークという、望ましくない側面も一緒に受け継いでいたけれど。
チャップマンはエスプリで北米市場への進出を果たしたが、量産モデルとして調子を掴んだのは、1982年12月の彼の逝去後。ブリティッシュ・カーオークション社を立ち上げたデビッド・ウィッケンス氏による、リーダーシップに寄るところが大きい。
1986年にゼネラル・モーターズの傘下へ収まり安定した環境を得ると、エスプリはX180型へと進化を果たした。ニューシェイプと呼ばれる、ピーター・スティーブンス氏によるスタイリングをまとって。
この続きは中編にて。
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