「壊すぞ!」発言から始まった進化に向けた新たな開発
東京オートサロン2024で世界初公開、2024年3月21日に「同年4月8日から発売する」と発表された“進化型”のトヨタ「GRヤリス」。
【画像】「えっ!…」これが全方位的に進化した新しいトヨタ「GRヤリス」です(55枚)
すでにさまざまなメディアでインプレッションが公開されていますが、今回は開発の陣頭指揮を取ったチーフエンジニアのコメントを元に、進化のポイントや伸び代について深掘りしてみましょう。
一般的に、モデルライフ途中のアップデートは「マイナーチェンジ」や「改良」などと呼ばれますが、「GRヤリス」は「進化型」と呼んでいます。実はここにも明確な理由がありました。
チーフエンジニアの齋藤尚彦氏はデビュー当時を振り返り、このように教えてくれました。
「このクルマの生みの親である“モリゾウ”さんは、2020年の『GRヤリス』のラインオフ式で『壊すぞ!』と宣言し、その2週間後のスーパー耐久シリーズ富士24時間レース(以下、S耐)に参戦しました。そのときは正直いうと『満を持して完成させたのに、なぜ壊すの?』という気持ちでした。
しかし、その言葉の意味をS耐で身をもって理解させられました。結果だけ見るとデビューウインを達成しましたが、レースでは本当にいろんなモノが壊れました。
我々は自信を持って開発したつもりでしたが、全く通用しなかった……。要するにモリゾウさんは、『開発というのは、クルマの発表時がゴールなのではなく、そこからがスタートなんだ』ということを、我々にリアルに伝えたかったわけです。そこから開発陣の意識がガラッと変わりました」
そんなことから、「GRヤリス」は発売後も開発が続けられました。「セリカGT-FOUR」以来、トヨタにとって久々となるスポーツ4WDは、レースやラリー、ダ―トトライアル、ジムカーナなど、さまざまなモータースポーツの極限の状態で、繰り返し「壊しては直す」がおこなわれてきました。
その成果として、2022年に限定500台で発売されたS耐レーシングカーのロードバージョンといってもいい「GRMNヤリス」や、既販車に対する「アップデート/パーソナライズプログラム」などが誕生しました。そして、今回の“進化型”「GRヤリス」は、その集大成といってもいいものです。
齋藤氏は続けてこのように語ってくれました。
「これまでは我々は、カスタマイズ・モータースポーツの世界は領域外でしたが、モリゾウさんは『カスタマイズ・モータースポーツを楽しんでおられる皆さんも大切なお客さま。そんな皆さんの困りごとをサポートするのも、君たちの役目でしょ』とおっしゃっていました。
確かに発売時、『GRヤリス』をチューニングやモータースポーツに存分活用してくださいとアピールしましたが、実はその裏では何もできていませんでした。
今だからいえますが、今回の改良は当初、『法規適合くらいで大きく変える必要はない』との判断でしたが、モリゾウさんには『鍛えた結果は、できるだけ早いタイミングでユーザーに還元すべき』とガツンといわれました。
確かにこれまでさまざまなチャレンジをさせてもらいましたが、チャレンジしただけではなんの意味もありません。それならこれまでモータースポーツの世界でトライしてきたことを『すべて盛り込んでしまえ』と思い直したのです」
●トヨタの予想を覆して世界的に好評を得た「GRヤリス」
ちなみに「GRヤリス」の登場時、トヨタ社内では「このクルマは売れない」という声が多かったと聞きます。そんなことから販売計画も後ろ向きで、「まずは1年でモロゲーション取得に必要な2万5000台をつくり、その後は収益をマイナスにしないように細々と売り続ける」といった計画を立てていました。
しかし、実際は日本だけでなく世界中から「こんなクルマを待っていた!」と大好評。「GRヤリス」を生産する元町工場のGRファクトリーは1か月で約2000台の生産キャパを持っていますが、それでも生産が追いつかず途中でオーダーストップ……。この3年での累計4万台近い「GRヤリス」を生産したといいます。
この予想を超える販売実績により収益性が向上。結果、次のモデルの開発への投資が可能になった……と筆者(山本シンヤ)は認識しています。一般的に「スポーツカーはビジネスにならない」といわれがちですが、「GRヤリス」はそこを数という武器でクリアしたのです。
モリゾウこと豊田章男氏は、GRカンパニー設立の際、「社会情勢や景気に左右されないモータースポーツ活動やスポーツカービジネスをおこなっていきたい」と語り、実際、これまでの常識とは異なる手法を実践してきました。“改良型”「GRヤリス」の誕生を見ると、それらが少しずつ実を結び始めているといえるでしょう。
損傷時の“補修性”まで考慮した進化型の前後バンパー
そんな“進化型”「GRヤリス」を見ると、その変更内容は車両全体の多岐に渡っていることが分かります。その多くは、プロドライバーやジェントルマンドライバーからのリアルなフィードバックが元になったものが多いそうです。
エクステリアでは前後のデザインを刷新。フロントバンパーは冷却性アップのため開口部が拡大され、リアバンパーは操縦安定性に寄与する形状に変更されていますが、実は損傷時の“補修性”まで考慮した構造になっていることはあまり知られていません。
「我々はこれを“早川バンパー”と呼んでいます。これは、“TGRラリーチャレンジ”を8速ATの“GR-DAT(ダイレクトシフト・オートマチック・トランスミッション)”の開発のために走っていただいた早川茂副会長からの学びを活かしたもので、分割構造になっています。リアバンパー下部に装着されていたリアフォグランプを上部に移動したのも、損傷を防いで補修費を抑えるという考えからです」(齋藤氏)
細かい部分では、リアコンビネーションランプが一文字に光るデザインに変更され、リアスポイラーの塗り分け変更(黒→ボディ同色)などもおこなわれていますが、なんとここにもプロドライバーからの声が反映されているそうです。
「リアコンビランプは大嶋和也選手からの、ひと目で『GRヤリス』と分かるアイコンが欲しいというリクエストを反映したもので、通称“大嶋テール”と呼んでいます」(齋藤氏)
さらに“進化型”「GRヤリス」はインテリアも全面刷新。インパネ回りはベースモデルである「ヤリス」の面影は全くありません。
まずはインパネ上部をフラット化し、ルームミラーの取りつけ位置も変更することで視界性能(特に左前)が大きく向上。加えて、運転席側に15度傾けた操作系やバラバラだった走行系スイッチの集約によって操作性もアップ。さらに、スポーツカーにしては素っ気ないデザインだったメーターパネルも「GRカローラ」譲りとなる多機能のフル液晶式に変更されています。
「コックピットは発売後にユーザーの方々からさまざまな指摘を受けた部分で、真っ先に手を入れたいと思っていました。そこで、S耐や全日本ラリー選手権を戦うマシンのコックピットを参考に新設計し、開発段階からプロドライバーにレイアウトや操作性までチェックしてもらいました。
それと合わせて、シートポジションもヒップポイントを25mm下げ、ステアリングやペダルの位置も最適化しています。また細かい部分では、パワーウインドウスイッチを変更していますが、これは大嶋和也選手から『普通に使いにくいですよね』という声を元に手を入れた部分です」(齋藤氏)
一般的に、インパネのデザイン変更はコスト面を考えると、商品改良時にメスを入れにくい部分です。しかし「GRヤリス」は、「高い運動性能を実現させるための重要な要素」と捉え、刷新を決意したといいます。ここにもモリゾウが語る“ドライバーファースト”の思想が活かされているといえるでしょう。
●素早く確実に、安心して楽に操作できる“PKB”
さらに注目は、「RC」グレードにメーカーオプションとして設定された「縦引きパーキングブレーキ(PKB)」です。競技用のベースグレードとはいえ、ナンバーのついた量産モデルへの採用は驚きのひと言です。
「モリゾウさんには車両全体に渡って鍛えてもらっていますが、このPKBはズバリ、“モリゾウPKB”といってもいいくらい試してもらっています。
これまでモリゾウさんが乗っていたラリー仕様の『GRヤリス』は、運転中、サイドブレーキを引きやすいよう改造していましたが、あるとき操作すると、腰がグキっとなってしまったそうです……。そこで、極限状態でも体への負担が最小限に抑え、素早く確実に、さらに安心して操作できるPKBを目指し、位置関係やレバーの長さを何度も調整してつくり上げています」(齋藤氏)
ちなみに、WRC(世界ラリー選手権)に参戦している勝田貴元選手にPKBの操作性について話を聞くと、「完璧な位置関係で、僕が乗っているマシンよりいい場所についています。これはチームにごり押ししたい」と語ってくれました。
新たな武器“GR-DAT”はMTと同等の性能を持つ2ペダル
“進化型”「GRヤリス」のエンジンは、軽量ピストン、高燃圧対応、動弁系強化などハードにも手が加えられ、スペックは272ps/370Nmから304ps/400Nmへと引き上げられています。
さらに、パワートレイン、EPS、エアコンなどの特性を変更可能なドライブモードセレクト(ノーマル/スポーツ/エコ/カスタム)も新たに設定されています。
トランスミッションは6速MTに加えて、新たに8速のGR-DATが追加されました。
「『GRヤリス』はMTにこだわって開発したモデルで、当初はATの設定など眼中にありませんでした。しかし、発売後のあるときにモリゾウさんから『モータースポーツの敷居を下げるために、2ペダルの可能性を探ってみないか?』という提案があったのです。
私は即座に『求められているのはMTと同等の性能を持った2ペダルだ』と理解しました。技術者としてATの弱点はよく知っているので開発は一筋縄ではいかないと思いましたが、モリゾウさんの顔は本気でした」(齋藤氏)
GR-DATの最大のポイントは、パドル操作をおこなわずDレンジのままでも、ドライバーの意のままの走りを実現させる“完全”な自動変速にあります。
そのために、高トルク対応の8速ATをベースに、高応答ソレノイドの採用や高耐熱摩擦材への変更を実施。加えて、ブレーキの踏み込み方や抜き方、アクセル操作を細かくセンシングするスポーツ走行用に開発された制御を導入し、ドライバーの意思を汲み取るギア選択を可能にしています。
「ドライバーの意思を汲み取るということは、『MTならここでシフト操作するよね』という絶妙なタイミングに自動でシフトアップ/ダウンさせる必要がある……言葉にするのは簡単ですが、実際の開発はそう簡単にはいきませんでした。
開発中はプロドライバーやジェントルマンドライバーの方々からかなり厳しいコメントをたくさんいただき、それを愚直にフィードバックしています。
プロトタイプの試乗会ではシンヤさん(筆者)にもいろいろと指摘されましたので、今後も開発は続けていきます」(齋藤氏)
そんな“進化型”「GRヤリス」のボディは、スポット溶接打点を約13%増やし、構造用接着剤の塗布部位を約24%拡大すると同時に、走行中のアライメント変化を抑制するためにボディとショックアブソーバーを締結するボルトの本数を1本から3本に変更。それらに合わせて、サスペンションのセットアップも見直しが図られています。
そして今回、電子制御多板クラッチを用いた4WDシステム“GR-FOUR”にも改良の手が入りました。今回は前後駆動力配分の見直しに加え、「トラック」モード時には走行状況に応じて可変式(60:40~30:70)が採用されています。
「従来モデルはシンプルな制御でしたが、発売後に『壊しては直し』を繰り返しおこなうことで、我々にもスポーツ4WDの知見・ノウハウが少しずつ増えてきました。そのため今回は、少し踏み込んだ制御にトライしました。
プロドライバーやモリゾウさんからのフィードバックを元に開発をおこなってきましたが、特に佐々木雅弘選手は駆動に関してのこだわりは強く、新しい“GR-FOUR”についても我々は“佐々木デフ”と呼んでいます」(齋藤氏)
●「GRヤリス」はユーザーも開発チームの一員
実際に“進化型”「GRヤリス」に試乗してみると、その伸び代はフルモデルチェンジ級で従来モデルのユーザーであれば“箱替え”したくなることでしょう。
それはなぜか? 開発陣の「もっといいクルマにしたい」というピュアな思いが愚直に反映されているからだと筆者は分析しています。
「プロドライバーの方々からは各々の伝え方でフィードバックをいただきましたが、その中でも石浦宏明選手は試乗時こそ口数は少ないですが、提出されるレポートは非常に細かくていねいに評価が書かれていました。我々はそれを“石浦レポート”と呼んでいましたが、実際の開発にとても役立ちました」(齋藤氏)
そんな“進化型”「GRヤリス」、価格は従来モデルに対して若干アップしているものの、筆者はそれ以上の伸び代があると思っています。
「このクルマは“乗ってナンボ”のモデルですので、いろんな場所を走っていただきたいですね。そして、ユーザーの皆さんも開発チームの一員だと思っていますので、気になることがあればSNSなどを通じてどんどん発信して欲しい。我々はそんな細かい声も常にチェックしていますので」(齋藤氏)
このように“進化型”「GRヤリス」は、“現時点”における最良の「GRヤリス」であるのは間違いありませんが、このモデルが「もっといいクルマづくり」のゴールではありません。すでに開発チームは次のステップに進んでいます。さらに進化させるためのアップデートパーツもスタンバイしているようなので、今後の展開にも大注目です。
ただ心配なのは、現時点ですでに2025年までの販売枠がほぼ埋まってしまっているという状況。
「我々が想定していた以上の反響に驚いており、本当に申し訳ないと思っています。より多くの皆さんにご提供できるよう、現在、GRファクトリーの生産能力を増強する方向で進めています」(齋藤氏)
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