超高級車ブランドは今、“ビスポーク”によって大きく変わろうとしている。
着々と進む“世界文化遺産化”
「ビスポーク・ボヤージュ」と題したロールス・ロイスのイベントが10月20日(木)から22日(土)までの3日間、東京品川区・天王洲アイルの寺田倉庫で開かれた。8代目ファントムのシリーズIIを日本で初披露し、同時に、顧客の注文に応じてボディや内装の色、素材、デザインをカスタム・メイドする「ビスポーク」について、あらためてプレスと顧客に紹介する機会を設けたのである。
冒頭、ロールス・ロイス・モーター・カーズ(以下R-R)のアジア太平洋リージョナル・ディレクターに昨年秋に就任したアイリーン・ニッケインさんがこんな挨拶をした。
いわく、R-Rのビスポークとは「現実を変えるもの」であり、「ラグジュアリーの最高峰のプロダクト」である。「真のラグジュアリーはほんのひと握り」。それをクライアント(顧客)のヴィジョン、クリエイティビティとの真のコラボレーションによってつくりあげる、と。
邦貨にして6000万円ほどの、間違いなく量産車としてはもっとも贅沢な1台、ザ・ベスト・カー・イン・ザ・ワールドを象徴するファントムを、白いキャンバスになぞらえ、あなた色に染めあげます……というのだから、スーパー贅沢なお話である。
ファントム・シリーズIIは、2017年発表の、1925年に登場した初代から数えると8代目、2003年、BMW傘下で再出発したR-Rのファントムとしては2代目となる現行モデルに、これまたアイリーンさんのことばを借りると、「微妙な改良」を施したものだ。
文字通り、フェイスリフト版で、パンテオン・グリルの水平のラインとヘッドライトの上部のラインが横一直線でつながり、水平基調が強調されている。より、わかりやすいのは夜の帳がおりてからで、それというのも、新型ゴースト同様、パンテオン・グリルがライトアップされるようになったからだ。いわば、ギリシャ、ローマ文明に連なる偉大な西洋文明のひとり世界遺産、1台観光地、である。
「スター・ライト・ヘッドライト」も新しい。ヘッドライトの下部のパネルに超高精度のレーザー・エッチング加工で580もの小さな穴を開けることによって、夜間、もしくは暗いところでその小さな穴から光が漏れて、金粉のようにキラキラ輝く。
単にキラキラ輝くだけではなくて、2008年登場のファントム・クーペで採用され、現代のR-Rのアイコンのひとつになっている「スター・ライト・ヘッドライナー」、すなわちキャビンの天井に輝く星々と呼応し、エクステリアとインテリアを視覚的、感覚的につなぐ、という重要な働きを担ってもいる。
細かいことはともかく、目元が妖艶にキラキラしていたら、シリーズIIということになる。
メカニズム面はあえて変更していない。571ps、900Nmを発生する6.75リッターV12ターボ・エンジンをはじめ、数値の変更もない。堂々たる体躯の伝統的後輪駆動車、であり続けている。クライアントから「変えないでほしい」という声が大きかったから、と説明されている。
もちろん、ロールス・ロイスは2030年までにEV(電気自動車)のメーカーになる、と宣言しており、開発資源をEVに集中させていることもあると思われる。別のいい方をすると、現行ファントムの“世界文化遺産化”は着々と進んでいるのだ。
最新のファントムVIIIシリーズ2と対を成すように、会場の反対側には1931年のファントムIIコンチネンタル・カールトンDHC(ドロップ・ヘッド・クーペ)が展示してあった。ワクイミュージアムから持ち込まれたこのヴィンティッジ期のファントムは、現代のロールス・ロイスの正統性を示すものでもあった。
会場に持ち込まれたファントム・シリーズIIは、「ダイヤモンド・ブラック・アイス・フィニッシュ」というボディ色に塗られていて、遠目、もしくは光の加減でマットに見えて、フィルム・ノワール的、あるいはダース・ベイダー的、ダーク・ヒーローな雰囲気をちょっと漂わせていて、カッコよかった。「エンハンスト・ブラック・ディテール」という、クローム・パーツをダーク仕上げにする仕様が選ばれていることもある。アールデコ調の三角の幾何学的模様が刻まれた、一部ポリッシュ仕上げの22インチ・ホイールがフォーマル・ドレスをちょっと思わせもする。
この塗装、近くによるとキラキラしている。光を反射するように銅の粉を吹き付け、6層もペイントを重ねることで実現した、マットのようでマットではない、メタリックのようでメタリックではない、手の込んだ、ラクシュアリーな塗装なのだ。
内装はごく薄いブルーの高級レザーで仕立てられている。「ハイファッション界のモチーフ」を引用したものだそうで、ブランド名は出さなかったけれど、エルメスを指しているのだと筆者は思った。
ラクシュアリー・メーカーとして前進中ビスポークについては、アジア太平洋およびヨーロッパのビスポーク・セールス・マネージャーのクリストファー・コーデリーさんが「インスピレーションはどこにでもあります」と、語りかけることから始まった。ショールーム、ビーチ、ヨット、ハイキング、モルジブ、愛犬、アート、ファミリー、赤ちゃん……。
「インスピレーションがビスポークの世界へ誘うのです」
ふ~む。なんのこっちゃ。筆者は意味がわからなかった。あとになって気づいた。これはクライアント向けのプレゼンなのだ。仮に、です。あなたのためにビスポークのロールス・ロイスをつくってあげます。といわれたら、どうしますか? 筆者なんぞはうれしいけれど、困っちゃうのである。自分の好きな色って、なんだろう? 自分を表現する、自分らしい色は? 自分を表現する内装は?
もちろんロールス・ロイスを注文するようなお金持ちというのは、アイディアと活力に満ちていて、なにごとにも意見があって、想像力と創造力の豊かなひとたちだろうとは思う。とはいえ、白いキャンバスに絵を描く、それもお好きな絵を、となると、逡巡するのではあるまいか。しかも、絵画とか壺とは異なり、自動車だからして、多くのひとに見られる可能性がある……。う~む。
そういう悩めるクライアントに、あなたのヨットと同じ色と内装とか、愛犬の色と一緒にしてもステキですよ、お誕生日の星座とかラッキー・ナンバーをモチーフにするとか、気軽な提案することで、彼らのイマジネーションを刺激しているのだ。と自分で思って得心した。なるほどなぁ。
続いて、具体例として、カリナンやファントムのビスポークの例をクリストファーさんは紹介した。たとえば、モータースポーツ好きのクライアントが注文した「パイクス・ピーク・ブルー・カリナン」は、鮮やかな濃紺のボディ色に、内装はモデナの黄色が使われている。ブルーはおそらくイタリアの戦闘機の色、モデナの黄色というのは、もちろんフェラーリの黄色と同じだ。発注主はイタリア系のひとなのかも知れない。
南アのアーティスト、エスター・マラング(Esther Mahlangu)の抽象画がダッシュボードに描かれたファントムもあった。日本だと草間彌生とか横尾忠則とかに描いてもらった、ということでしょうか。いいなぁ、横尾忠則が描いた高倉健が天井にあったりしたら……。
「ザ・ローズ・ファントム」にも目を見はった。バラと蝶の膨大なエンブロイダリー(刺繍)がヘッドライナー(天井の内張)からシート表皮まで施されている。この刺繍を担当したのがエンブロイダリー・スペシャリストのジョシュア・ライルズさんで、ジョシュアさんは「空間のパーソナライズはなんでもできる」と、自信満々という雰囲気ではなくて、ごく自然体で、さらりと語った。
ジョシュアさんが刺繍をはじめたのは、13年前にアプレンティスとしてロールス・ロイスに入り、内装部門に配属されてからのことだそうで、10年前だったらこのレベルの刺繍はできなかったという。R-Rは内部で職人を育て、ハンドメイドの能力を高めている。すなわち、ラクシュアリー・メーカーとして前進しているのだ。
アジア地区にはアジア特有の価値観がある発表会が終わったあと、アジア太平洋リージョナル・ディレクターのアイリーン・ニッケインさんに質問する機会を得た。アイリーンさんはMINIジャパンのブランド・コミュニケーション&プロダクト・マネジメントをつとめていたりして、日本には5年ほど住んだことがある。
アジア太平洋地域というのは、日本、韓国、オーストラリア、シンガポールなど、全部で12カ国を指す。中国本土は含まない。オフィスはシンガポールにあるけれど、“成熟市場”の日本にもオフィスをつくったばかりで、今年の6月から活動しており、2カ月おきに来日しているという。
アジア地区のリージョナル・ディレクターとして意識しているのは、R-Rブランドのモダナイゼーションだというから興味深い。
「アジア地区にはアジア特有の価値観があります。家族とか階級とかを尊重する文化ですから、もし若くして成功したとしても、まわりの目を気にしてR-Rを所有することができない、ということもあります。そういった背景から、われわれがブランドをもっとモダン化して、年配のかたのブランドというイメージを払拭すれば、もっと若いひとが持てるブランドになる、と思っています。今回のイベントも、フォーマルさは控え、カスタマーとダイレクトにエンゲージメントできるようにしています」
なるほど、会場の天井にはR-Rのドア内に仕込まれるカラフルな傘がいくつか飾られ、踊り子さんによるパフォーマンスがあったりして、アートの展覧会のような雰囲気も醸し出されていた。
「ふたつめはビスポークだと思っています。単に若いということではなくて、新しい考え方をするひとたち、カスタマイズして、クルマのストーリーを語りたい、自己表現をしたい、そういうひとたちが増えています。ロールス・ロイスのビスポークはこうしたひとたちにピッタリだと思っています」
「前澤(友作)さんみたいなひとですね」と、ここで口をはさんだのはGQ JAPAN編集部のイナガキくんである。以下、彼女の発言の印象的なところをご紹介する。
「われわれには、118年の歴史とレガシーがあります。一貫して創業者の考え方、哲学を維持しています。BMWグループがR-Rを買収してからも、R-Rのインテグリティ(integrity:高潔、誠実、清廉、完全な状態)は守られています」
「もちろん、顧客の好みとか要求、期待も変わってきています。かつてのR-Rは世界のキングとクイーン、王侯貴族のためのブランドでした。それはでも、ずいぶん昔のことです。現代では、われわれは成功した人たちを祝福したいと思っています。もしも成功すれば、若い方でも自分の成功を祝うためにR-Rを買う。そういう位置づけです」
「イエス。われわれはうまくやっています。うまくやれているとしたら、お客さまのおかげです。R-Rというのはお客さまと本当に距離が近いブランドです。お客さまからのフィードバックとか意見をどんどん取り入れています」
「ラクシュアリー・ビジネスにはいろんなレベルがあると思いますが、クルマというのはすごく個人的な資産です。毎日運転して、触れて、自分を体現するものでなければならない。クライアントの声こそ、本当に傾聴しなければならない重要なものです。あえて申し上げますが、工場のラインにあるクルマにはほぼすべて、背後にお客さまがいらっしゃるのです」
世界でもっとも贅沢なクルマをクライアントとのコラボレーションで生み出す。恐ろしく手間ひまはかかるにちがいない。いや、現代のロールス・ロイス・モーター・カーズは、その手間ひま、職人仕事をビジネスにしているのである。いまやそれは、R-Rの創業者、チャールズ・ロールズとヘンリー・ロイスが目指した以上のものであるかも知れない。
文・今尾直樹
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