日本の自働車メーカーはこれまで、日本独自の規格である軽自動車の可能性を追求し、その努力は、SUVクロスオーバーのスズキハスラーや軽スポーツカーのホンダS660など現在の個性派軽自動車を生み出してきた。
その個性派のなかでも突出した特徴を持つ、ガルウィングの軽スーパーカーを、現在は独自軽自動車を作っていないマツダが作ってた。そう、AZ-1だ。本企画ではそのオートザムAZ-1を紹介する。
文:大音安弘 写真:MAZDA
■開発主査はユーノス・ロードスターと同じあの人
今や300馬力は当たり前!? 「2Lターボ」の高性能化はどこまで進む?
ガルウィングを備えたスーパーカー然としたスタイルは、今となってもかなり衝撃的だ。
しかし、AZ-1が、「スーパーカー風の軽」だと思うのは早合点。その内容は、まさにピュアスポーツといえる内容だった。
パワートレインこそスズキアルトワークスからの流用であったが、ミッドシップレイアウト、専用シャシー、完全2シーターのキャビンなど贅沢な構造を与えられていた。
マツダ・オートザムAZ-1。販売期間は1992年12月~1995年12月、車両重量720kg、スズキにOEM車両「キャラ」としても提供された。総生産台数は4362台
AZ-1は、元々、コンセプトカーであったAZ550スポーツ(1989年の東京モーターショーに出品)を市販化したもので、生産性など現実的な部分を考慮して設計されたものではなく、開発は困難を極めたという。大きな壁にぶつかったAZ-1開発の指揮を任されたのが、あのユーノス・ロードスターの生みの親である平井敏彦氏(初代ロードスター開発主査)だ。
平井氏は、AZ-1をスポーツカーとして成立させるために、トランクレス、高くせり上がったサイドシル、リクライニングしないシートなど、性能を犠牲にしなくてはならない快適性をになう機能は徹底的に無視。コンセプトカーだったAZ550スポーツの象徴的なアイコンのひとつ、リトラクタブルヘッドライトさえ、無駄な重量とバランスをスポイルすると取り払わせたほどだ。
平井氏の手腕により、コンセプトカーにすぎなかったAZ550スポーツは、命を吹き込まれ、マツダのオートザム店のフラッグシップカーとして世に送り出された。価格は149万8000円と(当時としては)高価だったが、生産の手間や内容を考えればバーゲンプライスといえた。
■まさに「時代のあだ花」となったAZ-1
しかし、時代はそれを容認しなかった。発売時の1992年には、すでにバブルは崩壊。しかもライバルとなる軽スポーツのスズキカプチーノ、ホンダビートはその前年に発売されており、軽スポーツのニーズは奪われてしまっていた。
もちろん、マツダもそれを傍観していたわけではなく、装備を充実化した「タイプL」、エアロパーツ付きの「マツダスピードバージョン」などが送り出されたが、手ごたえはなく、発売よりわずか1年後には、生産中止に追い込まれ、登場より3年後の1995年12月には販売を終了。総生産台数わずか4400台ほどに過ぎなかった。
AZ-1は、時代やマツダの5チャンネル化など無謀な経営戦略の犠牲となってしまったが、その背景には、クルマの魅力や可能性を追求したマツダの人たちの夢があったはずだ。
CX-5よりスタートしたマツダ新世代商品群により、見事な復活を果たしたマツダ。送り出されるクルマどれも魅力的だ。だからこそ軽自動車でも、その腕を振るってほしいし、マツダ製スポーツカーの製作を期待してしまう。
数々の日本の名車が生まれた時代に、軽自動車の新たな可能性を追求したAZ-1を振り返ってみると、そんな感傷的な気分を呼び起こしてくれる。
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