1969 Porsche 917
ル・マンをはじめ数々の栄冠に輝いた名車「917」
「ポルシェ911カレラRSR ターボ2.14(1974)」偉大なる911ターボの祖先《ポルシェ図鑑》
ポルシェ917は1969年に開発された5.0リッターのグループ4マシン。70年シーズンには主に空力面を改良した917Kに発展し、悲願のル・マン24時間総合優勝を獲得した。
1968年からスポーツカー・マニファクチャラー選手権は3.0リッター以下のプロトタイプ(生産台数不問)のグループ6と、年間生産台数50台で5.0リッター以下のスポーツカー、グループ4の2種類で競われることとなった。しかし、その規定が厳しすぎるという要請を受け、FIAは69年からグループ4の年間生産台数を25台に引き下げる決定を下した。
それを受け、ポルシェのレース部門の責任者であったフェルディナント・ピエヒは5.0リッター・グループ4の開発を決意。わずか10ヵ月という短い開発期間でニューマシンを作り上げた。
とはいえ、その中身は、前作908のスケールアップ版というべきものだった。アルミ合金製スペースフレーム・シャシーは908をベースに改良、補強したもので2300mmのホイールベースは同一(実は歴代レーシング・ポルシェのホイールベースは1961年の718RS61以降、ずっと2300mmのままだった)、前後トレッドもほぼ同一となっていたからだ。
フェラーリの5.0リッターV12に匹敵する580hpを発生
一方ハンス・メッツガーを中心に開発されたエンジンも、908の空冷3.0リッター8気筒に4気筒を追加したような形になっていたが、クランクシャフトの振動や強度を考慮して水平対向式から、出力をそれまでのクランク端からエンジン中央のセンターギヤから取り出すようにするなど、大きく改良が施された180度V12型に改められていた。こうして誕生した912/45 V12DOHCユニットは、4.5リッターながらフェラーリの5.0リッターV12に匹敵する580hpを発生。その高出力に対応するために、新たに大容量の5速MTギヤボックスも開発されている。
ボディは社内デザインによるもので、長大なV12とのバランスを取るためコクピットが大きく前進していたが、その基本思想は908譲り。ル・マン用のロングテールと、スタンダードのショートテールの2種類を用意した。それぞれにリヤサスペンションに連動して作動する可変式リヤスポイラーを装着する。
しかしながら、旧来の思想のシャシーに大排気量のエンジンを組み合わせた917は、驚くべきスピードを見せる一方でシャシーバランスが悪く“じゃじゃ馬”のレッテルを貼られることになる。デビューレースとなったのは69年5月のスパ・フランコルシャン1000kmだったが、ジョー・シファート/ブライアン・レッドマン組は、ポールポジションを獲得したにも関わらず、操縦性の悪さを訴え決勝で908にチェンジ。もう1台のゲルハルト・ミッター/ウド・シュッツ組はエンジントラブルで1周リタイアと散々な結果に終わってしまったのだ。
その年のル・マンには3台の917がエントリーし、14号車が前年のタイムを12秒以上も更新しポールポジションを獲得。決勝でも12号車が20時間目までトップを独走したもののリタイア。またジョン・ウルフのドライブするプライベートの10号車がオープニングラップでクラッシュ、炎上し、ウルフが死亡する悲劇にも見舞われている。
ジョン・ワイア率いるJWオートモーティブで飛躍
917は69年10月の日本グランプリにも準ワークス体勢で参戦しているが、日産R382の前に惨敗。そのポテンシャルを最大限に発揮できない状況が続いていた。
69年シーズンの終了後、経営状況が思わしくなかったポルシェは、ワークス活動の縮小を表明。マシンの開発、製造は続けながらも、ワークスとしてのレース活動はフォードGT40で実績のあるジョン・ワイア率いるJWオートモーティブに委託されることとなった。
JWはオフシーズンのテストで917の空力に欠陥があることを指摘。それを受けボディをウエッジシェイプに改めてダウンフォースを増大させ、エンジンの排気量を5.0リッターに拡大した917Kが開発された。
迎えた70年シーズン、開幕のデイトナ24時間でJWの917が1-2フィニッシュを達成。その後もBOAC1000km、モンツァ1000km、スパ1000km、ワトキンスグレン6時間、オーストリア1000kmで優勝を果たすなど圧倒的な強さをみせ、見事にマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得した。
この年の6月に開催されたル・マンでもスティーブ・マックイーンの映画で描かれたJWチームは必勝体制で臨んでいるのだが、数々のトラブルに見舞われ全車リタイア。もうひとつのワークス格として参加していた、ハンス・ヘルマン/リチャード・アトウッド組のザルツブルク・チームの23号車が、4.5リッター・エンジンながら15番グリッドから雨に翻弄されたレースの中で着実に順位をあげ、見事にポルシェ初のル・マン総合優勝の快挙を成し遂げたのである。また、ル・マン用に開発されたロングテール・ボディを纏ったマルティニ・チームの917LHも2位に入り、ポルシェの1-2フィニッシュとなった。
2年連続マニュファクチャラーズ・タイトルを獲得
翌71年シーズンもポルシェは小改良を加えた917Kで選手権に挑戦。またもJWチームが圧倒的な強さを見せ、2年連続でマニファクチャラーズ・タイトルを獲得した。
しかしながら、本命といえるル・マンでは、2台のロングテール917LH、1台のショートテール917Kで臨んだJWチームが相次ぐトラブルに見舞われ後退。マルティニ・チームからエントリーしたエルムート・マルコ/ガイス・フォン・レネップ組の917Kが総走行距離5335.313kmという史上最長記録を打ち立てて優勝を果たしている。ちなみに優勝した917Kは、軽量化を目的に3台分のみ製作されたマグネシウムフレームを採用した実験車的な性格のものであった。
このように黄金期を築き上げた917であったが、FIAは72年シーズンから3.0リッター・プロトタイプのグループ6のみとすることを決定。また917の生みの親であるピエヒも、ポルシェ一族がポルシェの経営陣から退く決定を受け、71年限りでポルシェを離れることとなった。
しかしこれで917のモデルライフに終止符が打たれることはなかった。917は北米に活動の拠点を移し、新たな進化を遂げていくことになる。
ポルシェ917 S/N.001
ポルシェ・ミュージアムが所有する1969年型の917、シャシーナンバー001。69年のジュネーブ・ショーに展示された個体で、実戦では一度も使われていない。917K仕様にモディファイされていたが、2018年にオリジナルに戻された。
ポルシェ917K S/N.023
70年のル・マン24時間で優勝したザルツブルク・チームの917K、シャシーナンバー023。当時唯一の4.5リッターエンジン搭載車であった。長らく日本のマツダ・コレクションが所有していたことでも有名な個体で、現在はイギリスのコレクターのもとにある。
ポルシェ917K S/N.029
1970年からポルシェのワークス活動を担ったJWオートモーティブの917K。これは70年のスパ1000kmで優勝した後に71年シーズンも戦いブエノスアイレス1000kmでも優勝した917-029。リヤカウルの2枚のフィンは71年モデルの特徴。
ポルシェ917LH S/N.042
ストレートスピードを稼ぐために、元ルネ・ボネのシャルル・ドゥーチェ率いるSERAがボディをデザインした917LH。これは70年のル・マンでポールポジションを獲得した917-042。現在は71年のル・マン出場時の姿となっている。
ポルシェ917/20 S/N.001
空気抵抗低減を狙ってフランスのSERAの協力を得て開発された917/20。グラマラスなボディから“ピッグ”の愛称で呼ばれ、71年のル・マンでは豚肉の部位が描かれたカラーリングが施された。7位からスタートし、一時3位を走行するなど素性は良かったという。
ポルシェ917K S/N.053
ガイス・フォン・レネップとヘルムート・マルコのドライブで、71年のル・マン24時間を制した917-053。当時3台だけ製作された軽量なマグネシウム・フレーム車。このクルマだけ孔開きブレーキディスクとなるなど実験的な仕様だった。
【SPECIFICATIONS】
ポルシェ917
年式:1969年
エンジン形式:空冷180度V型 12気筒DOHC
排気量:4494cc
最高出力:580hp
最高速度:340km/h
TEXT & PHOTO/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
COOPERATION/ポルシェ ジャパン(Porsche Japan KK)
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みんなのコメント
そんな中、ポルシェは'70年からのレースをジョン・ワイヤーに引き継ぐのだが、その際、『917』のボディの大改造を依頼するとともに、その見本として'69年の日本グランプリで、その強さを間近で見、舌を巻いた『R382』を上げたのではないだろうか?
すなわち、ドラッグ軽減よりも、むしろダウンフォース確保のため、ボディ後端を跳ね上げた短いリアカウルを装着し、全体を「ウェッジシェイプ」でまとめた、『R382』にそっくりな『K(クルツ)』のスタイル…
『917』にパクられた『R382』
当時の日産の空力はポルシェの上を行っていたと思うと、ちょっと気分が良い!