■“走る実験室”として生まれたゴールデンボールズとは
1982年に東京・港区の高輪で創業し、現在の世田谷区、上用賀に至るまでの38年間……まだ日本でハーレー・ダビッドソン(以下:H-D)を扱う専門店が一般的でない時代から、まさしく業界を牽引してきたといっても過言でないショップ「サンダンス」。
ハーレーの名車「XR1000」レース用バイク「ルシファーズハンマー」のテクノロジーを投影して開発された一台とは
同店は88年から「H-Dが持つ機械的な極限と究極の技術を追求する」という目的で「サンダンス・レーシングプロジェクト」という名のもとに国内外のロードレースに参戦してきたのですが、ここに紹介するスポーツスターをベースにした「ゴールデンボールズ」というマシンは、その歴史の中である意味、記念碑的な一台と呼べるものかもしれません。 サンダンスがレースに挑んだ理由、その大前提として「曲がる、止まる、走るという要素が高い次元で試せるロードレースの中で技術を追求し、それをストリートに還元する」という目的があるのですが、このゴールデンボールズは、まさに“走る実験室”と呼べるものです。
そもそもゴールデンボールズは1992年に開発がスタートした同店のコンプリートマシンである「スーパーXR」の「クランクシャフト耐久テスト用」として製作されたとのことで、レースごとにオーバーホールが可能なレーシングマシンとしてではなく、あくまでも“スーパーXR”を市販化するにあたり「何馬力に設定してリリースするのがベストなのか」を探るべく、生み出されたものであると代表の柴崎“ZAK”武彦氏は語ります。
■優れた耐久性と圧倒的なポテンシャル
ちなみにスーパーXRが発表されたのが1994年なのですが、その二年後に製作されたゴールデンボールズは、まさにその最終のテスト段階を確認すべく生み出されたものであるといえるでしょう。
ゆえに当初の仕様はサンダンス・オリジナルのシリンダーヘッド「ハイパーブランチヘッド」に、同店の旗艦的存在のレーシングバイク「デイトナウエポン」と同様のプロフィールを持つカムシャフトをセットアップ。キャブレターをダウンドラフト(吸入口を上方に向けた状態)にセットしたサンダンスFCRに変更し、オリジナルの2in1エキゾーストシステムを装着した以外はすべてノーマルとなっています。
この結果、後軸出力109馬力となったそうですが、それを一般公道でテストした上で96年に開催されたH-DワンメイクレースのSSCオープンクラスに参戦。そこで見事、ポールtoウィンを飾った後、月刊オートバイが主催する富士スピードウェイでの最高速チェレンジ企画である“MAX-ZONE”に参加し、271km/hをマーク。 さらには西仙台サーキットで4時間連続走行の耐久テストを敢行し、その後にクランクの異常を感じてエンジンを分解したそうですが、こうした一連の使用状況を考慮した結果、市販化される“スーパーXR”のエンジン出力を“後軸100馬力”という設定にしたとのことです。 また、それらのテストを経てゴールデンボールズは耐久性を向上させる為、特注素材のフライホイールと強化コンロッドなどを組み込み、エンジンの仕様変更を果たしたのですが、これはあくまでもデイトナウエポンのスペアとして用意されたものでした。
96年にアメリカのフロリダ州にある「デイトナスピードウェイ」でのレースに参戦する際、「エンジンを運ぶ上で転がせる車体に載せてあった方が都合が良かったので、このゴールデンボールズもついでにレースに出してみたんです」と当時のことを柴崎氏は回想しますが、それを見た往年の名ライダーである「ジェイ・スプリングスティーン」がゴールデンボールズでのレース参戦を希望。 翌97年にもデイトナにこの金色のマシンが持ち込まれ、BOTT-F2クラス(ツインエンジンを搭載したマシンのみで行われるレース)で見事、優勝を果たしたのですが、当初はドナー的存在であったはずのゴールデンボールズの勝利には「正直、デイトナウエポンより先にこのマシンが勝ったのは複雑な気分でした」と柴崎氏は振り返ります。
■レースで培った技術をユーザーに還元
とはいえ、あくまでも市販のスポーツスターをベースにしたこのマシンに注がれた技術が、後のサンダンスの“ストリートマシン”に還元されたのは紛れもない事実です。31度バンクがそびえる世界一過酷なデイトナスピードウェイで「公道走行可能なストリートマシン」であることを念頭に置いた一台が勝利を挙げたことは大きな意味を持ちます。
実際に“サンダンスレーシングプロジェクト”で培われた技術は、エンジンは言うに及ばず、足周りに関しても同店が製作するストリートマシン」やオリジナルの機能パーツ群のすべてに還元されています。 またこの“ゴールデンボールズ”がテクニカルコースである筑波サーキットと高速コースのデイトナスピードウェイで結果を出したことは、それはすなわち公道での走行条件を考えても、かなり意義深い出来事であるといえるでしょう。 「レースに参戦することが目的ではなく、そこで培った技術やデータをお客様に還元するのが最大の目的」とサンダンスの柴崎氏は語りますが、こうした理念が込められているからこそ、ゴールデンボールズはデイトナで勝利を飾った97年から四半世紀近い時を経てもなお、色褪せない魅力を放ち続けているのかもしれません。
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